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Section.10 純情(2)

 アイコが通り過ぎた頃、「マインドトラベル」編集室には、聖と雪奈、美春と一樹、それに予土が顔を揃えていた。

 こんなメンツで集まるのは、創刊の時以来だった。

 最近の「マインドトラベル」は、リョータやミサキたち、本職のデザイナーやライターの手で運営されていた。今日集まっているのは、右も左も分からなかった聖が、とにかく本を作るために、最初に集めたメンバー。久の友人だった一樹に予土、久の恋人だったという雪奈、同級生の美春。ずっと年上の大島こそ加わっていないが、このゲームを最初に始めたメンツ。

 最初の頃、雪奈や一樹は大学生だったし、予土もただのフリーターだった。雪奈は今や街の裏社会の顔役・岸川の情婦、反対に一樹は、せっかく警察官になったのに、ちょっとしたハズミでフリーター。予土は、若手というほどではないが中央の雑誌のコラムも手がける地方在住のフリー・ライター。一番変わったのは美春で、プロボクサーの練習生だったのがいまではオカマ・バーのママ。大雑把で荒っぽかった聖も、随分スーツの似合うビジネス・ウーマンっぽい立ち居振る舞いを身に付けて、経営者のふりなんかしている。

 聖は、自分で呼ばなかったのに、アイコがここにいないのが、なんとなく不思議な気がした。まだ数週間しか経っていないのに、このメンバーと同じくらい、聖の中では重い存在になっているようだった。聖自身もあずかり知らないうちに。

 五人は、いつものように無駄口を叩くこともなく、むしろ不機嫌な面持ちで、編集会議で使い込まれた円卓を取り囲んでいた。雪奈だけがふてぶてしい笑いを顔に貼り付けていたが、それ以外の四人は、疲れたような、困ったような表情を浮かべていた。

 美春と聖の前には、編集室があるスペースの前のカフェから取り寄せたシフォン・ケーキの皿。抹茶入り。

 聖は、短くなったショート・ホープを灰皿で揉み消して、四人の顔を見渡した。

 初めて集まったときと変わらないようでいて、変わっている四人。

「……急に、集まってもらって、悪かった」

 聖は、一言ずつ、噛みしめるように、言った。

「どうしても、話しておきたいことがあって」

「なんですか、改まって」

 今日はバイトがないので、いつものインチキ臭いスーツ姿ではなく、ラフなジーンズ姿の一樹が、不審そうに聞き返す。

「しかも、なんですかこのメンツ。予土さんや美春さんはともかく、なんで雪奈まで」

「あーら、随分じゃないの」

 少しむっとしたような口調で腕を組み、雪奈が一樹を睨みつける。今日は仕事中に抜けてきたらしく、受付嬢のピンクのスーツ姿だが、口調や態度は悪役パンクの時と変わらない。

「あたしだって貧乏臭い中年フリーターの顔なんか見たくないよ」

「ちゅ……」

「あんまりなめた口聞くと、手下使って湖の底に沈めるよ? 」

 言いながら、首切りのジェスチャー。一樹は舌を出して肩をすくめ、反論を諦める。

「ま、察しはついてるよ」

 冷めたコーヒーカップに口をつけて、予土が割って入る。

「このメンツってことは、さ。なあ、美春君」

「……そうっすね」

 美春も、いつもの女性口調ではなく、投げやりな感じのする口調で答えた。美春も、ヒラヒラしたワンピースなどではなく、タンカー・パンツにTシャツ、迷彩ベストという出立ちで、髪をバンダナでアップにまとめている。

