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Section.10 純情(5)

「しおらしい声出すから、すっ飛んできてみれば」

 顔を掴むように掌で覆って、一樹は天を見上げた。

「ただのガス欠かよ!」

「そ、そんな大声でわめくなあ! 」

 一樹がどこかのガソリンスタンドで借りてきた携帯用のガソリン・タンクからGPzに給油しながら、アイコが唇を尖らせる。白い頬が、恥ずかしさで紅潮していた。

「仕方ないじゃんか。目の前走ってるトロくさいCBRをつっついてたら、リザーブになってるの忘れてたんだ! 」

 ガードレールの向こうには、見渡す限りの水田。曇り空のせいか、カエルの鳴き声が結構耳に障る。

 一樹が見つけたとき、アイコはGPzの脇で体育座りをして空を見上げていた。ぽつんと一人で。一樹が車を停めても、アイコはしばらく反応しないでそのまま人形のように固まっていた。

 一樹は車を降りて、アイコの後頭部を軽く平手で張り飛ばした。

 アイコはようやく気がついて、一樹を不思議そうに見上げ、それから、急に一樹に抱きついた。数秒、一樹にしがみついていたアイコは、何事もなかったようにけろりとして、ガス欠なんだ、と言った。

 一樹は、再び車を走らせて、ガソリンスタンドでガソリンを買い、もう一度アイコのところに戻ってきた。

 アイコは、一樹が最初に見つけた時と同じ場所で、同じポーズで、一樹を待っていた。一樹はガソリン・タンクをアイコに渡し、自分で給油するように言った。アイコは頬をふくらませて、一樹さんは優しくない、とかなんとか言いながら、細い割には力の強い腕でガソリン・タンクを持ちあげた。

 そして今、頬を赤くしながら、ガソリンを給油している。

 むに、と、一樹はアイコの頬を軽くつねって、言った。

「そもそも、ひよっこライダーが人様をつっつくな! 」

  突然の攻撃に、アイコは、ひゃあ、と悲鳴を上げてタンクを地面に取り落とす。がしゃんとひどい音がしたが、ガソリンはもう空だった。

「大体が、今日初めて借りたマスターのGPzだろ! 壊したらどうするつもりだったんだよ」

「それは、反省してる……」

 アイコは、ガソリン・タンクをこつんと蹴っ飛ばしてから、しゃがみ込んで拾う。

「良かった、へこんでない」

「あのな……」

 アイコの上の空のような様子にしびれを切らしたように言って、一樹は頭を抱えた。アイコは、ガソリン・タンクを抱きかかえるようにして、呟くように言う。

「ごめん、ちゃんと反省してる」

「はあ? 」

 思いがけないアイコの言葉に、今度は一樹が驚き、思わず聞きかえしてしまった。

「なんだよ、しおらしいな」

「ちょっとは素直で可愛いと思う? 」

「いや、むしろ気味悪い」

 一樹は、本当に気味悪そうに顔をしかめた。

「どっか打ちどころでも悪かったのか、変なもんでも食ったか」

「わああん、一樹さんがヒドい」

 アイコは、大げさにうそ泣きをしてみせる。一樹は溜め息をついて踵を返し、アイコに背を向けて路肩に寄せた自分の車に戻ろうとする。

「わかったわかった。ガソリン代はオゴリにしといてやるし、ヒトのバイクで無茶やってたことはマスターには黙っといてやるよ」

「……そんなんじゃないよ」

 アイコは、妙にはっきりした声で、言った。

 一樹はふと違和感を感じて、首を回してアイコの方を見返した。

 アイコは、左手の腕で顔を半分隠したまま、少し足を開いて踏ん張っていた。まるで、そうでもしないと立っていられない、というように。

「そんなんじゃない」

 アイコは、もう一度そう言って、腕を顔の前からどけた。

 一樹は、思わず、ぞく、と身を震わせた。

 アイコの色素の淡い瞳からは、いつものような無邪気な光が消え、代わりに湖のような深さが浮かんでいた。

「ガス欠なのは、GPzだけじゃないんだ」

 アイコは、淡々と、どこか虚ろな声で、言った。

「あたしだって、すっからかんだよ」

「……アイコ? 」

 一樹は、もう一度体全体でアイコに向き直る。アイコは、神経質そうに、左手で自分の右の二の腕を掴んで、俯き加減に地面に視線を落としていた。

 ぽつり、と、雨粒がアイコの頬に当たった。

「ごめん、一樹さん」

 アイコは、本当に申し訳なさそうに、言った。

「呼び出したりして、ごめん」

「いや……そんなに、改まられると……」

 一樹は何故か妙な焦りを感じながら、あたふたとアイコに歩みる。

「どうした? らしくもない」

「うん……」

 アイコは、顔をあげて一樹の目を覗き込むように見た。

 少し気圧されたように、一樹の足が止まる。アイコは、何か不思議なものでも見るような目をしていた。

 少しの間、アイコは一樹を見つめたまま、考え込む。

 一樹は、さっき「マインドトラベル」の編集室を飛びだしたときに感じたのと同じような、少しいたたまれない気持ちになりかける。

 一樹には、アイコの考え込んでいた時間が、ひどく長く感じられた。

 小さい雨の粒が、ぽつり、ぽつりと、頬や首筋を叩き始める。

 ようやく、アイコは決心したようだった。

 一樹から目をそらし、伏し目がちに、ためらいながら、言う。

「……一樹さん」

「お、おう。なんだ? 」

「約束してくれる? 」

 アイコは、足下に転がっていた小石を、ライディング・ブーツで道路側に蹴りだした。

 通りがかった車が小石をはねとばし、走り去る風に、アイコの柔らかい髪が揺れる。

「聖さんには、黙っておいてくれるって」

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