Section.5 Bang・Bang・Bang(4)
「健気な……っていうかちょっと痛い人だったんだ……」
アイコは、自分にはあまり分からない、という風に呟いた。
「久さんの方は、妹分、って感じで可愛がってたけど、別に恋愛感情とかはなかったと思う。若干、摩耶がストーカー気味だったかな。色白なインドア少女で、すんげえ大きな黒い目の子だったよ」
一樹は、ここにいる三人の中で一人だけ、生きて動いている摩耶を知っている。アイコは、一樹の話を聞いて、頭の中で想像する。高原植物みたいな、細いやせっぽちの、色白の女の子。
「摩耶にSDRを勧めたのも、自分のGSX−Rと同じシルバーバレットを紹介したのも久さんだったと思う」
「でも、久さんは……」
「小諸雪奈とつきあってた」
聖が、一樹の替わりに答える。少し酔いが回ったのか、頬を上気させながら。
「俺、いまだに、それもちょっと信じられないんですけどね」
一樹は、腕を組んで唇を尖らせる。
「久さん、俺たちにそんなこと、一言も言わなかったし。雪奈に初めて会ったの、久さんの葬式の時ですよ」
「よっぽど隠してたんだ」
「隠す理由が分からないんですよ。俺だけじゃなく、美春さんも全然知らなかったって言うし」
アイコは、ふと、嫌な感じを覚えて、一樹の話を遮った。
「それはともかくとして。摩耶さんって、まさか自殺したとかじゃないよね? 」
アイコの言葉に、一樹はぎく、と身構えて、聖の方に視線を走らせた。聖は煙草を大きく吸い、長々と煙を吐き出した。
「……エスパーかよ、お前は」
「エスパーって言葉が古いよ、一樹さん」
アイコはずず、とコーヒーをブラックのまま啜って、苦みに顔をしかめる。
「で、正解? 」
「どうかなあ」
冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、アイコのカップにどぼどぼと注いでやりながら、一樹は言った。
「摩耶が、いつもの峠道で崖から落っこちて死んだのは確かだけど。自殺か事故かも分からない。ただ、言えるのは二つ」
「二つ? 」
「ひとつは、狼男がそれを境にマシンを替えたこと」
聖が、また一樹の言葉を奪った。
「わざわざ、排気量の小さいSDRにマシンを替え、それまでのツナギから、オレンジ色のトレッキングウェアに、格好も変えた」
「でも、相変わらずジャック・ウルフスキンだったんだ」
自分もオレンジ色のベストを持っている。
自分の街からここまで、列車に乗ってきたときに着込んでいたベスト。
「あたしの先生も、オレンジ色のトレッキング・ウェア、持ってたよ」
アイコは、深く考えもせずに、言った。
「ほとんど着たきり雀だった。街中なのに河原にテントで寝泊まりしてて、変な人だった」
「そう? 」
聖の目つきが、酔いも手伝ってか、鋭くなった。
「でも、先生は人殺しなんかできないよ」
アイコは、きょとんとした顔で、聖と一樹の顔を見比べる。
「だいたい、本当の人殺しだったら、警察が放っておかないでしょう? 」
「まあな」
一樹は、自分のカップに口をつけ、缶に直接手を突っ込んで、ポリポリとピーナッツを頬張る。
「正確に言えば、久さんを殺した、ってのは言い過ぎなんだよ」
「というと? 」
「久さんは、ずっと狼男にバトルで勝ちたいと思ってた。VFRの時に、GSX−Rで歯が立たなかった。まあ、油冷の750だったから、RC30にスペックで敵わない間は、仕方ない、って感じだったんだけど」
「相手がSDRとなれば、マシンのせいにはできないからね」
聖が、残ったビールをぐっと飲み干して、空き缶を最初の缶の隣に並べた。
「一樹、もう一本」
「いい加減にしたほうがいいっすよ。明日は編集会議でしょ」
「うるせー。文句言わずに出せ−」
「へいへい」
アイコは聖と一樹の漫才を眺めながら、残りのケーキを二口で飲み込んだ。
大粒のブルーベリーが、ぷちぷちと口の中で弾ける。一樹は結局折れて、缶を冷蔵庫から取り出した。
「もう、発泡酒しかないですよ」
「マスター、金持ちの癖に妙なところでけちってるなあ」
ただ酒を喰らっているのに図々しく文句をつけながら、聖は三本目の缶を受け取った。
「それに、何回かバトルやって、相手が摩耶のSDRだって確信したみたいだった」
「自分のこと、好きだった娘のバイク、か」
アイコは、ふと、自分のことを考える。先生からもらったSDR。どうして自分がそれに乗っていたいと思っているのか。
「どんな奴が乗ってるのか、気にならない訳ないよね」
「だろ? 」
一樹は、アイコが上の空で呟いた言葉に、気付かずに相づちを打つ。
「で、久はある日、県境の峠の入り口で、『狼男』を待ち伏せた……」
聖が、発泡酒の缶をあおり、ふう、と息をついて、言った。
全然見た目は変わらないが、ペースが速すぎるせいで少し酒が回ってきたようだった。
今度は、一樹が聖の後を継いで、話を続ける。
「俺とマスター、美春さん、それから何人か、久さんの知り合いは、スタート地点とゴール地点で待機してた。少し霧のある、肌寒い早朝のことだった」