Section.7 不自然な君が好き(4)
浜橋と名乗った初老の男は、浜橋皆山という陶芸家だった。もともとは公務員で、陶芸は趣味でやっていたのだが、数年前に早期退職して、この洋館をアトリエにしているという。この洋館はもともと小学校で、廃校になった後、取り壊されずに残っていたのを、市から無償貸与してもらい、地域文化育成の助成金で陶芸教室も始めている。
それだけでは面白くないので、最近はさらに、自作の食器を使い、自作の野菜や渓流で獲れた魚などの料理を振る舞う、和食オーベルジュみたいなこともやっているということだった。
予土とアイコは、展示即売場にもなっている、洋館の一階のホールに通された。そこに置いてある木製のテーブルに、浜橋と向かい合って座る。まもなく、冷たい麦茶と手作りのわらびもちの皿を人数分、作業着にエプロン姿の、五〇歳くらいの、ボランティアか弟子らしき女性が運んできた。
「ありがとう」
浜橋は、一礼して下がる女性に礼を言い、予土とアイコに麦茶を勧めた。
アイコは、思わず一気にコップの麦茶を飲み干していた。
少し咽が痛くなるくらい、冷たく感じた。香ばしく、ちょうどいい苦さ。
浜橋に促されて、浜橋の陶芸作品と、最近始めたオーベルジュを紹介するカラーグラビアの取材と撮影が目的であることを、予土が説明した。それを傍らで聞いていて、ようやくアイコにも仕事の内容がおぼろげに分かってくる。
とりあえず、自分は写真撮影のアシスタントと、モデルをやればいいらしい。
「……って、予土さん! 」
浜橋が作品を選ぶために、少し席を立った隙に、アイコはちょんちょんと予土をつっついて、小声で訪ねる。
「あたし、モデルやるなんて聞いてないっすよ? だいたい、こんな格好だし」
「ああ? あー、格好は関係ないよ」
予土が、すっとぼけた口調で言う。
「料理の方は食うところのアップと手モデルだし、温泉の方は服着ないんだから」
「あ、そうか……って、はああ? ! 」
アイコは、思わず大声をあげた。
予土が、しー、っと唇に指をあてる。
「こら、ボランティアのお姉さま方がびっくりするだろ」
「あ、ごめんなさい……て、違ーう! 」
がし、と、アイコは予土の襟首を掴んで締め上げた。
思わぬ力に、予土は目を白黒させる。
「うお? 」
「誰が素っ裸で温泉モデルなんかやれって? ! 」
「いやいや、バスタオルは使っていいから」
「せめて水着持って来いとかなんとか、言うことあるだろうが! 」
「おお、どうどう、落ち着け落ち着け! 」
予土は、冷や汗をかきながら、アイコの肩を叩く。
走り慣れないダートを引っ張り回されて、アイコは頭に来ていた。だいたい、この街に来てからの数日間、いろんな人にいろいろなことを言われ、させられて、状況はアイコの処理能力の限界をとっくに超えていた。アイコは、ネコ科の猛獣のようにがあー、と牙をむいていた。
「予土くん、小林さん」
アイコが予土に噛みつく寸前に、ホールの奥から浜橋の声がした。
「準備ができた……って、何をしてるんだね? 」
「いやいや、ちょっと打ち合わせです」
あはは、と予土は愛想笑いを浜橋に返し、アイコは小さく舌打ちして予土を突き放した。
「いや、今月号はよくできてる! 」
テキストと写真が入ったレイアウト稿に一通り目を通した聖は、満足そうに頷いて、自画自賛するように言った。聖と一緒に白くて円い会議テーブルを囲んでいる、ファッション雑誌から抜け出してきたようなお嬢様スタイルの女や、ヒップホップ系のファッションの大学生っぽい青年も、にっこりと笑って同意するように頷く。
「マインドトラベル」の編集部は、最初に聖とアイコが出会ったさびれたビル街のはずれ、三階建ての古いビルの二階にあるカフェのバックヤードの一角にある。十二畳ほどの板敷きの部屋で、壁は白いペンキで塗られていて、壁際に分厚い一枚板のPCの乗ったデスクがあり、壁のもう一面は天井まで棚になっている。この棚には雑然といろいろなものが突っ込んであるが、不思議と汚い感じはしない。もう一面の壁には、この街の大きな地図が貼ってあり、その傍らには予定表になっているホワイトボードが吊られている。
