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Section.7 不自然な君が好き(3)

「若干スリリング……」

 アイコは、出かける前に予土が言った言葉を自分で口にしてみた。

 冷汗か普通の汗か分からない滝のような汗が、シンプソン・バンディットを被った額を流れ落ちて目に染みる。アイコは、思わずヘルメットの中でわめいた。

「全然若干じゃねえ! 」

 わめいたとたんに、SDRのリヤがずるっとすべりだす。進行方向に向かって右に車体が振られる。アイコはあわててバランスをとろうとし、左足で地面を蹴飛ばしながらカウンターステアを当てる。

 ひどい土ぼこりをあげながらなんとかSDRはたちなおるが、今度は前輪が小さい木の根をひいて飛び跳ねる。

「わあああ! 」

 前方に放り出されそうになりながら、暴れるSDRをロデオのようにいなし、なんとかたてなおす。

 さっきから二十分ばかり、こんなことの繰り返し。

 アイコのSDRは、舗装されていない、砂利敷の山道を走っていた。車が通れない道幅で、木の根がときどき出ていたり、路肩が崩れていたりする。まだ昼前だというのに、木立が鬱蒼としていて薄暗い。ヘッドライトの光の輪が、時々路面で見えるほど。空は晴天らしく、時々木漏れ日に目が眩む。

 二速と三速を忙しくいったりきたりさせ、半クラッチを使いまくりながら、オフロードに向かないSDRを懸命に走らせる。シングルシートの後ろには、ネットでバックパックが括りつけられている。

 SDRは、カーブごとにずるずるすべり、根っこや石ころでぴょんぴょん飛び跳ねる。

 転ばないのが奇跡のような道だった。

 アイコは、ステップに立ち上がったり、シートに座り直したり、SDRの上でぴょんぴょん体を動かして、なんとかバランスをとって走る。

 そのかなり前を、荷物を満載した予土のオフロード・バイクが走っている。

 ホンダのXLR250。二つ目ライトの「バハ」というモデル。後部席には大きな車載用バッグ、左右にも大きめのサドルケース。三脚のケースが、シートにそって固定されている。予土の小太り気味な体が、振り子のように右に左に踊っている。タイヤをオフロード用ではなくオンロード用に履き替えたモタード仕様だが、それは全く苦にならないようだった。予土は、スーツの上から、青いレインウェアを着込んでいた。

 結構ダイナミックな動きで、時々わざと小さくジャンプしたりしている。

 時々ミラーでアイコの様子を見て減速し、また少し離れて様子を見たりもしているようだった。

 もちろんアイコには、そんな予土の様子に気付く余裕はない。

 転ばないのが精いっぱいである。

 実際にはアイコが思っているほど荒れた道ではない。丁寧な乗り方をすれば、普通のロードバイクでもさほど心配なく走ることが出来る程度の舗装していないだけのフラット・ダート。

 アイコはアスファルトのない道を走るのが初めてだったし、それ以上に、速い速度・急加速・急減速が得意なSDRに合わせたライディング・スタイルしか知らなかったから、この道に入った最初のカーブで、いきなり派手なテールスライドをかましていた。グリップのいいコーナーを速く回るようなリヤタイヤに荷重をかけた乗り方で、しかも思い切りよくバンクさせる乗り方でダートに入ったためだった。アイコは滑るSDRを足をついて立て直そうとしたが、たまらずブレーキをかけて止まった。立ちゴケそうになり、エンスト。ダートに入る前に、あらかじめ予土がアイコの前をふさぐようにして減速させていたなかったら、間違いなく転んでいたところだった。

 どっちにしても、マシンもライダーもダート向きには出来ていない。

 タイヤがオンロード用とはいっても、もともとオフローダーのXLRに、林道慣れしているらしいベテランの予土が乗っているのだから、ついていける道理がない。

 それでも頑張ってかじり付いていってしまうのは、取り柄なのか直球馬鹿なのか。自分でもよく分からないのだが、胸の中につっかえた塊のような意地があって、怖い気持ちより、負けたくない気持ちの方が強いのに気付く。

 アイコは、ちょっと前までこういう気持ちを知らなかった。「先生」が、「もっと噛みつく気持ちをもてばいい、と思う」なんて言っていたことを思い出す。思い出しながら、暴れるSDRをなだめすかし、荒れた路面と格闘する。今度はハイサイド気味に後輪が横に飛ぶ。前輪のグリップを失わないように起こしながら、我慢してリアが地面を噛むのを待つ。

