Section.8 コミック雑誌なんか、いらない(1)
「まったく、騒がしい連中だ」
予土とアイコが台風のように去っていった後、浜橋皆山は苦笑いしながら、撮影用にディスプレイした作品を片づけにかかっていた。
温泉とお膳の取材の方は、運営ボランティアのお母さん方に任せることにした。決して嫌いではないが、予土とアイコの兄妹みたいな掛け合いのテンションについていくのは、体力的に骨が折れそうだった。もう六〇を超えて、無理をすると微熱が出たりもする。若い頃の不摂生とか無理がたたっているのかもしれない。
展示室は、洋館のホールの奥に面した部屋で、窓は全部暗幕で覆ってあり、暖かい光のスポットライトだけで照明されている。使い込まれた板間の中心には、古びた長方形の食卓が一台置かれ、壁際にはさまざまな高さの足付の台や、外して持ってきた箱階段がくっつけられている。今回は、箱階段……きれいに磨き上げられて、展示用のクロースが天板に貼られている……を使って、茶碗や湯飲み、猪口といった小物の撮影をやったので、ひな祭りのように作品が並んでいる。照明に浮かび上がる、エッジの効いた白磁の作品は、どこか機械の部品のような精密さを漂わせていた。
「皆山先生」
猪口を、綿でくるんで小さな桐箱に収めていると、不意に背後から女の声がした。
聞き覚えのある声だった。
皆山はわずかに顔をしかめ、猪口を収めて桐箱に収め、紐を締めた。その箱を食卓の上に注意深く載せて、それから、ゆっくりと声の主の方を振り返る。
モデルのような長身に、ピンクのスーツ。髪はムースできっちり整えられ、理知的な顔にみせるメイク。華やかな女性が、そこに立っていた。
小諸雪奈だった。
「どういう風の吹き回しかね」
皆山は、腰に手を当てて、尋ねた。
「平日だが、仕事じゃないのか? 」
雪奈は、にっこりと微笑み、ピンクのルージュも鮮やかな口許をほころばせるようにして、言った。
「岸川の使いで参りました」
「そうかね」
皆山は、ふ、と小さく息をつくと、食卓の上の桐の箱を、傍らに置いてあった風呂敷に包み始める。
「たった今、撮影が終わった。もう、持って行ってもらって構わない」
「ありがとうございます。明日、お得意様にお渡ししたいということでしたので」
包み終わった風呂敷を、雪奈は押し抱くように受け取った。
「では、代金はまた後日振り込ませていただきます」
「ああ。頼みます」
皆山は食卓の脇の丸椅子に腰を掛けて、左肩を回した。雪奈は一礼し、皆山に背を向けて、半歩歩き出し、そこで足を止めた。先ほどとは打って変わった、氷のように冷たい声で、言う。
「『狼女』が、来たでしょう」
皆山の回しかけた肩が止まった。いや、石像のように、全身の動きが止まっていた。
雪奈は、背を向けたまま、続けて言う。
「シルバー・バレットは、どうされるのかしら」
「どうも、せんよ」
皆山は苦しそうに息を吐いた。
「いつまでお隠しになるつもりですか? 」
雪奈は、底意地の悪そうな笑みを浮かべて、ゆっくりと振り返った。
詰め寄るように皆山に歩み寄り、息が触れ合いそうな距離に顔を近づける。
「『狼男』のこと」
「隠してなど、いない」
皆山は、視線を雪奈から外して、言った。
「『狼男』なんて奴は、私は知らん」
「ふうん」
雪奈は、皆山の顔をのぞき込む。鉄のような無表情が、皆山の、多くのしわが刻まれた顔に浮かんでいた。
「あのSDRのオーナーのことは、知ってるでしょ」
「注文主の岸川摩耶のことは、知っている」
皆山は、なんの感情も読み取れないような声で答える。
「あれを受け取る前に、死んだ」
「へえ」
つまらなそうに相づちを打って、雪奈は、独り言のような口調で言った。
「上泉久は、なんで死んだのかしら」
「知らんよ。あのGSX−Rは私の手を離れていた」
皆山は、雪奈を振り払うように椅子から立ち上がって、言った。
「何回聞かれても、答えは変わらんよ。私は機械いじりに飽き飽きして、もっとプリミティブなもの……手でこねられる土に帰った、ただそれだけだ」
皆山は、上目遣いに、しかし、鋭い眼光を放つ目で雪奈を見据えた。
雪奈は負けじと皆山を見返して、今度は明白な敵意を込めて、言う。
「じゃあ、なんで聖や大島さんに、黙ってるんですか? 」
「……」
「あんなに、探していたのに。シルバー・バレットのことを」
皆山と雪奈は、しばらく睨み合った。
やがて、根負けしたように皆山が目をそらし、雪奈を避けるように食卓を周って、部屋を出て行こうとする。
雪奈と背を向けあい、部屋を出かけて、皆山はふと立ち止まった。
「大島は、勘づいとるかもな」
「え……」
思わず振り返った雪奈に、立ち去り際の皆山の声が聞こえる。
「ところで、どうしてお前さんは、岸川氏や上泉の妹にそのことを黙っているのかな? 」
「! 」
雪奈はすっと蒼ざめて皆山の後を追おうとし、手を伸ばして、思いとどまる。
伸ばした右手を握りしめ、胸に当てて、皆山の去って行った方向をにらみつける。
それは、アイコに向けたのと同じ、鋭い目だった。