Section.12 Believe……。(4)
とっくに閉店しているケルンの灯は消えていなかった。
店の前にバンを停め、眠っていた雪奈の尻を蹴っ飛ばすように叩き起こして車から引っ張り出す。ぐにゃぐにゃして重いことこの上ない。聖自身も、珍しく体の芯から疲れを感じていた。よく考えれば、雨に濡れて家に帰り、そこで「狼男」に出会ってすっころばされ、状況を整理する間もなく雪奈に呼び出された上、顔なじみの宮田が殺されていたなどと聞かされたのだから、意外に平気なこと自体、異常なのかも知れなかった。
「おら、自分の足で歩け雪奈! 」
「うえーん」
寝起きのせいか、いつもの泣き虫が急に顔を出したらしく、雪奈は普通に半泣きしながら車を降り、聖に引っ張られるようにして店の方に連れて行かれる。
「わ、おっかえり、聖さん! 」
聖がドアノブに手をかけた途端、急にドアが開いて、妙にテンションの高いアイコが飛び出してきた。
聖は突然のことにちょっと驚いて体を引く。雪奈の頭が背中にぶつかる。アイコが、飼い主を迎える子犬のように、遠慮なく聖に飛びついてきた。聖が体を反らしてアイコを抱き留めたので、さらに押し出されるようにして雪奈が派手に尻餅をついた。
「いったあ! 」
コンクリートにしたたか打ちつけられて、雪奈は怒りの声をあげた。
「このチンクシャ! 何しやがる!」
「わあ、ごめんなさい……って、あんたあの時のパンク女! 」
一瞬謝りかけたアイコは、雪奈の顔を見て、フーッ、と猫のように唸る。
「何しに来たの? またぶん投げられたい? 」
一瞬きょとんとした雪奈は、アイコから投げつけられた言葉を理解すると、きい、と金切り声をあげ、目尻を釣り上げながら地面を叩いて飛び起きた。厚いファンデーション越しにも分かるほど、怒りで頬が紅く染まる。
「ふざけんな! そっちが突き飛ばしたんだろ! 傷害罪で警察呼ぶわよ! 」
「せいとうぼうえい、だもんね! 」
べー、と、聖を楯にしながら、アイコが舌を出す。
「お前、意味分かってるのかよ! 」
飛びかかりそうになりながら、雪奈は前にアイコにぶん投げられたことを思い出して、なんとか思い止まる。年下とはいえ、腕力でアイコに勝てる道理がなかった。
「……つうか、人を挟んでじゃれあうなよ、あんたら」
聖が呆れ顔で二人の会話に割って入る。
「ただいま、アイコ」
「お帰りなさい、聖さん! 」
「あんたには悪いけど、きょうはコイツ、お客さんなんだ。噛みつかないでやってくれる? 」
「聖さんがそう言うなら……」
アイコは、聖の顔を見てにっこり笑い、それから、雪奈の方を冷ややかに眺めて、仕方ないな、という風にうなずいた。
「いい子だ」
くしゃ、と、アイコの髪を掴むように撫でて、聖は店に入っていく。アイコは、べえ、と雪奈に舌を出して、聖についていく。
「……いつか泣かす」
雪奈は小さく呟くと、数歩遅れて、店に入った。
とたんに、むっとする匂いに押し返され、思わず閉じた扉に背中をぶつける。
濃厚な、ビーフシチューのような匂い。
「ちわ、数日ぶり」
珍しく、カウンターの中ではなく、客席側に座ってオン・ザ・ロックをちびちびやっている大島に、聖が手を上げて見せる。
「よう、数日ぶり……って、珍しい生き物を連れているな」
薄暗い、狭い店内だというのに、ZZトップ髭の大島は、サングラスを外さず、振り返りもしないで言った。耳ざとくそれを聞きつけた雪奈は、店内に立ちこめる濃厚な匂いに脂汗をかきながら、敵を威嚇するスピッツのように歯をむいて何か言おうとした。
口を開けたせいで、ただでも鼻をつく肉のシチューの匂いを、思い切り吸い込んでしまったらしい。
