Section 22 ハイウェイ・スタア(4)
水の中を、歩いているような気がした。
その水が冷たいのかぬるいのかさえ、わからない。
裸のまま、宙ぶらりんになって歩いていた。
何故か息はできるかわり、体中が重い。
浮かぶこともできない。白くて淡い光が視界を遮っていて、暗くないのに何も見えない。
光にも、重力にすら方向性がない。
沈んでいるのか、浮かんでいるのかもわからない。
こんな臨死体験はいやだな、と、聖は漠然と思う。
映画で見た死後の世界の入り口は、もっと光が溢れていて、もっと暖かそうで、もっと花が咲いていたんじゃないだろうか。
それか、灼熱だったり極寒だったりして、ちゃんとそれまでやってきた罰があたるようにできていたような気がする。
こんな宙ぶらりんだなんて、知らなかった。
身体は熱くもなく冷たくもなく、心は平穏というより壊れた機械のように停止している。
とても静かだった。
(あーあ、つまんねえことしたな)
聖は、さほどつまらなささえ感じないまま、思っていた。
(あたしともあろうものが……いや、あたしにはお似合いかな)
唐突に、父親の顔が浮かんだ。
はっとするほど、現実的なイメージ。顔の皺やほくろの一つ一つ。覚えているのが不思議なくらいの、細かいディテールつき。父親は、いつものとおり景気悪そうな青白い顔で、何かに祈っていた。
聖は、耳を澄まして祈りの言葉を聞こうとしたが、何も聞こえなかった。
父が何を祈っていたのか、聖は、実は知らない。
ともかく、久のことに違いない、と思っていた。父は、久のことをよく聖に話していた。できすぎた久が心配だ、と。聖は、ずっと、それを父親の的外れな嫉妬だと思い込んでいた。だが、今になってみれば分かる。父は本当に久のことを心配していたのだ。久に嫉妬していたのは、聖の方だった。自分がそうだったから、父もそうだと思い込んでいた。
だが、それは勝手な自分の思い込みだった、ように思えた。
聖は、久が死んだとき、正直言って安堵したことを覚えている。
聖は、久が苦手だった。
嫌いだったのではなく、苦手だった。
多分、久のことが、本当は大好きだった。
好きで仕方なかったが、実際にふれ合うことができなかった。
久はいつも、透明で澄み切っているが爆弾でも破れない硝子の壁の向こうにいた。
どんなに聖が悪さをしても、きちんと怒り、きちんと聖を理解しようとした。
そのきちんとしているところが、ひどく聖を傷つけた。そのことすら、久はちゃんと分かっていた。
それがますます聖を傷つけた。
優しい美春を巻き込んで、聖は荒れに荒れた。
それでも、久の硝子には傷一つ付かず、聖はとうとう久の前から逃げ出した。
久が、重荷だった。
久のようにはなれない。久の妹としてふさわしい人間にもなれない。
東京の短期大学に通い、東京の会社に就職して、久のこともこの街のことも忘れようとしたが、それも結局逃げでしかなかった。