Section.8 コミック雑誌なんか、いらない(5)
勝手にすっ転んで泣き出しそうな雪奈をなだめすかすようにして編集室に招き入れると、そのまま放置しておくわけにもいかず、聖は仕方なく丸い会議テーブルの椅子を勧めた。コーヒーメーカーに残ったコーヒーをカップに注ぎ分け、自分と雪奈の前に置く。
ちょこんと会議テーブルに着席した雪奈は、涙目で上目遣いに聖を睨みつけながら、言った。
「コンデンス・ミルクがないと、こんな苦いの飲めない……」
「小学生かあんたは! 」
聖は頭を抱えて、角砂糖の入ったインスタントコーヒーの空き瓶と、粉末コーヒークリームを乱暴にテーブルに並べた。
「角砂糖十個くらいぶち込んで目分量で粉ミルク入れればおんなじようなもんでしょ! 」
「えー、ひどいー」
雪奈は、鼻にかかったような甘えた声で言い、ショッキング・ピンクのストッキングの両膝をこすり合わせる。まるで駄々っ子のよう。
「久さんだってコンデンス・ミルク入れてコーヒー飲んでたのにい」
「生憎と、双子とはいえ聖さんは兄貴ほど甘かねえっての」
「せめてスプーン貸してよ」
「ちょうど夜チャーハン食ったときのレンゲが余ってるけど。未使用のコンビニのフォークとどっちか好きなほうを選ばせてあげよう」
「うー。じゃ、断腸の念で、フォーク」
「ほらよ」
テーブルの上に転がっていた、ビニールを被ったままのプラスチックのフォークを素早く手に取ると、聖はサイドスローで雪奈に投げつけた。びし、と、額を直撃し、雪奈はびっくりして額を押さえる。
「いってえ! 何すんのよ! 」
「刺さるように投げなかっただけありがたいと思って欲しいな」
「……相変わらず、底意地悪いな」
雪奈は真っ赤な目で聖を睨みつけて、唇を尖らせた。
聖は肩をすくめてそっぽを向き、自分もテーブルに着いて、ふう、と息をつく。
「……で? 」
ずずず、と音を立ててブラックコーヒーをすすり、咽に流し込んでから、聖は改めて尋ねた。
「あんたは何しにそのそこ意地悪い聖さんとこに来たのかな? 」
言いながら、聖は、探るような目で雪奈を見る。
「しかもこんな時間に」
「こんな時間じゃなきゃ、校了時期の聖さんは捕まえられないと思ってさ」
ぱりぱりとビニールを破ってフォークをとりだし、粉末クリームと角砂糖をドカドカ突っ込んだカップの中を引っかき回しながら、雪奈が答える。相変わらずの上目遣いだが、少しは気持ちが落ち着いたようだった。
「もう十年近いつき合いじゃん。行動パターンは熟知してる」
「嫌なこと言うなあ」
「聖さん、あたしにだけは一方的に冷たいよね」
「そんなことはありませんけどねえ」
聖は、ちょっと苛々して、コツコツとシャープペンシルでテーブルの天板を叩きはじめる。
「あんたが、あたしのとこのバイトのアイコを、岸川さんとこの荒事部隊使って痛めつけてくれたのはつい先日のことじゃない? 」
「ていうか、結果的にはあたしが痛めつけられた感じなんだけど」
雪奈は、底意地の悪い笑みを浮かべ、べえっと舌を出す。
「でもさ、聖さんだって、あいつが狼男について何を知ってるか、興味あるでしょ。ひょっとしたら、あたし以上に」
「そんなことはない……と言ったら嘘になるけど」
聖は雪奈をにらみ返しながら、きっぱりした口調で答える。
「あたしはあの子が自分であたしに話してくれるまで待つよ。そうすることに決めた」
「ちぇっ」
雪奈は、大げさに舌打ちしてみせる。
「つまんねえの。さすが偽善者」
雪奈は、甘ったるくて粘度がついたようなコーヒーを、カップからすすった。見ている聖の方が、歯が痛くなりそうな甘さになっているはずだった。
「本当は、あたしより聖さんの方が重症なくせに」
「何が」
「あたしは、久を知ってるよ」
雪奈は顔をあげ、真っ直ぐに聖の目を見た。彼女にしては珍しく。
「オンナとして、ね」
唐突な言葉を、妙に自信あり気に言う。
「聖さんは、知らないじゃん。家族としても、オンナとしても」
聖の目尻が、すっ、と上がった。楽しくなさそうに、小さな笑い。テーブルを叩いていたシャープペンシルを持ち直し、手裏剣のように人さし指と中指を中心にして握る。これを投げつけたら、さっきのフォークとは違って、額に突き刺さりそうだった。
「雪奈。あんた、あたしをからかいに来たの? 」
「まさか」
雪奈は、挑発するように手をひらひらさせて肩をすくめる。
「聖さんみたいなおっかない人のところに、一人でわざわざからかいに行くほど命知らずじゃないわ」
「へえ? 」
聖は、唇の端を釣り上げて、楽しくなさそうな笑いを顔に貼り付けている。
「あたしは、取引しに来たの」
雪奈は、何故か、また脅えたような上目遣いの表情に戻って、言った。
「聖さんもあたしも、久の死んだ理由をちゃんと知りたいと思ってる」
「それで? 」
「だから、取引できる」
雪奈は、額に少し、汗をかいていた。
聖は、シャープペンシルを持った手をテーブルに下ろし、小さく舌打ちした。からん、とシャープペンシルを放りだし、足を高く組んで、椅子の上でふんぞり返る。
「言ってみな」
つまらないことだったら、虎姫の名にかけて噛み殺すよ。そう言わんばかりの態度で、雪奈に大きなプレッシャーをかける。
雪奈は、自分が悪ぶったところで結局聖には歯が立たないことを、自分でよく分かっていた。
「あたしは、あんたの可愛がってるちんちくりんのガキにはもう手を出さない」
「そんな当たり前のことは、取引材料にならないと思わない? 」
淡々と、聖が言う。まるで獲物を前にして飛びかかるタイミングを計っている虎のように、静かに獰猛な気持ちを抑えている表情。気圧されながら、それでも、雪奈は歯を食いしばって、言う。
「それと、聖さんが知りたがってたことをひとつ、教えてあげる。だから、」
「だから? 」
「だから、」
ごく、と雪奈は咽を鳴らした。
ようやくのことで、絞り出す。
「あのガキが、いつか『狼男』のことを聖さんに話したら。そしたら、」
ぐい、と、聖がおもむろに身を乗り出した。テーブルに乗って、雪奈のワンピースの襟元を掴み、むりやり顔を引き寄せる。
「あんたにも、それを教えろ、ってか? 」
雪奈は、目を見開いて硬直していた。
まるで、虎の手で押さえつけられた兎のように。どんなに悪ぶったところで、所詮、聖と雪奈では格が違った。
「いいよ、のってやるよ、雪奈」
聖は、忌々しそうに、少し芝居がかった声音で、言う。
「ただし、あんたがあたしに教えてくれることの中身次第、だ。ハッタリだったりしたら、それなりのオトシマエをつけてもらう。岸川さんにも、この前あんたが勝手に人を使ったこと、チクる……」
聖の目は、笑っていなかった。
むしろ、死んだように黒い、虚無的な目をしていた。
「あたしはともかく、岸川さんを怒らせたら、あんたも、あんたのお父さんも、この街にはいられないぜ」
「……」
雪奈は、身震いして顔を背けようとしたが、首元を捕まえられていて身動きできない。
雪奈は、膝が笑い、汗が額を流れ落ちるのを感じていた。




