Section.13 HELP!!(7)
小諸雪奈のマンションのすぐ外に車を留めて待機していた柴田は、雪奈の携帯を使った電話で岸川の指示を受けると、肩を回して唇を舐めた。冷や汗が、額に滲む。
柴田は、かなり以前から、岸川の側についていた。宮田と一緒に本社……明和会の会長から派遣された身だが、いつまでもチンピラで終わるつもりはなかったからだ。岸川に、会長の意向を知らせ、宮田や雪奈の動きを知らせていたのも柴田だった。
まさか、宮田が殺され、雪奈の始末を自分に押し付けられるとは思っていなかったが。
柴田は、雪奈のマンションから岸川が立ち去るのを見届けると、周囲に人の目がないのを確かめて、車を降りた。
雪奈から預かっていた予備のカードと暗証番号を使ってマンションのゲートをくぐり、以前に確認しておいた監視カメラの死角を通って、非常階段に出る。エレベーターの監視カメラには死角がなかった。
柴田は非常階段を早足に駆け上がり、高層マンションの半ばにある雪奈の部屋のフロアにたどり着いた。息があがり、汗が滴る。少しの間、非常階段からフロアに入るドアの外でしゃがみ込み、呼吸が収まるのを待った。
それから、そろりそろりとドアを開け、フロアの様子をうかがう。
岸川の借り切っているフロアで、雪奈の部屋は非常階段に一番近い、フロアの隅にある。このフロアは、岸川の裏の仕事のための「客室」だった。十室すべてを岸川興業が借上げていて、社員寮、ということになっているが、普段は雪奈しか住んでいない。週末の夜、「上得意」たちが年端もいかない少女たちを連れて来る時の他は、ほとんど無人である。
柴田はそれでも用心深くフロアを観察し、人の気配がしないのを確認してから、中に入った。
非常階段を出てすぐの部屋……雪奈の部屋……のドアに歩み寄り、カードキーを使ってオートロックを解除する。
玄関から続くダイニング・キッチンのドアを開けると、その向こうのベッドルームのドアが開いているのが見えた。そこには、後ろ手に手錠をかけられ、自慢のゴス・パンクのワンピースを引き裂かれて半分ひん剥かれた雪奈が転がっていた。露出した肌には、無数の痣や切り傷。わずかに呼吸はしているが、意識はないようだった。
「可哀想に、姐さん」
柴田は、思わず眼を逸らして、雪奈に背を向けた。
「あんたも、カスで終わりたく無かっただけなんだよな……」
言いながら、キッチンの奥に入り込み、ゴソゴソと何かを探しだす。
やがて柴田は、雪奈が愛用していたアロマ・テラピーの道具とキャンドルを探しだして、倒れている雪奈から少し離れた場所に置いた。百円ライターで、キャンドルに火をつけ、炎があがるのを待つ。
「この部屋の上敷き、よく燃えるんだってな」
ふわふわした毛足の長いカーペットを指で弄って、柴田は呟く。
「それをわざわざ敷かせておくなんて、酷い話だよな。喜んで導火線の上で生活してたって訳だ」
言いながら、火のついたキャンドルをトレイと一緒にカーペットの上に置き、指でちょんちょんと突っつく。
ぐらぐらとキャンドルが揺れて、やがて、パッタリと倒れた。
すぐに、チリチリと毛足の長いカーペットが燃え始める。
「しかも、火災報知器とスプリンクラーは壊れたまま、か。最初から消す気だったとしか思えねえ」
言いながら、柴田は雪奈の方を見ないようにして、玄関に向かう。
カーペットの火は、結構な勢いで燃え広がりつつあった。
柴田は、ちら、と雪奈の方を一瞥した。炎は、次第に雪奈の転がる寝室に延び始めていた。柴田はハンカチで口許を押さえ、煙を吸わないようにしながら玄関のドアを開けた。
ドアを開けた途端、いきなり、柴田の顔面に、硬い拳が叩き込まれた。
前のめりに外に出ようとしていた柴田は、後頭部から床に叩きつけられて、炎が広がりつつあるダイニング・キッチンまで転がり、白目を剥いて崩れ落ちた。
「ったく」
拳を柴田に叩き込んだ男が、舌打ちしながら部屋に乗り込んでくる。
ふわふわの長髪。ピンクのピンヒール。フリルのついた、可愛いシルエットだが少しセクシーなラインのワンピース。
「権藤のオッサンが見に行けっつーから来てみれば、犯行現場かよ」
ドスの利いた声で吐き捨てながら、長身の美女にしか見えない元ボクサー、神崎美春が部屋に入ってきた。
「ゆ、雪奈! 」
その後ろから、美春を押しのけるようにして、白髪を丁寧にオールバックにまとめ、ダークスーツに身を固めた初老の紳士が飛び込んでくる。手には、廊下に置いてあった消火器。雪奈の父、ソムリエの小諸明だった。
何故か雪奈は、カードキーの予備を父に渡していた。権藤がそのことも合わせて美春に教えたので、美春は鍵を借りに行ったのだが、頑として小諸が承知せず、止むを得ず同行したのだった。
「わ、ちょっと待っ……」
状況を確認しようとする美春の声も聞こえない様子で、小諸はいきなり消火器を作動させた。
部屋中に、カーペットの燃える煙と白い消火剤が充満する。燃え始めの炎は、それ一発で鎮火した。
消火剤の霧が晴れるのも待たずに、美春は奥の部屋に飛び込んで、雪奈を抱き起こした。呼吸を確認し、身体の傷を確認する。
手ひどく、痛めつけられていた。むき出しになった肌は傷だらけ、骨も折れていそうだった。
「小諸さん、ジャケット貸してください」
美春は、呆然としている小諸に、厳しい声で言った。
「とりあえず、病院に行きましょう」
「いや、それより救急車を……」
「いや、騒ぎになるのはマズい。雪奈までパクられる」
美春は、ぴしゃりと言った。
「とりあえず、まだ回りに騒ぎは広がってない。雪奈を、足のつかない所で診てもらいましょう」
「しかし……」
「言い争ってる暇はないわ」
美春は、雪奈を一旦ベッドに下ろし、窓のカーテン留めの帯で、消化液にまみれて転がっている柴田の手足を縛り上げた。
「とりあえず、行きましょう! 」