Section.15 Yah−yah−yah!(1)
焚火の明かりが、ゆらゆらと揺れる。
真夜中過ぎになれば、この季節でも肌寒いはずだが、目の前に炎があるせいかむしろ暑いくらい。アイコはちょこんと焚火の側に座り、毛布を頭から被って炎を見つめていた。
うすっぺらいビニール・クッションごしに、ごつごつした河原石が尻に当たって、少し痛い。すぐ側を流れる川の水音、それから蛙の声。
焚火をはさんだアイコの向かい側には、あぐらをかいた史郎。
ちょうど1年ほど前、アイコの町の川べりで、同じように焚火をはさんで、同じように史郎と向かい合っていたことを思い出す。
史郎は、今もテントで移動生活を続けているらしかった。上流に浜橋のアトリエ、下流に数キロはなれたところにケルンのある川の河川敷に、一人用のテントを設営して、キャンプを開いていた。テントの脇には、VFRの二つ目ヘッドライトと、SDRの一つ目が並んで停まっている。
史郎は焚火にかけていた鋳物のポットを降ろして、手元のシエラ・カップに注ぎ、アイコに差し出す。
「ほれ、これ飲んで寝ろ」
アイコがカップを受けとると、史郎はふああ、と大きく欠伸。そのまま、もぞもぞと傍らに置いてあったシュラフに潜り込む。
アイコが渡されたカップには、インスタントのカップスープ。
「天気予報じゃ、雨は降らないらしいが。露が降りるから、お前はテントに入れ」
「先生は?」
「防水スプレー降ってるから、このシュラフで良い」
ふああ、と、もう一度史郎は大欠伸。八重歯が白く炎の明かりに映える。
「まさか嫁入り前の教え子と同じテントには入れない」
「えー。別にあたし気にしないのに」
「俺が気にする。というか、お前はもう少し気にしろ」
史郎は軽口を叩いて、シュラフのジッパーを引き上げた。
アイコはずず、とスープを啜り、顔をしかめる。
「あちち」
「猫舌は相変わらずだな」
「あたしは何にも変りませんよーだ」
べえ、とアイコは舌を出す。
「あいかわらず空気読めないし、意地っ張りだし乱暴者だしすぐ手が出るし。しかも最近はやたらと泣き虫だし」
「変ってる変ってる……」
史郎が、からかうように言う。
「良いほうに変ってきたさ、お前は。まあ、アイドル気取りはいただけないがな」
「あれは、聖さんが無理やり」
やらせたんだ、と言いかけて、アイコはやめた。少し視線を泳がせて、言い直す。
「んー、違うな。雑誌の表紙に使ったのは聖さんが勝手にやったんだけど。モデルはなんだか分からないうちにやらされたんだけど。思ったより、嫌じゃなかったかも」
「ほう」
「結果的にですよ、結果的に! おかげで春原とかいろんな連中から電話かかってきて迷惑したんですから」
「おかげで俺とも再会してしまうしなあ」
史郎は、呟くように言った。
「お前の姉貴分のおかげでまんまと釣り出されたんだから俺も仕方ねえよな」
「あたしと会わないほうが良かったですか? 」
アイコは、声をひそめる。
「その方がお前のためだったと思う」
史郎は、低いが真剣な口調でそう言って、それから、誤魔化すように大きな声で言った。
「よせ、やめろ。お前がどんな顔してるか、手に取るように分かる。泣くなよ、あんまり泣くとたれ目になるぞ」
「なんだよそれは」
思わず、アイコは吹き出した。
「相変わらず無茶苦茶なこと言うよね、先生」
「馬鹿、大人をからかうな。つーか、はよ寝ろ」
「えー」
「目が覚めたら、ちょっと際どいところ、行くんだから」
唇を尖らすアイコに、史郎は寝袋の中で肩をすくめる。
「……虎に喰われるか、鬼に喰われるか、だからな」
ぱちん、と、薪がはじける大きな音。
史郎はそれっきり黙り込んで、しばらくすると寝息をたて始めた。
アイコはスープをふうふうと冷ましながら飲み干し、カップを置くと、テントに入りかける。入り口を開けたところで史郎の方を振り返り、足音を忍ばせて寝袋に歩み寄る。
シュラフからのぞく史郎の寝顔に数秒見入って、ふう、と小さく息をつき、踵を返すと、アイコはそのままテントに潜り込んだ。