表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/106

Section.9 マスカレード(2)

アイコはそのまま口をつぐみ、「追っかけだった」という自分の言葉に呆れたように黙りこんだ。

 大島も一樹も、そのことをことさら尋ねようとはしなかった。

 アイコはようやく落ち着いて、カウンターの前のスツールに腰掛けた。

 ……その途端に、また電話が鳴った。アイコはぬええ、と奇声をあげて、また席を立った。今度は、スツールがひっくり返って大きな音を立て、大島と一樹は耳を抑えて顔をしかめた。

 そんな調子で、大島のモーニングの準備が終わり、パンが焼け、コーヒーも入って、それから、それらがすっかり冷たくなっても、アイコの電話が鳴り病むことはなかった。

 とうとう、もともと電池の減っていた携帯は、ピピ、と警告音を立ててダウンした。同時に、アイコの電池も切れたらしい。ごん、と盛大な音を立てて額をカウンターに打ちつけて、アイコは肩で息をしていた。傍目にもはっきり分かるほど、アイコは消耗していた。

「お前、どんだけ愛されてるんだ」

 一樹が、呆れたような顔で言った。

「というか、半分くらい、誰か分からなかった……」

 ぐったりしたまま、アイコが答える。

「学校の先生とか、同じ中学の奴とか、近所のおばちゃんとか、派出所のおっちゃんとか……」

「学校の先生とか同級生はともかく、なんでオマワリまでお前の携帯知ってるんだ? 」

「それは、まあ、いろいろあって……」

「自分も警官だったくせにオマワリとか言うな」

 サングラスをかけなおした大島が、まぜっ返す。

「いや、俺はすぐ辞めちゃったし」

「わあ、そんなことどうでもいいー! 」

 がば、と顔を上げたアイコが、急にキレて喚き始める。

「なんであたしがこんな目に会わなきゃなんないのよ! 」

「すごい営業努力をされた、編集発行人さんのせいでしょ」

「わむ?! 」

 喚くアイコの口に、一樹がひょい、と指でつまんだトマトを放り込んだ。

 目を白黒させてトマトを咀嚼するアイコ。

「正直、大変だったと思うぜ、聖の奴」

 大島が、アイコの前の、冷めたコーヒーのカップを取り上げ、新しく淹れなおした湯気を立てているものに置き換えながら、アイコに説明してやる。

「いつもの部数じゃ、平積みされるほど出荷されてないから、相当増刷してるだろうし。コンビニにもバックマージン握らせてるだろうから、いくら売れても赤字に近いんじゃないか?」

「……! 」

「制作の連中の反対を振り切っての大部数だろうな」

「コケたら雑誌ごとふっとぶ勢いだぜ、多分」

 アイコは、ようやくトマトを飲み込んだ。


「実際、何考えてるんですか上泉さん」

 次号の打ち合わせのために『マインドトラベル』の編集室を訪れたリョータは、開口一番、文句を言った。

「あんだけ俺とミサキさんが止めたのに」

 大学時代から温厚さには定評があるリョータの怒った顔を、聖は初めて見た気がした。

 聖ははぐらかすように視線をそらし、煙草に火をつけた。

「だから、二万にはせずにとりあえず一万八千部にしたんだけど」

 フラワーエイジ風にベルボトムのジーンズとパッチワークのベストに赤いシャツ姿で現れたリョータは、チューリップハットを被りなおして、溜め息をついた。

「市内のコンビニ全部で平積みって、どんだけバックマージン払ってるんです? 」

「んーとねえ」

 財務管理用のデータベース画面を眺めながら、聖はどうでもいいような口調で答える。

「平たく置いてくれた分の売り上げは、卸値ゼロの送料こっちもち」

「全部持ち出しじゃないですか」

 お気楽な口調で言う聖に、リョータは天を仰いだ。

「そんなに資金ないでしょうに。また借金ですか?」

「まあ、そんなとこ」

 曖昧に笑って、聖はふう、と煙草の煙を吐いた。

「岸川さんからひきついで有料化したときの借金、半年前まで残ってたんじゃないでしたっけ?」

 リョータが、厳しい口調で言う。

「まあね……でも今回は、岸川企画の買い取りって形で資金を提供してもらったから、借りではあっても借金じゃないよ」

 雪奈が岸川に口を利いてくれたことは、言わなかった。岸川に恩を着せられるのは嫌だったから、聖は話をするのをためらっていたのだが、雪奈が摩耶の話を出し、今回の大増刷の目的を説明すると、岸川は自分の方から必要な資金の提供を申し出てきた。聖はそれを断っていた。岸川の意向が『マインドトラベル』に影響するのは避けたかったが、背に腹はかえられない。

「なんでそこまでしなきゃならないんですか」

「うん……なんていうかな」

 一口、二口。聖は煙草をふかしながら、答えを探しているようだった。

 リョータが、口からでまかせのような言葉では、絶対に誤魔化せないことを、聖は良く知っている。

 どんなときでも、素直に正直に考えるのが、リョータの美点だった。つぶらな眼は、どんな嘘も見通してしまう。

 聖は、灰皿で煙草をもみ消して、真正面からリョータと向き合った。

 リョータも、目を逸らさずに正面から聖をじっと見ている。

「どうしても、やらなきゃいけなかった」

 聖は、リョータの肩に手を置いて、真顔で言った。

「それは、あたしがこの雑誌を始めた動機と関わることなんだ」

「それは、みんなの目標としての動機ですか? 」

 リョータは、尋ねた。

「それとも、聖さん個人の? 」

「ごめん」

 聖は、小さく頭を下げた。

「あたし個人の動機」

「俺、言いましたよね。『マインドトラベル』は、もう、一人のものじゃないって」

「言った」

 聖は、顔を伏せたまま答える。

「それでも、やらなきゃ駄目なことなんですか?俺や、ミサキさんや、他にも一杯いる、この本好きな奴のこと、棚上げしといてでも?」

「棚上げになんか、しない」

 聖は、顔を伏せたまま、首を左右に振った。

「心配ない。今回のは、あたし個人のわがままだから、『マインドトラベル』の資金には手をつけてない」

「そんな心配してるんじゃないですよ」

 リョータは、溜め息をついた。

「顔、上げてくださいよ、聖さん」

「……」

「俺たち、聖さんが本当にやりたいことなんだったら、たとえ雑誌が無くなるようなことでも、思ったようにやって欲しいんですよ」

 顔を上げない聖に、リョータは困ったように言う。

「ミサキさんだって、他のみんなだって。やって、失敗して、雑誌がつぶれたら、また創刊から一緒にやればいいんだから」

「うわ」

 聖はどん、とリョータを突き放した。

「リョータのくせに生意気言ってる! 」

 言いながら、不敵な笑みでリョータに答える。

「当たり前だよ、逃げられると思ったら大間違いなんだから! 何回だって、作り直してやるさ」

「そうですね」

 リョータも、にっこりと笑って、言った。

「もしそうなったら、今度こそ、一からみんなで作りましょう」

 聖さんにおんぶに抱っこではなく。リョータは、そう、呟いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