 予土だけが、いつもと変わらない、安っぽいスーツ姿だった。

「で、何か進展があったのか? 」

 予土が、聖の目を覗き込むようにして、尋ねた。

「あったわよ、大きな進展が! 」

 聖が答えるより早く、大きな声で雪奈が言い、大げさな身振りで椅子から立ち上がると、キスするかのように予土の顔を覗き込んだ。

「これまで何年かかっても分からなかったことが、急に分かったっていう! 」

「小諸さん、悪いけど君にはきいていない」

 予土はそれにはとりあわずに、言う。

「上泉に聞いてるんだ」

 雪奈は一瞬信じられない、という顔をした。すぐに怒りで顔が真っ赤に染まる。予土の頬に張り手を見舞おうとした雪奈の手を、美春が左手で制した。

「な……」

 今度は美春に食ってかかろうとして、雪奈は口を大きく開いた。が、美春の冷ややかな鋭い目でにらみつけられて言葉を吐き出し損ねる。無理に空気を飲み込んだ雪奈は、美春の手を振りほどいて、ふん、と鼻を鳴らし、聖の隣の席に乱暴に腰を下ろす。

「聖さん、あたしだけアウェーなんだけど」

「空気読まなすぎでしょ、あんたも」

 聖は、眉間に皺を寄せて雪奈に渋い顔をしてみせた。それから、改めて、雪奈を促す。

 雪奈は頬をふくらませ、ぷい、とそっぽを向いた。

 聖は溜め息をついて、話し始める。

「雪奈がね、気付いたんだ」

「……」

 聖を除く全員が、意外そうな顔をして、雪奈を見た。

 雪奈は、妙に自慢気に胸をはり、聖の後を引き継ぐ。

「シルバーバレットは、実は何年も前から、あたしたちのすぐ傍にいた」

 雪奈は、ふん、と鼻を鳴らした。

「地元のジーさんたちに食い込んで、ね。岸川もその一人だったってわけ」

「もったいぶるなよ、雪奈」

 美春が目を細め、低い声で言う。

「あたしは気が短い」

「わあ、怖ーい」

 美春は憎々しげに雪奈を見て、聖の影に隠れて舌を出した。

 聖は、たしなめるように、こつんと軽く雪奈の額に拳骨を当てた。

 雪奈は聖にはにっこりと笑い、美春には少しばかり憎悪のこもった視線を投げて、続ける。

「ヒント。今、その人は、鉄クズじゃなくて、泥をこねてる」

「泥? 」

 予土が怪訝そうに聞き返し、それから、少し考え込む。

 そして、しばらくして、ぽん、と手を打った。

「……さっぱりわからん」

「……何そのリアクション」

 一樹が溜め息をついた。予土は照れ隠しにははは、と笑い、聖と美春は顔を見合わせる。

 どん、とテーブルを叩いて、雪奈が怖い顔で予土をにらみつけた。

「予土さん、つい最近そいつに会ったでしょ。あのちんちくりんと一緒に」

「え……」

 予土は、そう言われて不意に思い当たったように、目を丸くした。

「まさか……」

「その、まさか、なんだって」

 ふー、と息をついて、冷めた紅茶を一気に飲み干している雪奈に代わって、聖が説明する。

「陶芸家の浜橋皆山先生が、伝説のチューナー、銀の弾丸」

 一樹と予土は、硬直したように黙り込んだ。

 久のGSX-Rや、摩耶の……その後狼男が乗り、今はアイコのものになっているSDRをてがけたチューナー。

「なんだって、そんなことが……」

「蛇の道は蛇、ってね」

 雪奈が、シフォン・ケーキにフォークを突き立てながら、言う。

「岸川が、皆山のこと結構かってて、作品展やったり、役所の助成とらせたりしてたのは知ってる? 」

「というか、俺はそいつ自体を知らねえ」

 一樹が口を挟む。雪奈は不快そうに片頬を釣り上げ、手にしたティー・カップ……この編集室の家主であるカフェで使っている、薄くて精密な感じのする白磁製……を、一樹の頬に押し付けた。