この部屋には窓がなく、分厚い金庫のような扉……実際に、この建物が銀行だったときの金庫扉らしい……のついている一面以外は、すべて壁になっている。
タウン誌である『マインドトラベル』の専任スタッフは、実は上泉聖一人しかいない。その他の編集者やライターは、すべて地元でフリーで仕事をしている連中で、聖が、号ごとに仕事を知り合いに割り振っている。『マインドトラベル』が、ある程度の統一性を保ちながら、創刊後数年経っても新鮮味を失わないのは、このシステムのおかげだった。
今月号は、その中でも特に聖のお気に入りのデザイナー二人を使った、豪華版である。普段よりカラーページも多く、力の入った構成になっている。
「何しろ、この子が可愛いのよねー」
アイコがモデルをやっているファッション・ホテルのページを眺めながら、お嬢様ファッションの女がうっとりしたように言う。
「別にむっちゃくちゃ美人ってわけじゃないけど、若い子特有のキラキラした感じが」
「でっしょお? 」
聖が、顎に手をあててうふふ、と笑う。
「久しぶりに仕事でカメラ使ったけど、思ったより良くとれてた」
「愛欲のたまものよねえ」
じゅる、と涎をたらさんばかりの表情で、女が言った。
「ラブホだし、このまま食っちゃって既成事実つくっちゃえばよかったのにー」
「女同士で何言ってるんですか」
ヒップホップ・ファッションの男が、呆れたように言う。
「こんなギリギリになって、グラビアその子に差し替えるなんて上泉さんが言い出すから、レイアウト徹夜だったんですよ」
笑顔のまま大げさに唇を尖らせる。
「でもまあ、よかったですよ。最近、しおれたような地元モデルばっかりで辟易してたから」
「テキストだって、ギリギリのスケジュールの割には結構良かったでしょ」
えへへ、と聖は笑って、テーブルの上の飲みかけのペットボトルに口をつけた。
誉められて悪い気はしない。
最近、聖は営業と経営に多くの時間を割いているので、取材や撮影をこの号くらいしっかりやるのは久しぶりだった。最近、刊行が軌道に乗りすぎて、若干飽きてきたせいもあるのだが。
「でね、今回、部数増やそうかと思ってるんだ」
聖は、経理用のファイルを開いて、蛍光ペンで印刷費の欄に線を引いた。
「一万刷って七千部、てのが、割と成績いい時の部数なんだけど。今回、思い切って二万部いこうかと」
聖の言葉に、それまで和やかに話していた二人のスタッフは、にわかに真剣な表情になって顔を見合わせた。
「前に一万完売して五千増刷したら、増刷分がまるごとデッドストックになって大変だったじゃん」
お嬢様ファッションが、聖を見つめ返しながら言う。
「あの時、上泉さん大変だったでしょ。あたしたちへのギャラはちゃんと払ってくれたけど。しばらく夜のバイトとかやってたじゃん」
「あー、あれねえ」
聖は、誤魔化すように作り笑いを浮かべ、手をひらひらさせながら答える。
「ありゃ往生したけど、どうにかなってるよ。あの頃はあたしも青かった! 」
「いや、俺らはギャラさえ貰えてればいいんですけど、」
ヒップホップの方も、表情を曇らせる。
「あんまり無理してこの雑誌に潰れられるのはちょっと困るんで」
「お、嬉しいこと言うねえ」
やれやれ、といった感じで、聖以外の二人はため息をついた。
「だいたい、どんな良い本作ったって、この街だけで二万も売れないでしょ」
「人口三十万、十五人に一冊って無理だよねえ」
以外と厳しい反応だった。二人とも外部スタッフなのだが、割に古くから関わって来たメンバーだけに、真剣そのものだった。『マインドトラベル』は、聖の雑誌だが、聖だけの雑誌では無くなっていた。