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Section.4 スキップ・ビート(3)

Section.4 スキップ・ビート(3)


 意味深なようでよくわからない言葉を投げつけた後、初老の男はまるでアイコがそこにいないかのように、聖と仕事の話とも雑談ともつかない会話を交わしはじめた。

 とりあえず応接セットの隅っこにちょこんと座っている以外することのないアイコは、とりあえず二人の会話に耳を澄ますしかすることがなかった。

 カーペットはふかふかしているし、白い蛍光灯の間接照明と窓からの自然光で、オフィス全体はかなり明るい。

 初老の男は、岸川といい、地元のコンサルタント会社の経営者だった。聖と岸川の会話をとりあえず聞いていると、岸川が聖の作っている雑誌の有力なスポンサーの一人であることが分かってきた。岸川は聖の事業に期待しているだけでなく、いくつか他の目的があって雑誌に出資しているらしい。

 岸川と聖の会話そのものは、アイコには半分も分からない。市議会議員がどうの、市長選挙がどうの。不動産会社どうしのもめ事で漁夫の利を得ている県外の企業のこと、最近オープンしたカフェの経営者の人脈の話。

 欠伸が出そうだった。

 時々アイコの父も電話でこんな話をしていたような気がするが、アイコは直接聞いたことがないし、たいして興味を抱いたこともない。

 というより、アイコ自身は目に見えるもの、手で触れられるもの以外のものにはほとんど関心がなかったので、マンガやテレビでも、学校での同級生のうわさ話でも、同じくらい退屈してしまうのだが。

 よくよく考えると、使い古したジャージ姿で、妙に現代的なオフィスの応接セットに腰掛け、大人同士の話を聞いている自分、というのも、シュールな気がした。

 バイクに乗ったり、オカマに抱きつかれたり、動き回りすぎてぶっ倒れたり、一樹の車の助手席で無茶な運転に振り回されたりしている自分はリアルだが、この自分はなんだか非現実の中のようだった。この非現実の中で、聖だけがいつもと変わらないように見え、アイコはそれで少し落ち着く気がした。

 聖と岸川が話し込みはじめて五分ほどたってから、受付カウンターにいた長身の女性が、プラスチックのホルダーをはめた紙コップを三つ、トレーに載せて運んできた。

 深煎りのコーヒーの良い香りに、アイコは鼻をひくつかせる。

「エスプレッソです」

「おお、ありがとう、小諸君。これもお兄さんの店の豆かね」

「はい、試飲用にと持って来ましたので、サービスです」

 受付嬢……確か聖は雪奈と呼んでいた……は、コーヒーのカップと、お茶うけのクッキーの皿を応接セットのテーブルの上に置くと、一歩下がって一礼し、受付カウンターに戻っていった。

「ところで、上泉さん」

 話が一段落すると、岸川は、ふと思い出したようにアイコに視線を向けて、首を傾げた。少し色の着いた眼鏡の奥の目は、意外に鋭い。

「最近ゲットした面白いもの、とかいうのは、そちらのぼんやりしたお嬢さんかね? 」

「オモシロイモノ? ! 」

 言われて、思わずアイコが聞き返す。

「聖さん、どういうこと? あたしアイテム扱い? ! 」

 さすがにちょっときまり悪そうに、聖はアイコから目を逸らした。

「まあ、そうともいう」

「ええっ」

 結構ショックを受けて呆然とするアイコを無視して、岸川は言った。

「確かに近頃珍しいタイプだが、私にどうして欲しいのかね? 」

「別にどうも。ただ、お教えしておきたかったんです」

 聖は、笑顔で答える。アイコには、聖が、時々みせる意地悪い目つきをしているのに気付いた。

「ご紹介しましょう、この子が」

 聖は、大げさな身振りでアイコの両肩を抱え、その細い右肩に顎を載せた。まるでアイコの耳にキスするように。そして、岸川に、言う。

「今の、シルバーバレットのオーナーです」

「なに……? ! 」

 岸川の、柔和だがどこか冷たささえ感じさせる余裕が、すっ、と顔から消え失せた。

 その下から現れたのは、本物の無表情。

 アイコは、思わず身震いする。こんな顔をする人を、アイコは見たことがなかった。

「そんな馬鹿なことがあるか」

 岸川は、頭を抱えて聖を睨みつけた。

「冗談にしてもたちが悪いぞ、上泉さん」

「こんな冗談を私が言うはずないということは、岸川さんの方が良くご存じのはず」

「……」

「この子は、正真正銘、シルバーバレットの持ち主」

「何故だ」

 岸川は、絞め殺される直前のような声で、聞き返す。

「何故、そんなものを探し出してきた」

「何故探してたかはご存じでしょう? 」

 聖が答える。真横に顔があるために、アイコからは聖の表情は伺えない。ただ、ひどく冷たい、苛立ったような声だな、と思う。

「それに」

 聖の声が、アイコの耳に突き刺さるように続けられる。

「探してましたけど、見つけたわけじゃありません」

「なに? 」

「この子の方から、あたしのところに舞い込んできたんです」

「……」

「あなたの娘……摩耶さんが、呼んだのかもしれませんね」

 聖は、そこまで同じような調子で言って、息を詰まらせた。

 そして、急に脱力したようにアイコの肩を離し、ソファの背もたれに体重を預けた。

 岸川は、固まったまま、目だけでそれを追っていた。

「で」

 岸川は、唇を歪めるようにして、言葉を押し出した。

「その子は、『狼男』の居場所を知ってるのか? 」

「残念ながら」

 聖は、呻くように答え、それから急にいつもの調子に戻って、にっこりと笑った。

「分かりません、残念ながら」

「そうかね」

 岸川は、頭を抱えていた両手を離して、顔をあげた。

 岸川もまた、柔和で余裕を湛えた表情に戻っていた。

「この子は『狼男』ではないし。むしろ、摩耶さんに似てるんじゃないですか? 」

「どうかな? 」

 岸川は、アイコの顔を真っ直ぐに見て、尋ねた。

「君、名前は? 」

「アイコ」

 ちょっとぶっきらぼうに、アイコは答えた。

 ここまで聖に弄り倒されては、素直に答えるのも癪だったが、他に答えようを知らなかった。

「カタカナでアイコ。名字は、小さい林で小林」

「ほう」

 岸川は、眼鏡の下の眼を、また糸のように細めた。

「上泉さん、この子は摩耶とは似ていないよ」

「そうですか? 」

「この子は……小林さんは、太陽のように無遠慮だからね」

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