「これを造ってる奴だよ! 」

「わあ、何しやがる! 」

「山奥の廃校に住み着いて、地元のオバさんたちと有機野菜の飯屋とかやりながら陶芸やってる、いけすかない文化人! 」

「わかった、わかったから!痛え、口内炎出来るじゃねえか! 」

「あー、じゃれるな二人とも」

 美春が、雪奈と一樹を引き離した。

「……で、そいつがシルバーバレットだってのは、なんでわかったんだ?小諸さん」

「さすがオカマは話がわかるわねえ、神崎さん」

 雪奈は嫌味たっぷりに応えるが、美春はとりあわない。雪奈はつまらなそうにそっぽを向いて、言葉を続ける。

「あんまり岸川が皆山をひいきにするんで、親会社の社長の方からあたしに、二人の関係を探るように指示が来た。岸川は重鎮だけど、準構成員だから疑われたみたい」

「お前、岸川にとりいってたんじゃないのか? 」

「失礼ね。確かに今でも岸川には世話になってる。でも、ビジネスよ、ビジネス」

 美春が、ちょっときまり悪そうに言う。

「岸川を守ってやるためにも、本社にちゃんと返事しないとまずいと思ってたんだから」

「お前、組織内でどんだけ地位確立してるんだよ」

 警官経験者の一樹が、溜め息交じりに言う。

「明和会なんざ、いまどき流行らない、古い体質の地域暴力団だ。そん中で、武闘派の部隊任されてる若い女がいるって話、昔の同僚に聞いたけど。お前だったのかよ」

「ま、あたしにとっては明和会や岸川なんかより、聖さんの方が百倍怖いけどね」

「で、岸川の周囲を、本社公認で探ったわけだ」

 予土が、遠い目をしながら、煙草に火をつけた。

 煙の匂いが、つん、と広がる。

「そしたら、怖いおにいさん達が、皆山の過去を掴んできてくれた、って訳。もっとも、岸川はそのことに気付いてなかったみたいだけどね」

「怖いおにいさん、ってのは明和会のチンピラのことか」

 聖が、少し厳しい調子で、雪奈に言う。

「この前、アイコを襲わせた連中のことだな」

「あいつらは、あたしに任されてる」

 雪奈が、少し自慢気に応えた。

「岸川に預けられてることになってるけど、実質的な権限はあたしが持ってる」

「どうだか」

 美春が、気の毒そうな顔で言った。

「いい気になってると、足下すくわれるぜ」

「そんなヘマ、しないわよ! 」

 怒鳴る雪奈の口に、聖が残りのシフォン・ケーキを突っ込んだ。雪奈は目を白黒させ、口をもぐもぐさせる。

「で、あたしは、あたしたちのすぐそばにシルバーバレットがいることを知って、動いてみることにした」

 聖は、椅子から立ち上がって、その場にいる全員の顔を見渡した。

「それで、一度は思いとどまった大増刷をやったわけだ……」

 一樹が、ぼそっと呟いた。

 聖はそちらを見てうなずき、テーブルの上の「マインドトラベル」を広げる。

「狼男がアイコの家庭教師をやっていたとすると、そいつはアイコの顔を見て、必ず様子を見に来ると思った。シルバーバレットのSDRを与えるくらい入れ込んでるんだ。これが目に入れば、きっと反応はある」

「最初は増刷しても狼男の目に入るかどうか自信がなかったが、シルバーバレットの存在を知って、かなり可能性が高いと思ったってわけか」

 と、一樹。

「なんの根拠にもなってないと思うけど」

「まあね。それくらいは、分かってるつもり」

「じゃあ、なんで」

 聖は、少し考え込んで、にこ、と笑った。

「オンナの勘、て奴? 」

「はあ? 」

 一樹は頭を抱えた。

「そう、捨てたもんでもないよ、一樹」

 面白そうに、美春が言う。

「特に、虎みたいな野生動物の勘はねえ」

「おうよ。あたしを誰だと思ってる! 」

 聖が、自信たっぷりに言い、胸をどん、と叩く。

「虎姫……かっこいい……」

 雪奈が思わず見惚れたように呟いた。

 一樹と美春と予土が、ぎょっとしたように雪奈に視線を向ける。雪奈はかすかに頬を紅潮させ、瞳をうるませているように見えた。

 三人と目が合った雪奈は、あわててきつい表情を作り直したが、何故か熱でもあるかのように赤い顔をしていた。

「……まあ、ともかく、そうやって餌はまいた、って訳」

 雪奈が、少しうつむいたまま、話をまとめに入る。

「直接狼男がくいついてくるかどうか、分からない。でも、多分、何かの動きはある、と思う……」

「それで? 」

 美春が、ぶっきらぼうな口調で、聖に尋ねた。

「あたしたちに、何をしろって?」

「そうそう、そのことなんだけど」

 聖は椅子に座り直して、テーブルに頬杖をついた。

「とりあえず、予土くんには、次号の記事の確認するって名目で、皆山の方の様子見てきて欲しい。一樹と美春は、できるだけアイコにはりついて、狼男と接触してないか見張ってて。雪奈には今までどおり情報収集してもらう」

