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Section.10 純情(1)

 どこをどう走ったのかは自分でもよく分からない。

 一度ガス欠でGPzのエンジンが止まってしまったところを見ると、相当な距離を走っていたはずなのだが。

 アイコはリザーブに切り替えてエンジンを再始動し、周りを見渡した。

 気がつけば、「マインドトラベル」の編集室のある、古いビルの近くまで来ていた。

 もう、昼前だった。

 空はどんよりと曇り始めていて、今にも降り出しそうだった。

 ビルの前には、聖のGSX-Rが停まっていた。

 アイコは一瞬躊躇し、停まり損なって、ビルの前を通り過ぎた。自分では停まろうとしたつもりだったのだが、右手がアクセルを緩めてくれない。むしろ聖から逃げだすように左足がレバーを踏み込んでシフトダウンし、重いGPzの前輪を浮かすように加速させて、アイコは古い三階建てのビルの前を通過する。

 自分でも、何をやっているのかと情けなくなる。

 良く考えれば、「やっぱり先生が狼男だった」などと、聖に言える筈はなかった。そして、あの峠で見た、などと。

 そうしたら聖はきっと、狼男をただではおかないだろう。まさか本当に殺す、なんてことまではないかも知れないが、少なくともただでは済まさないだろう。聖だけではない、あの悪役パンク女だって、狼男を狙っているのだ。あいつは聖と違って、本当に人殺しくらいやりかねない。

 アイコは、妙な居心地の良さのおかげで、ここがホームグラウンドであるように錯覚していたことに気付かされた。

 ここでは、アイコはまだ「転校生」なのだ。

 ガキ大将だとか、友達に恵まれた「転校生」。これまでも、そんなことは何度かあった。

 どんなに受け入れられているようでも、いつかは立ち去って行く部外者。

 何度も、国境まで越えて転校を繰り返してきたアイコは、そういう経験をたくさん積み重ねてきていた。

 嫌いな身内と好きな部外者なら、普段は後者が歓迎される。だが、ギリギリのところでは、結局、身内が救われるのだ。

 もちろん、アイコは、聖を信頼している。聖は決してアイコを部外者などとは言わないだろう。むしろ、アイコがそんなことを欠片でも言い出したら、心の底から怒るだろう。

 だが、狼男は、そうではない。聖にとってはただの仇で、そいつを捕まえるためだけに十年も待ち伏せてきた。

 きっと、聖は狼男を許さない。

 だが、その狼男は、アイコにとっては大切な「先生」なのだ。

 考えてみれば、「先生」……新田史郎が、家庭教師としてやってきて、あのバイク……SDRを置いて行かなかったら、アイコはこの街に来ることはなく、そうであれば聖たちと出会うこともなかった。史郎は、今年の春、一年遅れの高校合格の祝いとして、あのSDRのキーと、登録用の書類を送ってきた。SDRは、その前の年の秋、史郎が家庭教師を終えて立ち去るときに、アイコの家のガレージに置いて行ったものだった。アイコは、それを横目で眺めながら、サボりまくった中学三年生分を補ってお釣りが来るくらい受験勉強をやった。史郎は多分、そんなアイコのことを信用していて、まさか翌年も高校に進学してないなんてことは夢にも思わなかったのだろう。第一、史郎は住所なしの年賀状を送ってきて以来音信不通だったし、携帯電話もPCも持っていなかったから、連絡することもできなかった。

 結局、いろいろあって(半分くらいは自業自得だと、アイコは思っていたが)今年も試験そのものを受けられなかったので、進学なんかできる訳がなかったのだが。

 合格のプレゼントのはずだったので少しためらったが、流石に二浪してまで高校に行こうとも思えなかったのと、音信不通の史郎のことをを少しでも近くに感じたかったのとで、アイコは結局SDRに乗ることにした。

 あてもなく過ごした二月の後で、ぶらっと史郎に聞いた湖の夕陽を見に来て、雨に降られてぶっ倒れ、そして聖に拾われた。

 大島が、壊れかけていたSDRを整備してくれた。アイコも、聖や一樹たちに整備してもらっていたのかもしれない。

 ……それが、どんな目的だったにしろ。

 アイコは、シンプソン・バンディットの中で、唇を噛んだ。血が出そうなくらい、強く。

 気がつくと、アイコとGPzは、湖を回って海岸を抜ける、片側四車線のバイパスに出ていた。小さい雨粒が、ぽつり、とヘルメットに落ちてきたが、まだ雨にはならない。まばらに走っている車の間をスラロームのようにすり抜けていく。小さいアイコは、GPzの影で姿がかすみ、まるでバイクだけが走っているよう。SDRに乗っている時のフィギュア・スケートのような感覚とは違う。大きな背中におぶられて、相手任せで走っている感覚。アイコは、行きたいほうを相手に知らせ、相手は上機嫌で、あるいは少し文句を言いながら、そっちに向いて走って行く。時々、タイヤが滑ったりするのもご愛嬌。ある程度回っていれば、GPzの空冷エンジンはいくらでもアクセルについてくる。ギヤチェンジをサボっても平気なくらい大雑把に。チューニング・エンジンの割にはゴリゴリした回り方。

 SDRに乗っているときのぴたりとした感じよりは、常に、〇・五拍、遅れる感じだが、その分、ミスも帳消しにしてくれる。

 かなりのハイペースで走るアイコは、かなり目だったらしい。

 しばらくすると、そのすぐ後ろを、バイクが追尾し始めていた。

 真新しいデザインの、フルカウルのスーパースポーツ。尖ったデザインのヘッドライト。

 パッシングを浴びせて、速度を上げてくるそのバイクは、ミラーの中でぐんぐん大きくなって、アイコとGPzを追い抜いた。

 派手派手しいカラーリング、CBR六〇〇R。

 だが、抜いた直後に、前を走っていた軽四輪が壁になって、つんのめるように減速。その間に、右脇をアイコがすり抜ける。

 ミラーの中に戻ったCBRには、大柄な、ジーンズにボマー・ジャケットという軽装の男。ヘルメットは、何かのレプリカらしいが、アイコにはよく分からない。

 アイコは、ヘルメットの下で呟いた。

「いいよ、やってやる……あたしも、虫の居所が悪いんだ! 」

 アイコは、少し速度を落としながら走行ラインを空け、CBRをやり過ごして前に出させた。

 ハザードもつけずにGPzの前に割り込み、さらに前に出ようとする。

 その真後ろに、噛みつくようにGPzが加速した。

 GPzのかなりの爆音で、思わずCBRのライダーがミラーに目をやるのが見えた。そして、GPzがすぐ真後ろにいるのが見えて、驚愕したように後ろを振り返る。

 アイコは、すうっと目を細めて、舌なめずりをした。

「……さあ、遊ぼう? 」

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