Section.7 不自然な君が好き(1)
「とまあ、そんなことがあったわけさ」
かいつまんで話し終えた一樹は、咽を湿すために冷めたコーヒーを飲み干した。
「だから、お前さんを見つけた聖さんは、これ幸いと拾ってきたって訳」
「ふうん」
思ったよりは関心なさそうな生返事をして、アイコはスツールの上で伸び上がり、一樹の手元のハニーピーナッツの缶に手を突っ込んだ。がばっと掴んで、口に放り込み、リスのように頬を膨らませる。
「あたし、ずいぶんディープな物語に乱入しちゃったんすね」
「俺たちだっていつまでも狼男のことばっか考えてたわけじゃないんだけどな」
「考えてたよ! 」
聖が口を尖らせる。かなりアルコールが回ってきたらしく、ろれつが回らなくなりつつある。ほんの少し眠そうに見える以外、まったく普段と変わらないように見えるのだが。
「少なくとも、あたしと雪奈はあ」
「嘘つくなよ」
あーあ、という顔で、一樹が言う。
「聖さんも雪奈も、最近はすっかり毒気が抜けて、いい感じになってたと思うんだ。久さんも多分、その方が喜ぶと思うんだけどな」
「うるひゃい……いて」
舌を噛んだらしく、聖が口許を抑える。
「そこに、あたしが来ちゃったんだ」
「お前は悪くないけどな」
一樹は、うつむくアイコに、少し優しい口調で言う。
「だいたいお前、久さん死んだとき、小学生だろ」
「おおう」
聖が頭を抱えてうめく。
「よく考えたらあたし、アイコのちょうど倍生きてる……」
「成長速度、半分以下ですね」
一樹は、間髪入れずに愛の手を入れた。ごん、と、額をうちつけて、聖がカウンターに突っ伏した。アイコは、相変わらずの一樹と聖のやり取りに、少し頬を緩ませる。
「聖さんも俺も、多分大島さんも雪奈も、本当はもう、狼男をどうこうしたいと思ってるわけじゃない、と思う」
「……」
「いや、雪奈はどうか分からないけど」
最初の煙草は、短くなって灰皿でもみ消されていた。
一樹は、潰れた煙草の箱を懐からとり出し、くしゃ、とひん曲がった一本を抜いてくわえた。カウンターの上に置いてある自分のジッポー・ライターで火をつけ、深く吸い込む。
「ただ、俺たちは、知りたいんだ、と思う」
「……何を? 」
「狼男がどんな奴で、久さんと走ったときどんな感じだったのか」
一樹は、珍しく真顔で、アイコに言った。
「だからもし、お前の『先生』が狼男なんだったら、そいつのことを知りたい、と思う」
アイコは、ピーナッツをもしゃもしゃと噛み砕いて、まとめて飲み込んだ。
くしゅん、と小さいくしゃみ。ぶる、と身震いして、聖と同じようにカウンターに額を打ち付ける。
「あたしの先生は、一樹さんや聖さんの探してる『狼男』じゃないと思う」
アイコは、カウンターに突っ伏したまま、ちょっと声を震わせながら、言う。
「あたしは先生のこと、ほとんど知らないけど、全体を知ってる……と思う」
「女の子らしい言い方だな」
「一樹さんが思ってるより、あたし、ずっと女の子だもん」
アイコは、拗ねたような口調で、一樹からそっぽを向くように首をひねった。
「先生が狼男でなかったとしても、あたし、ここにいてもいいのかな」
「はあん? 」
結構酔いが回ってきているらしい聖が、アイコの呟きに反応したのか、急に大声をあげて、がば、と起き上がった。
「アイコはここにいるのー! 」
「わあ、こぼれてるるこぼれてる! 」
缶ビールを盛大にひっくり返してカウンター越しにアイコと話していた一樹を押しのけ、聖はアイコに背中から抱きついた。
「アイコはアイコ、狼男は狼男! みんなあたしのー! 」
「ぎゃあ、ギブギブ! 」
首っ玉にかじり付かれて、アイコは猫のように髪を逆立て、両手をぶんぶんと振り回した。抱きつくだけでは飽き足らず、聖はアイコの首筋にガブガブと歯を立てる。
「痛い痛い……って、いてえっつうの! 」
半ば本気で怒り出しながら、アイコが悲鳴をあげ、聖の脳天に肘打ちをかました。
「げふ」
思わずアイコを抱きしめる腕を離し、聖は頭を抱えてカウンターに突っ伏した。
「あんた躾の悪い柴犬かよ! 」
