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Section.6 タイムマシーンに、おねがい(3)

 もし久が仕掛けるとしたら、この直線だろうと一樹は思っていた。

 この峠道の中では、一番馬力にものをいわせられる場所だった。ここを抜けると二七〇度くらいの急激な右カーブがあり、出口で一度左に小さく曲がり、さらに急激な右カーブが続く。そして、目の前から、急に道がなくなる。もちろんそれは錯覚なのだが、ガードレールもない断崖があって、深い谷を越えた対面には大きな滝が流れているために、そちらにひきこまれそうになるのだ。

 何度走っても、一樹はこのカーブでは失速してしまう。

 初めて走るライダーは、どんなベテランでもここで急ブレーキをかける羽目になるという。

 地元では、危ないのでガードレールを敷設して欲しいという要望があるようだったが、どういうわけか、ここだけはもとのままに放置されている。

 そしてそこは、先日、あの鬱陶しい日本人形のような岸川摩耶が転落していたところだった。

 警察の現場検証があっけなく終わった後、一樹とロシア語研究会の有志は花を供えに行った。なんだかんだ言って、罪悪感もあったらしく、都合のつくメンバーは全員参加していたが、肝心の久はその場に来なかった。

 よほどショックだったのだろうということで、誰も久に文句を言う者はなかった。久は、大学でもサークルでも、摩耶のことは何一つ話さなかったし、特に変わったそぶりは全く見せなかった。まるで、最初から摩耶など存在していなかったかのようだった。

 だから余計に、一樹や予土は、久の受けたダメージが、周囲が思うよりずっと大きいような気がしていた。

 そして、久の狼男への執着は、以前とは比較にならないほど強くなっていた。

 一樹のTZRは、少しセーブ気味に直線を駆け上がり、余裕をもって変則ヘアピンに進入した。右カーブに合わせて重心移動、一瞬アクセルを開けて車体を立ち上げ、すぐ左にステア、前輪の方向が変わると同時にアクセルを少し閉じて姿勢を戻すと、じわりとアクセルを開いて右カーブに進入する。

 また、金色の朝陽が視界を遮る。もう、本格的に夜が明け始めていた。

 視線の先に、細くて高い滝がキラキラ光っていた。

 滝壺の水面が、鏡のような銀色に見える。

 ガードレールの切れ目を流しながら通り過ぎた後、ふと、一樹は背筋に悪寒を感じて、の出口で思い切りブレーキをかけた。

 ジャックナイフ気味に後輪を浮かして、何かにぶつかったようにTZRが停まる。が、停まったあとでバランスを崩し、一樹はガードレール側に立ちごけた。

「いってえ」

 TZRを起こしながら、一樹は右肘に痺れを感じる。道路に思い切りエルボードロップを喰らわせたらしい。

 ガードレールの切れ目の少し先の、対向車線側の路側帯に、赤いミニカとマツダ・ロードスターが一台ずつ停まっていて、何人か、ギャラリーがいる。ジーンズの男、ミニスカートの女。中にはジャケット姿の洒落者もいるが、これはお世辞にも若者ではない。どちらにせよ、自分でバイクに乗っているわけではないようだ。

 一樹はてっきり爆笑されると思ったが、何か、様子がおかしい。

 まるで、石像のように、ギャラリー連中が声も出さずに固まっている。

 一樹は改めて、回りを見回した。

「! 」

 そして、一樹も固まった。

 進行方向の少し先に、「狼男」のSDRが、エンジンをかけたまま停止して、こちらを見ていた。

 ヘルメットは、ガン・メタルのシンプソン・バンディット。オレンジ色のジャック・ウルフスキンのトレイル・ジャケット。小さいSDRとバランスのとれた、小柄なシルエット。