 初めてにしては、そして走りにくい道具の割には、アイコの順応は速かった。

「ったく! あの性格破綻者! 」

 一回滑って、悪態をつく。

 小石を弾いて、カツン、とチャンバーが音を立てた。

「性悪女あ! 」

 前輪を持ちあげるようにして木の根を飛び越えて、舌打ち。

「絶対、認めさせてやるからなあ! 」

 ヘルメットの中で喚きながら、アイコとSDRは林道を走っていく。

 予土は、ミラーでアイコの様子を見ながら、オフローダーに似合わない加藤大二郎レプリカのフルフェイスの下で、ほくそ笑んだ。

「見込み通り、ってとこだな、上泉」

 アイコのペースが徐々に上がってきているのを確認して、ライディング・ポジションを変え、首を左右に振ってこきこきと鳴らす。

「さて、いっちょ走りますか! 」

 予土は、モトクロス・ブーツでシフトペダルを踏み込み、アクセルを開けた。

 XLRを軽くウィリーさせ、短い直線を加速していく。足下で小さく土煙がたった。

 ミラーの中の、小さなSDRと小さなアイコの姿が、さらに小さく遠ざかる。

 さらに三〇分ほど、アイコをどんどん引き離すペースで林道を走ると、予土のXLRは少し開けた場所に出た。

 谷あいの、小さな村だった。

 村の中の道は、何故かアスファルトになっていた。

 村といっても、家は四軒きりで、山の斜面にある決して多くない棚田も、ほとんどが雑草に埋もれている。里山も手入れがあまり行き届いていないような様子だった。

 村の入り口を少し進むと、ペンキ塗の小さな洋館が姿をあらわし、小さなグラウンドが見えてくる。洋館の背後は谷に、全面は道に面していて、谷には水のきれいな川が見える。川底は、ほとんど岩盤のだった。

 洋館の道を挟んだ反対側は山裾になっていて、長屋門と庭のある、大きな茅葺の民家。数軒ある村の家のうち、人がいそうなのはこの家と洋館だけだった。

 その割にはきれいに均されたグラウンドの入り口に、予土はXLRを停めてシートから降り、ポケットから煙草を出して一〇〇円ライターで火をつける。

 一口、二口。

 ゆっくりふかしているうちに、パーン、という甲高いエンジン音が近寄ってくる。

 アイコのSDRが、よろよろ、という感じでゆっくりと近づいてくる。

 つんのめるような勢いでブレーキをかけ、XLRの隣で止まる。ミッションをニュートラルに入れ損なって、SDRはびくん、と跳ねて、エンストした。

「よう、」

 携帯灰皿に煙草の灰を落とし、にやにやしながら、予土が言った。

「早かったじゃないか」

「! 」

 がば、と、アイコはシンプソン・バンディットのバイザーをあげ、SDRのタンクに右手の拳を叩きつけた。そして、予土の方を指さして、何か喚こうとして両腕を振り回した。

「あ……馬鹿」

 予土は、目を覆った。

 バランスを崩したアイコは、SDRにまたがったまま、ゆっくりと道の方にひっくり返っていった。

「あちゃー」

 予土は煙草をも揉み消して、すたすたと倒れているSDRに歩み寄っていく。

 アイコは、下敷きになったような状態で、道路にぶっ倒れていた。

 汗だくの顔で、目を固く閉じ、肩で荒い息をしているアイコは、なんとか立ち上がってSDRを起こそうともがこうとするが、身動きができないらしい。

「慣れないダートで動き回って、普段使わない筋肉を酷使したんだな」

 よいしょ、と、SDRを軽く引き起こしてやりながら、予土が言う。

「お前さん、筋はいいがちょっと気持ちが前に出すぎだよ……ほれ、水」

 自分のXLRの荷物の中から、ラベルのないペットボトルを二本引っ張り出した予土は、一本をアイコに投げてやる。

 SDRにもたれるようにして座り込んだままのアイコは、ようやくヘルメットを外したところだった。柔らかいショートの髪が、汗で濡れて固まっている。アイコはペットボトルを取り損ない、転がりそうになるのを足でとめ、拾いあげる。キャップをあけて、頭から水をかぶった。猫のようにブルブル頭を振って水を飛ばし、それから残りの温い水をごくごくと飲み下す。

「しかし、コケずについてきたのは誉めてやろう」

「何が誉めてやろう、ですか! 」

 アイコは、まだ乱れたままの呼吸の合間に、予土に言い返す。

「死ぬかと思いましたよ! 」

「大げさだ」

 予土は、自分のペットボトルを開けて口をすすぎ、側溝に吐き捨てた。

 それから、XLRの荷物を下ろし、カッパを脱ぐ。

 その下は、ストライプの入ったグレーのスーツ。一度ジャケットを脱いでネクタイを締め直し、XLRのミラーで形を整える。ついでに制汗スプレーで汗の匂いをとって、まるで街中のビジネスマンのような姿に化けおおせる。靴も、パニアケースに突っ込んであった黒い革靴に履き替える念の入れようだった。

 アイコもいつもの黒いレザージャケットを脱ぎ捨て、黒いTシャツの首もとをバタバタさせる。汗で濡れて、背中の方は色が変わっている。

 予土は、洗い立てらしい青いスポーツタオルをアイコの頭の上に押し付け、両こきこきと回した。

「おや、誰かと思ったら予土さんか」

 前触れもなく、バリトンの声が響いた。

 アイコと予土が目を向けると、洋館の、三段石の階段でひょい、と、頭に藍染めの手ぬぐいをバンダナのように巻いた作務衣姿の男が洋館から顔をのぞかせていた。

「ああ、どうもどうも」

「大島から話は聞いてるよ。準備できてるからこっちにおいで……と、そっちのお嬢さんは? 」

 アイコは弾かれたように立ち上がり、ぺこり、と深々お辞儀をする。

「えと、マインドラベルのバイトの小林です。予土さんの助手です」

「私は浜橋。ここで茶碗とか壺を焼いてる」

 日に焼けたしわの多い顔で、角張った顎には白と黒の混じったごま塩のような無精髭。子供のような笑顔で、眼光は鋭いが、アイコには暖かい感じがした。

「まあ、とりあえずアトリエの方においで。冷たいものでも出そう」

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