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Section.6 タイムマシーンに、おねがい(1)

 それは、少し霧のある、肌寒い早朝のことだった。

 一樹は、県境の峠の入り口にあるドライブインの駐車場……通称「ピット」に、その頃足代わりに使っていた後方排気TZRを走らせていた。

 ボマージャケットの襟やジーンズの足に、朝露が染みこんでいるような気がする。タイヤが暖まりきらないうちに、一樹は目的地に着いてしまった。

 「ピット」には、もう、十台以上のバイクが集まっていた。

 レプリカ、ネイキッドの、チューンド・バイクばかりが、開店前のドライブインの前を駐車場を占拠している。夜明け前の、明るくなり始める時間帯。

 一樹は右手を軽くあげて、先着のカラフルな革ツナギの連中に挨拶し、ぱらんぱらんとツー・ストローク・エンジン特有の音をたてながら「ピット」の中に乗り入れた。

 一樹は適当なところにサイドスタンドを出してTZRを停め、ヘルメットを外した。

 さらり、と、女のような長髪がこぼれる。

「おはよーっす! 」

「うぃーっす」

 あらためて、ドライブインのウッド・デッキに鳥のように並んでいる、カラフルなライディング・ウェアの群れに挨拶すると、揃っているような揃っていないような返事が口々に返ってくる。

 一樹はそのメンバーを見渡し、探している人物の姿がないことを確認すると、一番手前に座っている、加藤大治郞レプリカのツナギにヘルメットを抱えた、小太りした髭もじゃの男に尋ねる。

「予土さん、久さんは? 」

「あっち」

 親指で示してみせる先は、ドライブインの向かい側、左車線の脇の路側帯。

 黒一色の革ツナギに、アライの白のヘルメット。マットブラックにペイントされた外装に、鏡面仕上げが施されたアルミのダブル・クレードル・フレーム。

 アンダー・カウルの隅っこに、銀の弾丸を象った、小さなステッカー。

 上泉久の、GSX−R七五〇R。

 身長一九〇センチの久がまたがると、四〇〇CCに見えるが、れっきとした七五〇である。一九八九年の限定モデル、いわゆるRKというタイプで、当時でも珍しい空油冷エンジンのレーサーレプリカ。

 久のそれは、シルバーバレットという、地味だが腕の確かなチューニングショップが、一度全部を分解し、各部の仕上げと組み立てをやりなおした、カスタムマシンである。量産車とはいえ、久の体や乗り方にきっちり合わせた、ハンドメイドに近いものになっている。

 カラーリングとフレームの処理以外には、ポジションあわせのクリップオンハンドルとバックステップくらいしか目につく部分はないが、タイヤを交換すればそのまま鈴鹿八時間耐久に参加できるくらいの性能になっているらしい。久は、このバイクの代金を払うために、ここのところずっと複数のバイトを掛け持ちしていると言っていた。

 久は、バイクにまたがったまま、腕を組んで仁王立ちしていた。

 一樹は、久に駆け寄ろうとして、足をとめた。

「またかよ」

 一樹は舌打ちし、自分のTZRの方に戻りかける。

 舌打ちしたのは、不甲斐ない自分に対して。

 大学で会う久は、相変わらずの明るく屈託のない良い先輩で、ひと月前に死んだ妹分の岸川摩耶のことなんかまるで気にしてないようにさえ思える。むしろ、良く知らない連中が「意外と冷たい奴」くらいのことを言い出すくらいに。

 同級生だが、摩耶に対しては、一樹はあまりいい印象を持っていなかった。久の後ろをこそこそついて歩いている陰気な日本人形みたいな女で、ちょっと鼻持ちならないところがある。入部してないくせに、久のいるときはいつもロシア語研究会の部室に紛れ込んでいて、打ち解けもしないのに最後まで居座り続ける。久が俺の妹分だ、とか、変な紹介をしていたからなんとなく回りも文句を言えないでいたが、特に同性のサークル・メンバーには煙たがられていた。なにしろ、部室にいる間、一言も口をきかずに、なんとなく人を見下ろしたような微笑を浮かべて、部屋の隅っこに座っているのだ。座敷童とか、久の背後霊だとか、さんざん陰口を叩かれているのは摩耶だって知っていただろうけれど。

 見た目は日本人形のように可愛らしいし、ロシア語研究会の男どもはみんなフェミニスト気取りだったから、最初のうちはなんとかコミュニケーションをとろうと試みていたが、直に全員お手上げになった。一樹自身も、何回か話しかけてみたが完全にシカトを決め込まれたので、結局まともに話をしたことは一度もない。

 やっかみ半分に「完璧超人」なんてあだ名をつけられている久の唯一の欠点が、摩耶という妹分だったとも言える。

 別に男女の仲ではない、とは久も明言していたが、何故「妹分」というほどまで摩耶を可愛がっているのかは、周囲の人間にとっては謎だった。

 ところが、摩耶の方は、久にベタ惚れだったらしい。

 久のためにあまり雰囲気が好きではなかったロシア語研に顔を出し、自転車も乗れなかったのに自動二輪の免許を取りに行き、久と同じシルバーバレットにバイクを注文し、久と走るために峠道を原付で下見に行き、と、内気な摩耶としては、いじらしいほど一生懸命だったと、一樹は摩耶の父親に聞かされた。

 摩耶の葬式の日に。

 摩耶は、乗っていった原付ごと、県境の峠道の、滝が見えるカーブをつっきって転落し、翌朝見つかった時には冷たくなっていたらしい。

 転落した場所には、まったくブレーキの跡がなかった。事故か自殺か、結局はっきりしなかったが、動機がわからなかったので、警察は事故と言うことにして捜査を打ち切ったが。

 久は、摩耶の葬式の日に、泣いてはいなかった。

 一樹は、あんな無表情な久の姿を見たことはなかった。目がただの穴のようにうつろになり、陽に焼けた頬がどす黒く染まっているような無表情で、久は摩耶を見送った。

 一樹は、そんな久の顔を見ることは二度と無いだろうと思っていた。

 ところが、その後、ふとしたはずみに、一樹は久のそんな表情に何度か気付かされることになった。

 一度目は、摩耶の乗るはずだったSDRが、一度も納車されないまま転売されたと聞いた日。二度目は、この峠で最速のライダー、久もなんどか挑んでことごとくぶっちぎられた『狼男』が、そのSDRで峠に現れたと聞いた日。

 そして、二週間ほど前から、ほとんど毎朝、その顔を見る羽目になった。

 久は、「狼男」を、ここで毎朝待ち伏せしているのだ。路側帯にマシンを待機させ、仁王立ちで。そのヘルメットの下の顔が、まるで死人のように無表情なのである。

 一樹は、最初の日にそれに気付いて以来、ここで久に話しかけるのをためらうようになっていた。

(久さんがあんな顔するって知ってたら、摩耶は死ななかったかもな)

 道を挟んで久の姿を眺めながら、一樹は溜め息をついた。

 一樹は会ったことがないが、久には双子の妹がいるという。札付きの不良だったらしいが、高校までよその街で育った一樹がそんな話を知るわけがない。久にとって摩耶は、その妹の替わりでもあったのかも知れない。

 でなければ、雨の日にまで、毎日、バイトあけの重い体をひきずって峠に通い詰めるような、馬鹿な真似はしないだろう。

 そして、そんな久に、一樹はいつも、声をかけられないでいた。

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