Section.6 タイムマシーンに、おねがい(4)
一樹の前に、久の双子の妹だという上泉聖が現れたのは、久の「葬式」の前日のことだった。
はっきり言って、第一印象は、最悪だった。
「よう」
久と違って、瞳の奥にちょっとした悪意の輝きをもつ、大柄で乱暴な女だった。使い込んだレザーのジャケットにレザーパンツ。髪はプラチナブロンドに染め上げられていて、すそを短く刈り込み、上の方はぴんぴんと立てている。ロッカー気取りのドクター・マーチンのワーキング・ブーツ。香水がきついのは、タバコ臭いのを隠すためだろうか。
少なくとも、一樹や久の大学には少ないタイプ、というか、少なくともつきあいのあまりないタイプの女だった。
「草臥れたオジサンみたいだよ、北原一樹くん」
大学のOBである大島が趣味でやっている喫茶店・ケルンで、初対面の聖は無遠慮に言った。しかも、人さし指を目の前でかざして、だ。
「余計なお世話です! 」
一樹は、吐き捨てるように答えた。
「自覚あるからムカつくんじゃないのかい、一樹くん」
挑発するように、聖が言う。
一樹は聖をにらみつけ、しかし、直接は反論せずに、視線をそらす。
「大島さん、何なんですかこの人」
「上泉聖」
「黒いZZ−TOP」と陰口を叩かれているバカみたいに長い髭を撫で、黒地にグリーンでKawasakiと書かれたキャップのつばを人さし指で少し持ち上げて、カウンターの向こうの大島が答える。レイバンのサングラスのせいで、表情はよくわからない。
「久の双子の妹だよ」
「不肖の、だけどね」
聖は、一樹のすぐ目の前のカウンターに腰をおろし、値踏みするように一樹を見た。一樹は、無視してコーヒーをあおるように飲み干し、長髪をかき上げて、煙草に火をつけようとする。
が、緊張しているせいか、取り出したジッポーは、うまく火がつかない。
聖が、突然、一樹のとなりのスツールにどか、とブーツの足を載せた。
驚いて固まる一樹を尻目に、聖はにや、と意地の悪い笑みを浮かべ、外国製のマッチケースを一樹の目の前にちらつかせる。軸の太いマッチ棒を片手で器用にとり出すと、ブーツの靴底で擦って火をつける。
一樹の煙草に火をやって、自分のくわえた煙草にも火をつける。
「あ……どうも」
思わず礼を言って、吸い込んだ煙で一樹はむせ返った。ひゃはははは、と、あまり上品とは言えない声をあげて、聖が笑い転げる。
「こら、聖。椅子に土足をおくな」
「ごめんごめん」
大島に文句を言われて、聖は足を下ろす。
「それから、カウンターは座るところじゃねえ」
「あー、悪かったよ! 」
片手で髪をかき上げながら、聖が大声でわめき返す。
「あたし、久みたいに品よくないからねえ」
「相変わらずだな、お前も」
大島が、あきれたように言う。
「東京で大学でて就職したっていうから、少しは落ち着いたのかと思ってたが」
「いちおー社会人っすからねえ」
「どこがだ! 」
大島はコーヒーミルを左手で回しながら、空いている右手で聖の頭をごん、と殴った。思いっきり、拳骨だった。
「いってえ! 何するんすかマスター! 」
「たわけたことをぬかすからだ! 」
「いくら相手があたしとはいえ、女の子グーで殴るのはどうかと思う」
「中学の時、お前鉄パイプで人殴ってただろ! 」
「まあ、むかしはやんちゃだったから」
あはははは、と、聖は能天気に大口をあけて笑った。
「おかげでこの街にいられなくなって、東京の大学いったんだけど」
「ったく……久の爪の垢でも……」
言いかけて、大島は口をつぐむ。
「悪い、いつもの口癖だ」
「んー、なんのことっすかあ? 」
一瞬固い表情になった聖は、ごまかすようにわざと大声で、言った。
「ガケから落っこちて死んじまうような間抜けな兄貴のことなんか、ぜーんぜん、気にしてないっすよ! 」
がたん、と、スツールがひっくり返った。
その言葉を聞いた途端に、一樹はカッと頭に血が上って、思わず立ち上がっていた。
「お前、妹の癖になんてこと言うんだよ」
「はあ? 」
ぶるぶると怒りに震えながら、一樹は俯いたまま、絞り出すように言った。
「久さんは、間抜けじゃねえよ! あんなところで、勝手に落っこちるような間抜けでもない! 」
「へえ? 」
聖が、舌なめずりするような表情で、一樹に噛みついた。
「じゃあ、兄貴は誰かに殺された、とでも? 」
「……」
「あんた、見たの? 誰が、どうやって? 」
冗談めかしているような口調だが、聖の目は笑っていなかった。
むしろ、目尻がつり上がり、怒りで真っ赤に染まっているようにさえ見えた。
「おいおい、よせよ聖。北原君も」
不穏な空気を感じ取った大島が声をかけるが、二人とも、耳に入らないようだった。
「あたしの兄貴が、そこらの間抜けに殺されたとでも? いい加減なこと、言ってんじゃねえ! 」
「黙れ、馬鹿女! 」
