Section 23 ハイウェイ・スタア(5)
(兄貴は、あたしのハイウェイ・スター。追いつけないんだ、結局)
聖は、全身の力が抜けていくのを感じていた。
涙も出ないが、確かに聖は泣いていた。
(追いつくどころか逃げ切ることもできなかったなんて……)
情けなくて、情けなくて。
だが、それももうどうでもいいような気がしていた。
目の前に、なんだか妙に綺麗な風景があった。
柔らかい春めく光。小鳥の声、向こうの山には澄んだ水の流れ落ちる滝。
力が抜けた分、体が軽くなったのか、聖は風に乗るように宙に舞う。雲のない青空に、舞い上がる。
なんだか、気持ちがよかった。水の中を泳いでいるような、もっと体が軽いような。
ふと、聖は背後に冷たい風を感じた。
聖は、何気なく、振り返った。
黒髪の、病的に色の白い少女が、風に身を預けるようにしながら、聖の背後を漂っていた。
聖自身と同じように。
聖は、それが誰か知っていた。
「あんたは、あたし、か」
黒髪の、聖よりずっと細く儚げな身体の……それでいて、底知れない闇のような存在感をもつ少女は、くすくす、と笑った。
「あたしは、あたし」
黒髪の少女は、意地悪く笑い、そして、言った。
「あたしは、摩耶。あなたとは、違う」
「!!」
摩耶が、そう言ったとたん。
重力が、二人を捕まえた。
儚げな少女と傷ついた女は、真っ逆さまに、落ちていく。
そのとき、聖ははっきりと聴き、はっきりと見た。
GSX-Rの図太い排気音。
切り裂かれる風。
空を駆けのぼってくるバイクには、ノーヘルの、屈託のない笑顔の……。
久。
「兄貴!!」
聖は、思わず叫び、精一杯腕を伸ばす。
「助けて!!」
久を乗せたGSX-Rは、ためらいもなく落ちてくる二人の方に駆け上がった。
そして久は腕を伸ばし。
摩耶だけを助けあげた。
聖は、摩耶が舌を出し、聖を嘲笑うのを見た。
次の瞬間、GSX-Rは、久と摩耶を乗せたまま、光になって天に駆け上がっていった。
聖は何も考えられず、ただ、ひどい衝撃で固まったまま、真っ逆さまに落ちていく。
「おばかさん」
摩耶の声が、聞こえた。
「久は、あたしのものよ。かわいそうすぎるから、あれ、あげる。もういらないもの。あんな乗物。あたしは、ずっとタンデムなんだから」
「ふざっけんなあ!」
聖は、ようやく声を絞り出して、怒鳴り返した。
「お前なんかのマシンじゃねえよ!!」
「聖さん!!」
叫び声をあげたところで、ようやく、聖は気がついた。
冷たいアスファルトの上に横になって、身動きできないでいる自分。そして、いつものように感情をそのまま吐き出して、涙で顔をぐしゃぐしゃにしているアイコがのぞき込んでいることに。
「なんだ、アイコか」
「なんだ、じゃねえよ!!」
アイコは、掴みかかりそうな勢いで言った後、続ける言葉がなくなって、大声で泣きわめき始めた。
(キンキン泣くなよ、うるさいなあ)
聖は、妙に安心しながら、心の中で悪態をついた。
「聖さんは、あたしの目標、なんだから」
アイコは、しゃくり上げながら、言葉を吐き出し続けていた。
「あんま、無様なとこ、見せないでよ」
(無理言うなよ、ばーか。あたしゃ、あんたにも全然及ばないよ)
きりがないやりとりの中で、聖は眠りに落ちていった。