Section.11 ここだけの、話。(5)
聖が、空荷のトランスポーターで店先に乗りつけてみると、ゴス・パンクの女が一番奥のボックス席で頭を抱えているのが、ウィンドウ越しに見えた。
とりあえず店の前の路肩にトランスポーターを置き、聖はドーナツ店の自動ドアをくぐった。濡れたライディング・ウェアはマンションで脱ぎ捨てていて、商売用のスリーピースのスーツ姿だが、靴がごつい黒革のブーツだった。
「雪奈! 」
聖が声をかけると、雪奈はびくん、と肩を震わせて、のろのろと頭を上げた。
聖は、雪奈の顔を見て思わず立ち止まり、口許を抑えた。聖にしては、女らしい仕草。
雪奈の白塗りゴスパンク・メイクが、涙とか汗で流れて、まるでナイトメア・ビフォア・クリスマスの人形のような顔になっていた。紫のルージュとか、濃いマスカラとかアイシャドーとか、まるですべてが溶けた絵の具のようだった。
「ひじり、さあん……」
情けない声をあげて、雪奈は上目遣いに縋るような目で聖を見た。聖は、なぜかデ・ジャ・ブを覚えながら、溜め息をついて、雪奈の前に立つ。
「なんだよ、そりゃ。泣く子も黙る明和会の姐さんが、そんな顔して」
「……だって、さ……」
雪奈は、小刻みに震えていた。寒いわけでもないだろうに。雨に打たれたあと、ゴムマスクの「狼男」にコンクリートに叩きつけられた聖の方が、寒さで震えそうだった。
「とにかく! 」
聖は、左手で持っていたトートバッグから、新品のフェイス・タオルと化粧ポーチを引っ張り出し、雪奈の前にどん、と置いた。
「顔、洗ってこい! それから、話は聞いてやるから! 」
「……うん」
いつもなら噛みつき返してくる雪奈が、今日はおとなしく聖の指示に従う。のろのろと化粧ポーチとタオルを手に取って席を立ち、化粧室に歩いていった。
途中で目が合った高校生のカップルが、一瞬ひ、と縮み上がり、目を逸らすのが、聖にはよく見えた。聖は溜め息をつき、カウンターに戻ってホットコーヒーを注文した。
一旦化粧室に入ると、雪奈はなかなか帰ってこなかった。
聖は、雪奈の座っていた席の向かいに座ると、ゆっくりコーヒーを飲み干し、それから煙草に火をつけた。それも短くなった頃、店員がコーヒーのポットを持ってきたのでお代わりを頼む。それも半分くらいまで減ったところで、ようやく雪奈が化粧室から戻ってきた。
少しは落ち着いたのか、化粧を落とした雪奈は、もう震えてはいなかった。むしろ、死んだような目で、のろのろと席に戻ってきた。
瞼は腫れぼったくなっていて、いつもは大きめのアーモンドのような雪奈の瞳が、少し小さく見える。
「……スッピンはさすがにちょっと厳しい歳になったな、雪奈も」
聖が妙に実感を込めて言ったのを聞きとがめて、雪奈は両手で顔を覆った。指と指のすき間から、上目遣いに聖をにらむ。
聖は、二本目の煙草に火をつけながら、言った。
「……雪奈、一重瞼になってる」
「ひいい」
雪奈は大げさに震え上がり、それから、席についた。
顔を覆ったままテーブルに肘をつき、うな垂れる。
聖は、背もたれに体重を預けて、雪奈が口を開くのを待った。
雪奈は周囲を見渡し、前後の席には誰も座っていないのを確かめる。それから、窓の外、店の入り口に視線を走らせ、異状がないのを確認して、ようやく顔を覆っていた手をどけた。
「……聖さん、大変なことになった」
雪奈が小さな声で言うので、聖は仕方なくテーブルに伏せるようにして、耳を雪奈に近づける。
「宮田が、殺られた」
「やられた? 」
「さっき、見ちゃった……宮田の死体」
コップでも落として割ったみたいな口調で、雪奈が言った。
聖は思わず雪奈の目を正面から覗き込んだ。いつもの、ふざけたような瞳ではない。雪奈は真剣そのものだった。 聖は残りのコーヒーを飲み干した。
「どういうこと? ちょっと整理して話して」
「あたし、宮田に、浜橋皆山を軽く締め上げて情報持ってくるように指示してたんだ」
雪奈は、聖をまっすぐに見つめ返して、答えた。が、その瞳にはまるで力がない。人形のような目。
「それは、今日聖さんたちと会う前なんだ。というのは、」
「本当は、みんなの前でそれを自慢したかったから? 」
むしろ聖の方が耐えられなくなって視線を外す。 こんなに空っぽの目をされるくらいなら、いつものように面白くない悪態でもつかれている方が百倍マシだった。
「それも、ある」
雪奈は、思いもよらないほど素直に頷いた。
「アテにならない連中と差をつけてやろうとは思ってた」
「相変わらずなんだな、そこは」
「あたし、好きな人に気に入られるためならさほど手段は選ばないから」
雪奈はさらりと言ってのけ、聖の指から煙草をつまみとって自分でくわえた。
「正直言えば、聖さんの一番の、本当の味方があたしだって、認めさせたかった」
「……あんた、大丈夫? 」
聖は、気味悪そうに言う。
「ショックでどっかネジ外れたんじゃない? 」
「あたしのネジは、ずっと前から外れっぱなしだよ」
雪奈は、じっと聖を見つめ返しながら、妙にしんみりとした口調で言った。
聖は思わず目を逸らし、唇を尖らせる。
「……で。それから? 」
「すぐにでも、携帯に連絡するように言っておいたのに、連絡がなかった。で、予土さんたちと『マインドトラベル』の編集部を出た後、皆山のところに様子を見に行った」
雪奈は、聖から視線を外さないまま、続ける。
「あんた一人でよくあんなとこまで行ったね」
聖は、そっぽをむいたまま、意外そうに言う。浜橋のアトリエに行くには、雪奈がいつも乗っている大型セダンでは入れない道を通らなければならい。
「柴田に……ああ、宮田の弟分で、明和会から預けられてる若い奴なんだけど……に運転させた。なんかちっちゃいジープみたいな奴で」
「ああ、あのリーゼントか」
「で、浜橋のアトリエに行ったら、全然人の気配がしなかった」
「……」
「だいたい、作品造るのに専念してるときは、浜橋はボランティアも客も締め出してるから、今日もそうだと思って試しにドア開けてみたら、鍵がかかってなかった。あたしは柴田を車に残して、独りでアトリエの中に入った。全然人の気配がしなかったし、明かりも消えてて真っ暗だった。おそるおそる、作業部屋を覗いてみたけど、皆山も宮田も姿が見えなかった。それで、あたしは厨房の方かと思って、そっちに向かった。厨房の方は、窓があるせいで少し明るかったから。そしたら、」
雪奈は、そこで急に、咽を詰まらせたように言葉を切った。
聖が、ちらり、と雪奈に視線を戻すと、雪奈はまたぼろぼろと涙をこぼし、小さくしゃくりあげ始めていた。
「……そしたら? 」
聖は、雪奈の口から、短くなった煙草を引っこ抜いて、灰皿で揉み消した。
雪奈は、咽につかえた小骨でも吐き出すかのように、言った。
「つまづいた。服が汚れた。血まみれで、宮田が倒れてた」