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Section.14 壊れかけのラジオ(7)

「……俺のいないところで、勝手に話し作らないでくださいよ」

 一樹は、困ったような顔で、ドアを開けたまま突っ立っていた。

 中にも入りかね、立ち去るにも立ち去りかねて、どうしていいのか分からないような顔をしていた。

 思いがけず自分の名前が話されていたので、大きな声を出してしまったものの、どうおさめていいのか分からない様子だった。

 聖は、振り向くこともできずに立ち尽くしていた。小刻みに唇が震えていた。

「どういうことですか、マスター。シルバーバレットの正体がわかったら、なんで俺と聖さんの関係が壊れるんですか! 」

「北原……」

 予土が、すたすたと一樹に近づいていき、手をとるようにして待合室に招き入れる。

 予土自身も額に冷や汗を浮かべながら、一樹に尋ねた。

「お前、どこから聞いてた? 」

「マスターが、シルバーバレットの話をしてたところからですけど? 」

「……そうか」

 予土は、気が抜けたように右手を額にあてて、あはははは、と力なく笑う。それから、美春と大島の方に顔を向ける。

「ギリギリ、セーフ」

 ち、と美春は詰まらなそうに舌打ちする。

「どうせならもう少し、前から聞いとけよ……」

 美春の呟きに、大島は肩をすくめる。……聖は、まだ動けない。

「だいたい、俺がなんで聖さんをおいてけぼりにするって言うんですか。これまでだって、ずっと一緒に久さんのために頑張ってきたのに」

「お前……」

 予土は、大きく溜め息をついて、一樹の肩をぽんぽん、と叩いた。

「そんなこと言っていいのか? 」

「はあ? 」

 訳がわからない、というように、一樹が首を傾げる。

 予土は、もう一つ溜め息をついて、言う。

「アイコはどうするんだよ」

「はああ?! 」

 一樹は、予土から「狼男」と同じことを言われて、思わずまた大声を出した。

「何の冗談ですか、予土さんまで! 怒りますよ! 」

「……一樹」

 くい、と、美春が人さし指を立てて、一樹を手招きする。

 一樹は怒ったような表情で予土の手を少し乱暴に払いのけると、大島と聖の間を通り抜けて、美春の前に立った。大島と聖は、その場から動かない。

「美春さんはわかってくれますよねえ、どいつもこいつも俺とアイコがどうのこうの、って……」

 美春はにっこりと笑い、一樹もつられて顔をほころばせかける。

 ぱあん、と、派手な音がした。

 美春の平手が、大島の殴ったのとちょうど反対の頬に炸裂していた。

 一樹は、何が起きたのかも分からず、ぽかんと口を開けて、平手の形に赤くなった頬を押さえる。

「って、美春さん」

「グーで殴らなかったのは、手加減したからじゃなく凶器になると思ったからだからね」

 美春は、一樹を見下ろしながら言った。

 大きな黒目をすがめた、鋭い目線。

「天然は限度超えると故意より始末に負えない」

「……ふ、ふざけんなあ! 」

 一樹が大声をあげ、美春に飛びかかる。

 美春は、見た目は大柄だが華奢な女性に見えるが、もとインターハイ出場経験のあるボクサーである。大島と違って、一樹も遠慮がなかった。

「寄ってたかって、勝手なこと決めつけるなよ! 」

 ぶん。

 腰の入っていない拳が、宙を舞う。警察学校で多少なりとも訓練を受けたはずだが、まったく身になっていないらしかった。美春はひょいと何の苦もなく拳をかわして、また平手をお見舞いする。

「顔狙うな、仕事に障る」

「うるっせえ! 」

 一樹にしては、完全にブレーキが壊れていた。夕方から、大島に殴られ、狼男にからかわれ、そして予土と美春。何故か全員が全員、一樹とアイコの仲を邪推する。一樹は、自分でももうよく分からなくなっていた。確かに、アイコを連れてホテルには入った。雨の中、ガス欠でびしょ濡れになっていたし、近くには他に何もなかったから、仕方なく。どこか放っておけない危うい奴だったし、守ってやりたい気持ちもあった。聖と違って、自分が助けてやらなければ、簡単にぶっ壊れそうな危うさを、アイコには感じていた。

 その、何が悪いというのか。

 頭の中のゴタゴタを引きはがすように頭をぶんぶんと振り回して、一樹は美春にもう一度殴りかかった。

「ばーか」

 美春は、今度は上半身をひねってやり過ごし、勢いあまって通り過ぎた一樹の尻を、大きなハイヒールの足で蹴り飛ばした。

「そんななまくらが当たるかよ」

 頭の後ろで吐き捨てるように言う美春の声を聞きながら、一樹は前のめりに飛ばされ、そのまま前転して、診察室のドアに頭をぶっつける。

「おいおい、医者に来て怪我増やさないでくれよ」

 予土が、追い討ちをかけかねない勢いの美春を、やんわりとたしなめた。

「オヤジに知られたら、雪奈ごと追い出されるぞ」

「……そんなこと言ったって。いつつ」

 一樹は、ぶつけた左側頭部をなでさすりながら、何故かこれまで無言のまま成り行きを眺めていた聖に、救いを求めるように言う。

「聖さんも、なんとか言ってやってくださいよ」

「あたしが? 」

 聖は、信じられない、というように一樹の顔をまじまじと眺めた。

 そして、一樹がいつものような冗談や皮肉ではなく、本気でそう言っているのを悟る。

 聖は、深々と溜め息をついて肩をすくめ、自嘲するように笑った。

 そして、笑顔を苦しそうに歪めながら、言った。

「あたしも、訊きたいと思ってた」

 一樹は、聖が何を言いだしたのか分からず、また、何故苦しそうなのかも分からず、首を傾げる。聖は、奥歯をぎりぎりと噛みしめ、それから、決心してもう一度正面から一樹を見る。

