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Section.4 スキップ・ビート(2)

 この街は、湖を挟んで、東側の河口に江戸時代から続く旧市街地が、西側の海に抜けていく河口に高層ビルの集中する新市街地がある。

 大島のガレージやケルンのある方が旧市街地で、少しレトロな、悪く言えば商店街の空洞化も結構進んだエリアである。その代わりに、少し捻った隠れ家的な店も多く、最近は観光客や学生で賑わいも出て来つつある。

 新市街地側は、そういう通好みの店がない代わりに、地方で一軒だけしかないスターバックス・コーヒーをはじめ、フランチャイズ系の店がたくさんあるエリアである。ガラス張りのビル、行き交うビジネスマンやキャリアウーマン風の人々。混み合った車の群れ、ものすごいすり抜け方で走っていくスーパーカブやピザ屋のスクーター。

 中学の途中まで大都市圏で生活していたアイコには、妙に懐かしく感じる。

 人の手の暖かみがない、クリーンな工場でまるごと作られたような街。

 こういうのも、実は嫌いではない。サイレンサーからオイル混じりの排気を吹きだして走ることを除けば、SDRのスリムなデザインも、アスファルトとまちなみに溶け込んでいる。

 そんな、安っぽいが小洒落た街角の高層ビルの地下駐車場の片隅に、聖のGSX-RとアイコのSDRが、並んで停まった。

 聖は、ヘルメットを外すと、ウェスト・ポーチから化粧セットとブラシを取り出して、バックミラーを使って身なりを簡単に整え、ライダーズ・ジャケットの前ジッパーを開いて、紅いネッカチーフの形を整える。ショートブーツのライディング・シューズを脱いで、どこに隠していたのか、ローヒールの、革の上下によく合う靴に履き替える。一見すると、ライディング・ウェアには見えないコーディネート。

 アイコは手櫛で髪をいじり、ジャージの上のプロテクターを外してSDRのハンドルにひっかける。化粧とはまだ縁がない。

 二人のライダーは、並んでエレベーターに乗り、ビルの一五階に登った。

 妙に凝った内装の、静かなエレベーターが、するすると上昇する。

 二人がエレベーターを降りると、上品な間接照明に照らされた小さなホール。ふかふかの絨毯を、ライディング・シューズとすぐ向かいの壁際に、かっちりと髪をムースで固め、ピンクのスーツを着こんだ笑顔の受付嬢が座った受付カウンター。

「こんちは、雪奈さん! 」

「こんにちは、上泉さま」

 にっこりと、華やかな笑顔で立ち上がった受付嬢が、丁寧に頭を下げる。胸のネームプレートには、「小諸」とある。

「アポイントをお受けしております。そちらは? 」

「マインドトラベルの新人です。ちょっとご紹介がてらに連れて来させていただきました」

 対する聖はいつものスーツではなく黒いレザーの上下だが、崩れた感じはしない。堂々とした態度で、受付嬢に言う。

「モデル兼ライター兼ディレクター見習いです」

「ちょっとお待ち下さい」

 受付嬢は、手許のインターホンを押し、小声で来客の扱いを尋ねる。入ってもらえ、というような返事があったらしく、受付嬢はさらににっこりと笑うと、カウンターから立ち上がり、磨りガラスのドアを開けた。聖と同じくらい、一七五センチくらいの、モデルのような長身。

「どうぞ」

「ありがとう、雪奈さん。ほら、いくよ、アイコ」

「あ、はいはい! どうもどうも」

 聖は、悠々と受付嬢の前を通り過ぎ、ガラスのドアの向こうのオフィスに入る。

 聖にひきずられるようにして、アイコも先に進む。何故か自分までぎこちない作り笑いを浮かべて。

 ガラスのドアの向こう側は結構広いワンフロアのオフィスになっていて、低めのパーティションで部門ごとの区分けがされているようだった。アイコは、物珍しさにきょろきょろと回りを見回す。きれいに片付いたデスクもあれば、書類に埋もれているデスクもあり、ひっきりなしに鳴る電話に応対しているスーツ姿のグループもあれば、Tシャツにジーンズで大型液晶ディスプレイでデザイン作業をしているグループ……これは、窓際の少し離れたところにまとめられている……もいる。

「こんちは、マインドトラベルの上泉ですー」

「あ、どうも」

 聖は、通りすがりにデスクに座っている人たちに簡単に挨拶をしながら、奥の方に進んでいく。どうやら、そっちに目的地があるらしい。とりあえず聖とは顔馴染みらしい社員たちは、挨拶を返しながら、皆一様に不審そうな顔でジャージ姿のアイコをちらりと見、首を傾げながら特に何も言わずに仕事に戻っていく。

