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Section.9 マスカレード(5)

 『マインドトラベル』新刊発売日の、嵐のような長い一日がようやく終わろうとしていた。

 聖からはあの後、昼に短い電話があったきりで、会って話をすることができなかった。じとじと嫌な感じの雨が降ってきたので、アイコは珍しく結構ぐだぐだとして過ごした。

 大島はモーニングの時間が終わった九時頃になると、いつものように店を閉めて、仕事に出かけてしまった。喫茶店もバイク屋も大島にとっては道楽でしかなく、本業は本業だった。その関係で、ライオンズ・クラブとやらの昼食会だという。妙に仕立のいいストライプのスーツを着て、丸いクラシックなフレームの眼鏡をかけた大島は、二またに分かれた長い白髭さえなければ立派な紳士の風体になって、出かけて行った。

 一人取り残されたアイコは、昼過ぎまで寝て過ごした。

 静かになってみると、この街に来てからノンストップだったツケが回ってきて、ぶっ倒れるようにして眠ってしまった。

 とりあえず、もう気力も体力もガス欠状態だった。

 朝の電話で予土からきいた話によると、聖から別に連絡がない限り、明後日までは取材の予定は入っていないという。

 携帯電話の電源があがってしまっているのにも気付かず、起き抜けの服のまま、アイコは眠った。

 目が覚めると、もう夜だった。

 大島が帰って来ていた。

「ありゃ、いたのか」

 Tシャツにジーンズ、ジーンズのエプロンにサングラスといういつものいでたちで、カウンターの中でノートパソコンをいじっていた大島が、眠い目をこすりこすり、よろよろと奥から出てきたアイコに驚いて顔を上げた。

「引きこもりはよくないぞ」

「眠い……」

 ふああ、と大欠伸をして、アイコは店のカウンターに突っ伏した。

「一日で二回、寝起きを見るというのも考えようによってはシュールだな」

 言いながら、自分用に沸かしていたコーヒーを、デミタス・カップで半分ずつに継ぎ分け、一つをアイコの前に置く。ちょっと変わったデザインのデミタス・カップだった。ほとんど真円に見える、薄い陶器なのに、縁の部分が二個所、台形型に高くなっていて、片方には取っ手がついている。底の方からカップの高さの三分の一くらいは、カップ本体より一回り大きく、溝が何本か切られている。

「何このカップ……」

 アイコは、大島からカップを受けとって、顔をしかめてから口をつける。あち、と小声で舌打ち。

「むちゃくちゃ飲みにくいんだけど」

「そうだろうなあ」

 大島は、自分も飲みにくそうに口をすぼめて、出っ張りのないところからこぼさないようにコーヒーを啜った。

「これ、お前さんが取材に行った浜橋皆山の初期の作品でなあ」

「へえ? 」

 アイコは、さして興味なさそうに生返事をして、それでも一応、カップを目の前に掲げて眺めてみる。……昨日見た皆山の作品とは、似ても似つかない。どこか金属でできているみたいな、硬い感じ。

「飲みにくいんだが、なんか、ピストンそっくりなんで気に入ってる」

「ピストン? 」

「エンジンの中で上下してる奴だよ」

 大島はカップを置いて、カウンターの下に手を突っ込み、ごそごそと何かを手探りで探した。ばりばりと乾いた音がして、英語のシールの貼られた、分厚いビニール袋が出てくる。袋の中には、銀色の、金属の円筒。

 ちょうどカップに似た形をしている。

「これは、ワイセコっていうメーカーのピストン」

「へー」

 アイコは、急に目をキラキラさせて、カップと大島がぶら下げた袋の中身を見比べる。

「偶然の一致……なわけないよね。なんでこんな器作ったんだろ」

「初めて会った時に、俺がバイク屋だと話をしたら作ってくれた」

「陶芸家の癖に、変な人」

「凝り性なんだろ。同じタイプだからよくわかる」

 言いながら、大島はアイコに歯を見せて笑った。

「で、こっちの袋の中身は、ノーマルよりデカめのピストン。お前さんのSDRに突っ込もうかと思ってるんだ」

「へ? 」

「あのエンジンも、何万キロも走って磨耗して、シリンダーもガバガバになってるからな。……前回のバラしの時は、部品が間に合わなかったんでやり損なったんだ。ここだけは、シルバーバレットから仕様変更になるがね」

 アイコは、目を丸くし、自分の両肩を抱いた。何故か恥ずかしそうに頬を染め、うつむいて少し後ろに引く。

「? なんだ? 」

「なんでもないです……」

 首を傾げる大島に、アイコはうつむいて小さな声で答える。

 大島はしばし腕を組んで考え込み、それから、ぽん、と手を打った。

「ああ、なんだ下ネタか」

「わあ、そんなこと思ってない思ってない! 」

「一丁前に色気づいてるな、お前さん」

 慌てたように否定するアイコに、大島はサングラスの下の目を細めた。

「ま、それはともかく」

「……」

「これ組み込もうと思ったら、SDRのエンジン下ろしてバラさなきゃならん」

「へ? 」

 さらりと重大なことを言われて、アイコは我に返った。

 大島は、にやにやと笑いながらピストンをひっこめ、代わりに二枚貝のフィギュアのキーホルダーがついたキーを取り出す。

「まあ、代車用意してやるから、そっちに乗ってみな」


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