「そんなことだろうと思った」

 美春は、肩をすくめて、椅子から立ち上がった。

「……悪いけど、今の話はあたしはのれない。アイコ本人に頼みなよ」

 そう吐き捨てるようにいうと、そのまま、のろのろと歩いて編集室を出て行ってしまう。

 美春の袖口を抑えようとした雪奈を、聖が思い止まらせる。

「俺もです」

 一樹も、美春の後を追うように立ち上がる。

「いくら聖さんの頼みでも、久さんの仇討ちのためでも、出来ない相談ですよ」

「……そう言うと、思ってたよ」

 聖は頬杖をついて、片手で雪奈の襟首を捕まえながら、言う。

「らしくないですよ、聖さん」

「そうかい? 」

「久さんだって、こんなことは望まない」

「あいにく、」

 聖は、変なところで言葉を切った。

「一樹も知ってる通り。あたしは、久みたいな超人じゃない」

 聖の表情は、立ち上がっている一樹の方からは陰になって見えない。淡々とした声。

「あたしはただの虎だから。獲物が目に入れば、噛みつかずにはいられない」

「あんたの獲物は狼男であって、アイコじゃないはずだろ」

 がた、と、椅子を倒しながら立ち上がった雪奈が、一樹に詰め寄った。

 驚く一樹の頬に、いきなり、平手打ち。

 ぱあん、といい音がした。

「何するんだよ! 」

「北原、あんたは誰の味方? 」

 雪奈は、噛みつきそうな表情で尋ねた。

「聖さんの味方?それとも、あのガキの味方? 」

「……そんなこと、言われても」

「ふざ、ふざけんな! 」

 怒りのあまりか、少し言葉を噛みながら、雪奈は一樹を蹴り飛ばした。

 たいして痛くはない。

 一樹はしかし、雪奈の突然の激怒に驚いて、周囲を見渡した。

 予土も聖も、うつむいたまま、何も言わない。

 一樹は、いたたまれなくなったように、編集室を駆け出して行った。

「やれやれ」

 と、予土。

「ばっかじゃねえの、あいつ! 」

 雪奈の怒りは、まだ収まらない。

「神崎はあれでスジに拘る男だから、まあ、最初からそう言うと思ってたけどな」

 予土は、聖の前のシフォン・ケーキをフォークで少し削って、口に放り込んだ。渋く冷たくなってしまった紅茶で流し込む。

「一樹がアイコに入れ込んでるのは予想外だった」

「それは、あたしが悪い」

 聖は、珍しくうつむいたままだった。

「一樹は、あたしの味方でもアイコの味方でもない。正義の味方、だからね」

「け、くだらない! 」

 雪奈はテーブルに腰をかけ、拳と平手を打ち合わせた。

「聖さんが。一番嫌いなやり方。それでもやってやろうって時に、自分だけ良い子ぶるなんてさ」

「本当、甲斐のない奴だ」

 あはは、と、脱力したように笑って、聖は顔をあげた。

 雪奈には、一瞬、ふぬけたような表情が見えたような気がした。

 が、意識するまでもなくそれは消え、聖は、いつもの傲岸不遜な笑みを浮かべて、拳を握った。

「仕方ないよ。雪奈、予土さん、あんたたちは手伝ってくれる?」

「ああ」

 予土と雪奈は、にっこりと笑って、頷いた。

「俺は、自分のためにやるだけだ。お前が負い目を感じることはない」

「右に同じ、よ」

「ありがと」

 聖は、二人に向かって、小さく頷いた。

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