「聖さん聖さん」

 アイコは、聖の袖を右手でつかまえて、小声で言う。

「これはなんのイジメ? ! 」

 頬真っ赤に染め、涙目で聖を睨みつける。

「イジメというか」

 聖は、歩く速度を緩めずに、アイコの耳に口を寄せるようにして、にこやかに言う。

「新手の羞恥プレイ? 」

「ひでえ! 」

 アイコは、思わず立ち尽くす。

 聖が、アイコの肩を抱くようにして、実際にはヘッドロックでもかけるような勢いで引きずっていく。

「しっ、ここ、お得意様なんだから」

「ええっ? ! 」

「とりあえず、馬鹿みたいに見えてもいいからニコニコしてて」

 聖は、何か言い返そうとするアイコを、鋼鉄の笑顔で黙らせる。アイコは、どうしていいのかわからず、とりあえず黙って、ぎこちない泣き笑いを浮かべながらひきずられていくしかない。何が起きているのか、ここがどういう場所なのか、何故自分が連れてこられているのかも分からないのだからどうしようもない。

 それに、どちらにせよ、自分の今のボスは聖なのだから、ボスがそうしろと言っている以上は信じるしかない。聖を信じることを決めたのも、アイコなのだから。

 短い戸惑いのうち、そう覚悟して、アイコは聖の後ろを自分で歩き始めた。

 相変わらず、オフィス中の無言のクエスチョン・マークが、紅いジャージの背中に突き刺さってくるようだったが。

 やがて聖とアイコは、広いフロアの一番奥のパーティションにたどり着いた。

 そこだけは、大きめの木のデスクと、パソコンラックが別になっていて、本棚が壁に取り付けてある。その前には、小さな応接セット。

 大きなデスクでは、一人の、どちらかといえば冴えない外見で、菜っ葉服のようなスーツを着た初老の男が、一心不乱にノートパソコンに見入っている。デスクの上には、黒い三角形の木製名札が置いてあり「代表取締役社長」と書かれている。

「失礼します」

 聖が、こんこん、と机をノックした。

「マインドトラベルの上泉です」

「ご無沙汰ですね、どうも」

 初老の男は、銀縁の眼鏡をずりあげ、聖の方に糸のように細い目を向ける。口許には、柔和な笑み。

「この前の号、どのくらい出ました? 」

 表情の割にはぶっきらぼうに、しかし決して不機嫌ではない調子で、男が尋ね、革の大きな椅子を回して聖の方を向き直る。

「一万刷って、七千ってとこです。御社に広告いただいてるおかげで、なんとかスタッフ一同、生き延びてます」

 聖が、小さく頭を下げる。アイコも、あわてて体をくの字に曲げてお辞儀。

「それは何より。喜ばしいことです」

 聖の目を真っ直ぐにみて率直な感想を述べると、男はその後ろの紅いジャージの少女の方に視線を移した。

「ところで、今日は社会見学ですか? それとも体験学習? 」

「え……? 」

 自分のことを言われていることに気付くまで、二秒くらいはたっぷりかかっただろうか。アイコは、少し紅潮させていた頬を真っ赤に染めて、両の拳を握りしめ、ついつい大声で言った。

「あたし、中学生じゃありません! 」

「ほう? 」

「中学は卒業して、それで、今は……あれ? ええと」

 アイコは、続きを叫ぼうとして、口ごもる。逡巡。

(あたし、今、なんなんだろう。なんて言えばいいんだろ? )

 初老の男も聖もアイコも、一瞬、全員が黙り込んだ。妙に、オフィスの中の雑音が大きく聞こえる。

「あはは」

 白い歯を見せて笑いながら、聖が楽しそうにばんばんと、立ち尽くしているアイコの背中を叩いた。けほけほ、と咳き込むアイコを指して、初老の男に言う。

「面白いでしょう? うちの新人なんですよ」

「面白いですなあ」

 初老の男は、微笑をたたえたまま、答える。

「自分がなんなのかも分からない状態に置かれる、という、稀少な機会を逃がさないんだから」

 初老の男は、アイコを頭の先から爪の先まで舐めるように眺めて、大きな口をにい、と吊り上げた。

「自分のことを分かってる人は、中学生みたいなジャージで出歩かないでしょうから」


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