 一樹が見たことがないような、頼りなさそうな顔をしていた。

「あんたは、あたしとアイコ、どっちをとる? 」

「……え」

 一樹は、聖が何を言っているのか、一瞬、理解できなかった。

 そして、その言葉の中身を理解して、もう一度、聖を見た。

 ひどく疲れたような顔で、聖は一樹を眺めていた。ぽっかりと、空洞のような瞳をしていた。……聖が、冗談を言っているわけではないことを、一樹は了解した。

「そんな……」

 一樹は、のろのろと立ち上がった。

 美春の張り手よりも、大島の拳よりも、今の一言は大きなダメージだった。

「嘘でしょう、聖さん」

 一樹は、信じられない、という顔で、聖に問いかけた。

 瞳孔が収縮するほど、聖を凝視していた。

「あんたは、久さんの仇を討つんじゃなかったんですか。そのために、出来の悪い、あんたのことを嫌いだなんていう俺と手を組んでたんじゃないんですか」

 聖は、ふ、と小さく笑い、すこしよろめくようにして、壁にもたれかかった。

 それから、かすれる声で、言った。

「……ばーか……」

 力のない笑顔だった。

 一樹は、その答えを聞くと、脱兎のごとく、予土の父の病院を飛びだしていった。

 があん、と、大きな音がして玄関のドアが閉まる。

 聖が、思わず後を追おうと手を伸ばしてたたらを踏み、結局その場に釘付けになったように力なくうな垂れる。

「あーあ、なっさけねえの」

 その背中に、今度は診察室のある側から、険のある声が投げつけられた。

 片目に眼帯、頭にネットと包帯。右手はギブスで固定されて三角巾で吊られ、病院のお仕着せの寝巻きの下も昔の映画のミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされた小諸雪奈が、父親に支えられるようにして、立っていた。

「虎姫も子犬男には形なしだ」

「雪奈! 」

 予土が、驚いて二人の方に駆け寄り、小諸の反対側から雪奈を抱きかかえるようにして支えてやる。雪奈は、ぎゃあ、とあられもない悲鳴をあげ、痛い痛い、と喚いて、ギブスの手で予土の頭をぶん殴った。

「何すんだよ! 全身切り傷だらけなんだから、触るならどこが大丈夫か聞いてからにしろよ! 」

「わ、悪い悪い」

 あわてて雪奈から離れる予土の頭を、雪奈の後ろをついてきた白衣の老人が、追い討ちをかけるようにぺし、と叩いた。

 見るからに遺伝子を予土と共有していそうな、この診療所の院長だった。

「親爺」

「このお嬢さんの言う通りだぞ。何事もあわてるでない」

 予土より数段人間としての器が大きそうな印象を与える院長は、片手で点滴のラックを持ってやりながら、雪奈について来たようだった。

「雪奈……お前、大丈夫なのか」

 運び込んだときの雪奈の惨状を覚えている美春が、呆れたように言う。

「大丈夫じゃねえよ」

 噛みつくように言おうとして、雪奈は包帯と眼帯で覆われて左目周辺しか見えない顔をしかめた。父の小諸が痛々しそうに覗き込むのを見て目を逸らしながら、雪奈は言った。

「死にかけてるあたしの枕元で昼ドラやられたんじゃ、おちおちくたばってもいられないっての! 」

「あ……」

 聖は、ようやくのろのろと振り返って、声の主が雪奈であることを、おそるおそる、確認した。

 壊れた人形を縫い合わせたみたいな姿の雪奈が、聖を見上げていた。ふてぶてしい視線を、片目だけで投げ掛けながら。

 聖は雪奈にゆっくりと歩み寄り、縋るように、折れていない左手の方を両手で包み込んだ。

「わあ、な、何? 」

 ついぞ聖にそんなに優しい扱いを受けたことのなかった雪奈は、何をされるのか分からず、声を裏返らせる。

「ごめん、雪奈……」

 聖は、握った手に額を押し付けるようにして、言った。

「守ってあげられなくて、ごめん……」

 雪奈は、びっくりしたように目を見開き、それから、ゆっくり柔らかい表情を浮かべて、ギブスで固められた手を聖の背中に回した。

 美春は、やれやれ、と首を傾げ、予土は院長に何やら話しかけられていた。

 大島は、一樹の去っていったドアをじっと見つめていた。

 アイコはまだ、ケルンに戻って、大島の置き手紙を見てはいないのだろう。何の連絡もなかった。

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