 ナンバープレートは、朝陽の加減で読み取れない。

「なんだ……なんで? 」

 せっかく引き起こしたTZRがまた倒れて、べき、と、カウルの割れる音がした。

「おいこら! 」

 一樹は、TZRを放り出して、SDRの方に駆け寄ろうとした。

「久さん、どうした! 」

 狼男は、一樹が駆け寄ってくるのを見ると、おもむろにアクセルを開けた。

 SDRは、フロントを浮かしながら、急加速して、一樹の目の前から遠ざかっていく。まるで悲鳴のように、エンジンが甲高い音をたてて、小さく軽い車体を前に蹴り出す。

 下り坂のカーブを曲がって、狼男の姿は、あっという間に一樹の視界から消えた。

 取り残された一樹は、その場に膝をついて、へたりこんだ。

「おい、あんた! 」

 ギャラリーのうちの一人が、車線を渡って、一樹に駆け寄ってきた。

 ジャケット姿の、四十がらみの男だった。

「さっきのバイクの仲間か? 」

 男は、一樹に尋ねた。

「え……いや」

 一樹はとっさに答えかねて、ヘルメットのバイザーをあげた。

「どっちでもいい、一台、落ちたぞ! 」

「え……? 」

 男の顔は青ざめ、滝のような冷や汗が額に浮かんでいた。

「黒い大きなバイクの方が、そこから谷底に落っこちた! 今、携帯持ってる奴に警察に電話させてる! 」

 その言葉を聞いたとたん、一樹の膝は、がくがくと震えだした。


 いつの間にか、予土たち、ドライブ・インに溜まっていた連中までやってきて、警察が到着するころには、現場は大騒ぎになっていた。

 といっても、ガードレールのない崖下を覗いても、久のGSX−Rの姿は見えなかったし、下に回ろうとすれば、一度麓の分岐点まで戻り、舗装されていない山道を一〇キロ近く歩かなければならない。

 警察は、到着するなり通行を規制し、バイクの群れに退散するように命じた。一樹とギャラリーの若者たちは、それぞれ別々にパトカーに乗せられ、事情を聞かれた。一樹は、呆然としていて、何を答えたのかよく覚えていない。しかし、結局何も見ていないということで、連絡先と住所、免許証の番号を答えさせられると、すぐにお役ご免になった。

 一樹のTZRは、ミラーが壊れ、アンダーカウルにひびが入っていた。

 ギャラリーの若者たちは、事情を警察署で聞かれることになり、パトカーに先導される形で現場から離れていった。赤いミニカの方が、一樹に声をかけてきた男のもののようだった。

「君……TZRの人! 」

 立ち去り際に、男は一樹に声をかけてきた。

「私は、小諸といいます。よかったら、ここに連絡をください」

「あ……」

 男は名刺を一樹に手渡すと、小さく頷いてウィンドウを閉じ、パトカーの後ろについてミニカを走り出させた。

 呆然としている一樹を、予土が見つけて駆け寄ってくるのが見えた。

 一樹は、もう、何がなんだか分からなくなっていた。


 速度の出し過ぎと、操作ミスによる事故。

 あれだけの大騒ぎにも関わらず、警察の取り調べはごく簡単に終わり、新聞記事としては地域面の隅っこにのっただけで、久の死はかたづけられてしまった。

 久の遺体とGSX−Rは、崖下の、木立の間で発見された。ずいぶん、ライダーとバイクは遠くに離れていたらしい。久の直接の死因は、全身の強打と頸椎の骨折だった。父親の希望で、密葬だけで久はおくられたから、一樹や予土、先輩の大島たちは、とうとう久の死に顔を拝むことができなかった。

 仕方なく、先輩の大島が発起人になって有志で偲ぶ会を開いたが、それが実質的な久の葬式だった。久の恋人だったと自称する小諸雪奈が初めて姿を見せたのは、その時のことだった。

 久の前を走っていたSDRの持ち主についても、警察は把握しているらしかったが、当然一樹たちには教えてくれなかった。

 いなくなってみると、久の存在は周囲にとってあまりに大きかった。

 ロシア語研究会の活動はすっかりおざなりになってしまったし、バイク仲間のあつまりもなんとなく消滅していった。

 久を通じて繋がっていた友人たちは、久を欠くと、お互いに何を話して良いかも分からないような関係だったことに気付かされていた。

 一樹は、自分の回りの世界が、どんどんモノクロに変わっていくのを感じていた。一樹自身も、何をする気力もなく、だらだらとしているしかなかった。

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