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Section.8 コミック雑誌なんか、いらない(4)

 レタス・チャーハンを食べ終えて、どたどたと予土とアイコが帰った後、リョータは手早く作業を終え、カラー・レーザー・プリンターでゲラを刷りだした。全ページのプリントアウトが終わり、聖の手に渡して、リョータの仕事は終わりになる。あとは、いつもの通り、聖が文字校正をやり、自分でデータをいじってオンラインで印刷屋にデータを送るだけだった。

 この、最後の校正作業だけは、『マインドトラベル』創刊以来、聖が一人でやることになっていた。別にそういうこだわりがあったわけではない。最初のうちは、スタッフがぶっ倒れたりして聖が一人でやらなければ仕方なかったのだ。

 いつのまにか、それが習慣になっていた。

 リョータは、プリントアウトの状態を確認して聖に手渡すと、ひょこんと頭を下げて、編集室を出て行った。

 聖はリョータを見送ると、自分用にコーヒーメーカーでコーヒーを淹れなおし、マグカップになみなみと注いだ。ブラックのまま一口啜り、デスクに座って赤ペンを握る。

 実際には、誤字脱字だけではなく、文章の直しもここでやる。

 そして、自分で確認しながらデータを修正するのである。

 一見、聖に似つかわしくない、ちまちました仕事だったが、実は意外と性に合っているらしい。一人でにやにやしながら記事を読み、厳しい目になって赤を入れ、また楽しそうに記事を読む。

 何しろ、常に聖は、作り手であると同時に最初の読者なのである。

 この号は特に、好きな感じにできあがっていた。久しぶりに楽しんで作った印象だった。こういうときは、えてして間違いも少ないものだった。アイコのページは別としても、久しぶりに楽しんで作ることができた号だった。美春が、念願の自分の店を持ったことも嬉しかった。

 そんなことを思いながら校正を終え、わずかな修正点をデータに反映して、印刷所にネット経由で送りつけると、時間はもう午前四時に指しかかっていた。

 聖は大きく欠伸をし、背筋をうんと伸ばして、マグカップのコーヒーを飲み干した。

 すっかり冷たくなっていた。初夏とはいえ、肌寒い。

 聖はばさ、と校正用のプリントアウトの束を放りだすと、煙草をくわえて火をつけ、深々と吸い込んだ。

 充実感と虚脱感。

 最初は、この街で生活しながら、「久を殺した男」を探す方便としてやり始めた雑誌だった。東京で出版社に勤めた経験があったから、一番単純な再就職だったし、情報を集め、人を探すのに専念しながら生活するにはちょうど良いはずだった。

 しかも、当時の経営者は、久の後輩で、狼男のバイクの本来の持ち主だった岸川摩耶の父親だった。岸川は、新しいプロジェクト……県の都心再開発事業……の広報誌として、最初フリーペーパーを創刊しようとしていた。聖はそれを売り物になるレベルで仕上げ、三号から有料の雑誌に転換したのである。プロジェクトが頓挫して消滅するはずだった『マインドトラベル』は、こうして現在も続くタウン誌になった。

 聖も、いつの間にか狼男や久のことより、自分の子供のような『マインドトラベル』のことを一番大切に思うようになっていた。

 毎号毎号、自分一人で終える校了の瞬間が、聖は大好きだった。

 吸い込んだ煙草の煙を吐き出したとたんに、重い、金庫室のドアが、がんがん、と乱暴にノックされた。ノックというより、蹴り飛ばしている音。

 聖の大切な時間に、今日は乱入者を迎えなければならないようだった。

「……誰? 」

 あからさまに不機嫌な声で聖は尋ね、デスクの引き出しを開けて、護身用の特殊警棒を取りだした。こんな時間にやって来るのは、気心の知れた奴か、招かれざる客のどちらかとしか思えない。そして、ドアを蹴っているくらいだから、招かれざる客の方が可能性は高い。

 聖は煙草を揉み消すと、特殊警棒を伸ばし、ドアを楯にするような格好で身構えながら、金属扉のドアノブに手をかける。

 その間も、ドアを蹴飛ばす音は鳴り止まない。

 聖はぺろ、と舌なめずりすると、警棒を構えて、ドアノブを回し、扉を思い切り押し開けた。

 うぎゃあ、とか、文字に出来ないような悲鳴をあげて、重たいドアと壁の間に、誰かが激しく挟まれた手応え。

 ドアを開けると同時に外に飛びだした聖は、素早く周囲を見渡し、他に誰もいないのを確認すると、ふ、と息をついて力を抜いた。

 ドアと壁の間には、見慣れた奴が挟まっていた。

 黒いブーツに黒いエナメルのミニ・ワンピース。アメリカの安物テレビ・ドラマの殺し屋風、分かりやすい悪役パンク・ファッション。

「……なんだ雪奈か」

「……なんだ、じゃねええ! 」

 挟まったまま、雪奈が怒りに頬を染め、牙をむいて叫ぶ。

「いきなり思い切り鉄扉ぶつけてくんな! 骨でも折ったら訴えるよ! 」

「夜更けと早朝の間の非常識な時間に、ひとの事務所のドア足蹴にしといて偉そうだな、雪奈」

 にこにこ笑いながら、聖は扉をぎゅう、と押し付けた。雪奈は蛙のようにさらに押しつぶされ、ぐええ、と、あられもない悲鳴。

「分かった分かった、やめてやめて! 」

「なんで? 」

「なんで? じゃねえ! あんまりひどいことすると……」

「すると? 」

「大声で泣いてやる」

 雪奈が、本気で近所迷惑なくらい泣き叫ぶのを何度も目撃したことがある聖は、あわてて扉を引いた。

 急に支えがなくなって、雪奈はバランスを崩して尻餅をついた。

 ひく、と、雪奈がしゃくり上げるのを見て、聖は自分のこめかみを指で押さえながら、言った。

「……とりあえず、入れば?」

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