一樹は、とうとうキレて、相手が女なのも、久の双子の妹なのも忘れて、聖に殴りかかった。
「わ、馬鹿」
大島が、両手でサングラスの目を覆った。
「お前が虎姫に勝てるかよ! 」
大島の声を耳にしたのと、聖に、ドクター・マーチンのワークブーツで延髄切りを決められたのが、ほとんど同時だった。
一樹の視界がぐんにゃりと歪んで、ブラックアウトした。
後で大島から、聖が中学から高校にかけてグレていて、近隣の不良連中から「虎姫」とあだなされていたことを聞かされたが、このときはそんなことは知らなかった。
目が覚めると、一樹は、聖の膝枕で横になっていた。
店の奥の、畳の部屋だった。あわてて飛び起きようとして、やんわりと、聖に止められた。ひんやりとした掌が、額にあてられる。一樹は、されるがままに、聖の膝に頭を下ろした。
「ごめん、つい足が出た」
聖は、困ったような口調で、おもむろに言った。
「あたし、兄貴のこと、よく知らないんだ」
「……」
「でも、知ってる。兄貴が、間抜けじゃないってことくらい」
「聖……さん? 」
一樹の頬に、暖かい水滴が、ぽつん、と落ちてきた。
おそるおそる瞼を開くと、想像していたよりずっと近くに、聖の顔があった。
切れ長の瞳が潤んで、いっぱい涙が溜まっていた。
「あたしは、口惜しい。兄貴をぶっとばすっていう目標がなくなって、どうしていいのかわからない」
「……」
「でも、あんたは、兄貴が殺された、っていう」
聖は、ぼろぼろ泣きながら、それなのに、口許にちょっと酷薄な微笑を浮かべていた。
「だったら、あたしは兄貴の代わりにそいつをぶっとばしてやる! 」
「聖さん」
一樹は、まだふらふらする頭を持ちあげて、聖の膝枕を逃れ、畳の上に座り直した。
「俺、正直言ってあんたは好きになれそうにない」
決してふざけていない口調で、聖の目をまっすぐに見ながら、一樹は言った。
「あんたが、久さんをぶっとばしたい、なんて思ってた理由にも興味はない」
「……」
「だけど、あんたが久さんをやった奴を探してぶっとばすっていうんなら、一緒にやらせて欲しい」
「一樹くん! 」
聖は、がす、と、一樹の腹に、右ストレートをお見舞いした。本人としては、挨拶代わりの軽いパンチ。
「ぐあ」
しかし、一樹に呻き声をあげさせ、腹を抱えてうずくまらせるには十分なパンチだった。聖は、全くそんなことには気が回らない様子で、のたうち回っている一樹の両手をとって、嬉しそうにぶんぶんと振り回した。
「やるぜえ、あたし! 久をやった奴、絶対ぶっとばしてやる! 」
それからしばらくして、上泉聖は東京を引き上げて、故郷の街に帰ってきた。かなり性格に問題がある上泉聖だったが、突然久が消えてぽっかりと仲間の輪に空いた穴が、少しは埋まるような気がしたのか、一樹以外の人々にもいつの間にか溶け込んでいた。聖自身も、染めていた髪を黒に戻すと、もともと持っていた才能が急に開花したらしく、数年のうちに自分の居場所を作りあげていった。
「久を殺した奴をぶっとばす」という約束は、一樹と聖の間では、その間も失効することなく続いていた。
聖は情報集めに都合がいいという理由でタウン誌の編集部に就職したが、仕事そきっちりこなすうちに、会社ごと任されるようになっていた。そのタウン誌のもとの経営者が、摩耶の父親の岸川だったのは、単なる偶然……というより街の小ささのおかげだったが、それでシルバー・バレットというチューナーのことはかなり詳しく知ることが出来た。結局、店は久の死んだ頃と前後して閉店しており、経営者の行方も分からなかったのだが。
現場を目撃していた小諸というソムリエのおかげで、一樹の見ていない、久の最後の状況もある程度分かるようになった。
小諸によると、先に走ってきた小さいバイクが、まるで崖にダイブするようなラインで入ってくるのを、フルカウルの大きいバイクもぶつかりそうな至近距離で追ってきた。道のなくなる直前で、先行していた方が後輪をスライドさせるようにして急激に向きを変え、カーブを抜けていった。後続の大型車も同じように曲がろうとしたが、向きが変わらないでそのまま崖下に滑り落ちていった、という。
結局、警察に話した以上のことは小諸は知らなかった。一樹と聖は、今でも小諸の勤める和風旅館を改造したイタリアン・レストラン「ニーヴェ」の常連になっていたが。
久の葬式に来ていた小諸雪奈は、その小諸の姪だった。
やはり現場にいて、久の最後を目撃した、という。小諸があの場所に居合わせたのは、雪奈に頼まれたからだった。雪奈は、久と付き合っていることは伏せて、峠にバイク見物に行きたい、と言って、よく連れていってもらっていたらしい。雪奈もまた、久を殺した狼男を、ずっと探している。
そんな中、十年近い時間が過ぎて、「狼男のSDR」に乗って、聖たちの前に現れたのが、アイコだった。