Section.14 壊れかけのラジオ(2)
目の前を、VFRのテールランプが流れていく。
近寄ったり、離れたり、自在に速度を変えながら。まるで、からかうように。
アイコは、奥歯を噛みしめながら、必死で食らいついていく。
アイコのSDRの方は、ずっと全力で走っている。
カーブで減速しすぎれば立ち上がりでVFRに置いて行かれ、シフトダウンのタイミングを逃せばちょっとした登り坂で引き離される。
四倍弱の排気量の差と、三倍近い絶対出力の差。
バランスも、ポジションも、アイコに完全にフィットしていて、完全な状態のSDRでも、普通の峠道でVFR750に食らいついていくのはかなり無理があった。
しかも、乗っているライダーは、アイコにこのSDRを与えた張本人・新田史郎。この峠では、「狼男」として知られる最速ライダー。
乗り始めて日が浅い割には、一般レベルよりかなり高いレベルで走ることができるアイコとはいえ、本気で張りあえばとても勝負にはならない。
「ちっくしょおー! 」
前を走っている史郎の顔も忘れ、アイコはシンプソン・バンディット……前のライダーとお揃いの、ガンメタル・カラー……の下でわめいていた。
こちらは歯が立たないとはこのことで、カーブのたびにずるずるとリヤタイヤを滑らせ、首の皮一枚で走り抜けるような限界ギリギリの世界で走っているのに、目の前のVFRは全然余裕をかましているように見える。
離しすぎないように減速し、近寄られすぎないように加速する。
アイコと史郎は、わざわざ峠の入り口の潰れたドライブインまで戻って、久と摩耶の死んだ峠を走りなおしていた。
それが、史郎の答えだった。
久の死んだ場所で史郎をみつけたアイコは、これまで史郎に聞きたくて仕方なかったことを、矢継ぎ早に尋ねた。
「先生は、どうしてあたしにこの子をくれたの?」
転びかけて史郎に抱き留められたアイコは、噛みつくような勢いで尋ねた。
「岸川摩耶さんとはどういう関係? 上泉聖さんのお兄さんを殺したっていうのは本当? 」
「おいおい、そんないっぺんには答えられないよ」
史郎は、片頬をつり上げるようにして苦笑いし、アイコを抱え起こした。
「しかも、摩耶のことまで知ってるのか。まいったな」
史郎の口から摩耶の名前がでたとたん、アイコは体中がカッと熱くなったような気がした。自分でも止めようとするのに止められず、どもりながら、アイコは思わず口走っていた。
「せ、先生は、摩耶さんのこと、す……」
「す? 」
「好きだった? 愛してた? 」
「はあ? 」
史郎は目を丸くして、肩を竦める。それから、こともなげに、言った。
「ああ、好きだったよ」
「! 」
「愛してた 」
がん、と、アイコの頭の中で、何か重たい鈍いものがぶつかる音がした。
急に、風邪で高熱が出たときのように視界が歪み、地面がぐらぐらと揺れた。
アイコは、両足を踏ん張った。そうしないと、脱力してぐにゃぐにゃになってしまいそうだった。
「おいおい、しっかりしろよ 」
「ふえっ」
くしゃ、と史郎に急に髪を触られて、アイコは泣き出しそうになった。
史郎は、アイコの目を見つめて、言った。
「ばーか、何くしゃってんだよ」
「……くしゃってる、ってなんだよ……」
「お前のことだよ。何か勘違いしてないか? 」
勘違いしてるんじゃなく、先生のデリカシーの無さにびっくりしたんだよ。
アイコはそう、喚きかけて、口をつぐむ。家庭教師に来てくれていたときは、何も考えないで、普通に喚いていたのに。
そんなことを考えながら、アイコは、瞳を史郎から逸らすことができなくなっていた。切れ長の、三白眼。瞳はアイコと違って漆黒で、吸い込まれるよう。
アイコはさっきのショックを一瞬忘れ、思わず見とれる。
この目は、何を見ているのだろう……。
だが、その次の瞬間、さっきの史郎の言葉が頭を駆け巡り、足下に穴が開いて落っこちて行くような感覚に囚われる。
ほんの二、三秒で、その両方の堂々巡りを体験し、アイコはまた泣き出しそうになった。
その時に、史郎が、言った。
珍しく、ふざけたところのない声で。
「アイコ」
「ふええ……? 」
「さっきの質問に、まとめて答える方法を思いついた! 」
「……? 」
その「方法」というのが、あの日の久と史郎と同じように、この峠でバトルする、というものだった。
アイコには意味がわからなかったが、あたふたしているうちに史郎はさっさとヘルメットを被って峠を降りていってしまった。峠の入り口の、潰れたドライブ・インで待っている、と言い残して。アイコは、途中で何度か転びそうになりながら、史郎を追った。
不思議なもので、峠の入り口に戻ってきたときには、アイコはすっかり冷静になっていた。というより、バイクを走らせることに集中できていた。
史郎は、潰れたドライブ・インの前の道の、路側帯で待っていた。
アイコはくるりとターンしてその横に並び、ヘルメットのバイザーをあげた。
同じヘルメットのバイザーをあげた史郎と、目が合った。
「へへ、良い目になったじゃん。それでこそアイコだ」
史郎がひやかすように言う。アイコは、その口調に懐かしさを覚えて小さく笑う。史郎も目で笑い返して、右手の親指を立てた。
そして、二人はアクセルを開けた。
アイコは最初、史郎に充分ついていける、と思った。
最初の緩いS字の連続は、デリケートなライン取りさえできれば、SDRでも大馬力にものをいわせるリッターバイクと充分張りあえるエリアである。そして、渋滞すり抜けでも発揮されたように、アイコは繊細なマシン・コントロールが得意だった。
実際、史郎のVFRのテールに食らいつくように、アイコとSDRはコーナーに飛び込んでいた。リヤブレーキできっかけをつくりながら、エンジンの回転数と速度を落とさないよう、最低限のステアリングで、まるで直線のようにS字を抜けていく。
が、それまでだった。
史郎のVFRは、二つ目のS字の出口を回ると、前輪を持ちあげながら加速していた。