雪奈の顔色がみるみる蒼ざめ、とうとうたまりかねたように唇に両手を当てると、前かがみになって後ろ向きに店を出た。
這うようにして、ガードレールの脇の、大きめの側溝にたどり着くと、雪奈は四つんばいになって嘔吐した。
胃の中にはコーヒーくらいしか入っていなかったので、すぐに胃液と唾液しか出なくなったが、それでも、雪奈はげえげえと吐き続けた。
「な……なによあんた! 」
何が起こったのか分からずに、店を飛びだして追ってきたアイコが、怒りで頬を染めながら、雪奈を蹴り飛ばす。
「食べてもみないうちからそんな思い切り吐くことないじゃん! 」
「う……」
蹴られた雪奈は、前のめりに草むらに顔を突っ込んだ。
のろのろと立ち上がると、泥だらけになった顔でアイコを睨みつけて、低く呟く。
「……うっせえよ」
さすがに雪奈も素人ではない。本気で怒れば、それなりに迫力があった。
アイコも少し気圧されそうになり、かえって怒りをかき立てられて、拳を握りなおした。
「……なんだよ」
アイコと雪奈は、しばし視殺しあうかのように睨みあった。
先にキレたのは、雪奈の方だった。
「うるっせえ! 」
雪奈は、どこにそんな声量を秘めていたのか、耳を裂くような、しかも太い大声をあげた。
「バカガキどもに輪姦させてから、手足切り落としてダルマにして港に投げ込んでやる! このチンクシャ! 」
「その前に、あんたが泣いて謝るまでぶん投げてやるよ 」
売り言葉に買い言葉、ではないが、地元で恐れられている低く冷ややかな声で、アイコが応酬する。これも、地のアイコの姿だった。
「もともと気にくわないんだ。大勢いれば強いとか勘違いして人に迷惑かける奴。そういう馬鹿のおかげで、春原はひどい目にあったし、あたしは受験できなかったんだし」
「はああ? 誰のハナシだよ! 知るかよ! 」
完全に我を失ったらしい雪奈は、裏返った声で言うと、太股のナイフ・ホルスターに手を伸ばした。ゴシック・パンクの小道具に見えるそれには、本物のバタフライ・ナイフ。震えながら両手でそれを支持しながら、雪奈は腰を落とした姿勢をとる。本気で刺すときの構えは、教えられているらしい。アイコは警戒し、半歩、後ろに下がると、本格的に身構えた。
「やめんか、アホども」
いつの間に追ってきたのか、店から出てきていた聖が二人に声をかける。雪奈とアイコは、睨み合ったまま返事もしない。聖は、肩をすくめ、溜め息をつくと、ぽか、ぽか、とアイコと雪奈の頭を順番に拳で殴った。
意外と強いパンチだったらしい。
アイコと雪奈は、それぞれ猫と室内犬のような悲鳴をあげて、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「アイコ、雪奈は今日はひどい生肉を見て気分を悪くしてるんだ。あんたの料理のせいで吐いた訳じゃない。それと、雪奈もマジで刺そうとするんじゃないよ」
「ううう」
「わ……わかったよ」
アイコは、殴られた頭頂部をさすりながら立ち上がって、雪奈の方に視線を向けた。にらみ返す雪奈に、ぶん、と頭を下げて、小さな声で言う。
「勝手に誤解してごめんなさい」
「……」
「あんたのことは好きじゃないけど、誤解したのは悪かった! ごめんなさい」
「あ、あんた、訳わかんないよ! 」
言いながら差し出されたアイコの手に、怖いものでもみるかのように視線を釘付けにされながら、雪奈はそっぽを向いた。
「ママの手料理で、唯一ちゃんと作れそうなものを作ってた。あんたが吐いたの見て、ママが馬鹿にされた、って思ったら、急にカッとしちゃって」
「だから、そんなわけねえだろ! 」
雪奈は、ガードレールに捕まりながら起き上がって、怒鳴った。