目に涙を溜めて怒鳴りながら、アイコは頬を染めていた。アイコの目は、なぜか笑っている。
「お前、なんか嬉しそうだな」
一樹が、呆れたように言う。
アイコは、ぜえぜえと肩で息をしながら、一樹を睨みつけた。その時の目は真剣に怒っていたので、一樹の方が目をそらし、ひゅう、と口笛を吹く。
その途端に、聖がカウンターから弾かれたように上半身を起こし、一樹とアイコを、とろんとした表情で順番に眺めた。
アイコと一樹は、思わず硬直し、聖の動きを見守る。
「あたしのものはみんなあたしのものー」
にへら、とだらしなく笑った後、全部平仮名になっているような口調で、聖がわめいた。
「はい? 」
呆然としている二人に、子供のように無邪気な笑みを投げ掛けた聖は、ぱたん、と電池が切れたようにまたカウンターに突っ伏した。
そのままくー、くー、と寝息をたて始める。
アイコと一樹は、しばらく、固まったまま聖を眺めていた。
「うぉーっす、遅くなってゴメーン」
固まった空気をぶち壊すように、澄んだアルトの声がして、たてつけの悪いケルンの入り口ドアが開いた。美春だった。
真っ白いブーツにジーンズのホットパンツ、宝塚みたいなブラウスに黒いベスト。ふわふわの髪は後ろに束ねている。どこかで買い物をしてきたらしく、レジ袋を両手にぶら下げていた。
「美春さーん! 」
「みーちゃあん! 」
がさがさとレジ袋の音を立てながら入ってきた美春に、アイコと一樹は思わずすがりついた。
「うお、何事? 」
「聖さんがビール二杯でぶっ壊れたー」
目を丸くして二人を受け止めた美春は、ああ、という顔をした。
「ひーちゃん、前から炭酸に弱いからなあ。酒とかウィスキーとか、ストレートかロックならウワバミなんだけど、ビールとかハイボールだときっちり二杯でアウト」
「そうなんですか? 」
「なんだ一樹くん、長いつきあいのくせに知らなかったの? 」
「聖さん、俺の前でつぶれたことなんか一度もないですもん」
言いながら、一樹はちょっと悲しそうな顔をした。美春はふわっと笑い、人さし指で一樹の額をちょんと押した。
「あの……」
おずおずと、アイコが美春に尋ねた。
「ウワバミ、って何? 」
一樹は頭を抱え、美春は一瞬呆気に取られた後、あはははは、と大笑いする。
アイコは再び頬を膨らませ、カウンターに突っ伏した。
「あはははは。あんた、やっぱり昔のひーちゃんに似てるよ」
美春は、ばしばしとアイコの背中を叩いて、言った。
「まあ、ひーちゃんはあんたみたいな直球じゃなくって、ナックルボールみたいにぐらぐら揺れてたけどね」
言いながら、背中に乗っかるようにして寝息を立てている聖にもたれかかり、がさ、とレジ袋をカウンターの上に放り出す。中身は、なぜかあんパンとかジャムパン、メロンパンの山。全部赤札で、半額か50円引き。
「中学の頃からグレててさ。あたしがまだ『俺』だったころなんて、お互いひどかったよ」
「鉄パイプで人殴ってたって話? 」
アイコが、先ほどの一樹の話の中でちょっとそんなことを言っていたのを思い出して、顔をあげる。
「まあ、相手はジャックナイフで斬りかかってきてたんだけどね。聖はそれで、左手の肩を斬られて五針くらい縫った」
「……え? 」
「で、あたしはそいつをボコった。とっつかまって鑑別所送りになったけど」
えへへ、と美春は笑い、パリパリとメロンパンの袋を開けた。手で割って、小さいほうの欠片をアイコの目の前に差し出す。アイコは、反射的にぱくりとくわえた。
「馬鹿だったなーとか思うけど、それはそれで、それなりに真っ直ぐでいたいと思ってたんだよね。ただ、何が真っ直ぐか分からなかっただけで」
「……」
もしゃもしゃと、アイコはメロンパンを咀嚼する。口の中の水分が吸われて、カラカラになる。そんな様子を楽しそうに眺めながら、美春は言った。
「だから、天然直球のアイコちゃんには敵わないのさ」
「なんかあたし、それじゃ直線馬鹿みたいじゃん」
アイコは、上目遣いに美春を見た。
「……多少は自覚してるけど、改めてほかの人から言われると、ちょっと腹たつなあ」