Section 22 ハイウェイ・スタア(3)
自分で自分がおかしかった。
全然、楽しくなかった。
普段は自分の身体の一部のようにさえ感じられるGSX-Rが、ひどく遠
い。まるで別の意志をもった生き物のように、聖に逆らう。
この感覚は、初めてではなかった。
聖は、前にアイコを追いかけて、追いつけなかったときのことを思い出して
いた。
あのときは、最後の馬鹿みたいな直線で、馬力だけにモノをいわせて最後に
抜き返したのだった。
この、小さなカーブの連続する峠では、それは無理だった。
ましてや、アイコのSDRは、大きく失速することなく、高い速度をキープ
している。車重の重いGSX-Rの聖は、加減速を繰り返し、パワーや車体剛
性の高さを活かせない。オフローダーのように跳ね回るSDRの軽快さの方
が、グリップを効かせないと走れないスーパーバイク・GSX-Rの重厚さよ
りも、この峠にはあっていた。
(……兄貴も)
聖は、頭の片隅で思う。
(こんな気分で、狼男を追っかけてたんだろうか)
ずるり、と、カーブの途中で大きくリアタイヤが滑った。バランスを崩した
GSX-Rは、ガードレールにスライディングしそうになる。フロントブレー
キで減速し、腰をシートから浮かせて、無理矢理立て直す。聖は、ヘルメット
の下で絶叫した。小さな下り坂、アイコの背中がまた少し遠くなる。
あの、久の死んだ、滝の見えるコーナーまで、あと少しだった。
(駄目だ、全然追いつかない! )
聖は、かろうじて体勢を立て直しながら、舌打ちをする。
いくらなんでも、ここまで歯が立たないなんて。
アイコは以前、ここで狼男のVFRを追いかけて、全然追いつけなかったと
言っていた。そのアイコにも、ついていけない。
そうしているうちに、この峠道で唯一馬力にものを言わせられる場所……あ
の、摩耶と久が落ちていった断崖の手前、短い登りの直線が、少し先に見えて
きた。この直線を抜けると、二七〇度くらいの急激な右カーブ、一度左に小さ
く曲がり、もういちど急激な右カーブ。そしてガードレールのない断崖。
深い谷を越えた対面には、例の大きな滝。
頭の中で再生できるほど、何度も走った道。
聖はここで、腹を括った。
直線に入って、フルスロットル。
タコメーターとスピードメーターが、跳ね上がる。
四輪車で言えばF1並みの加速力で、GSX-Rが蹴飛ばされたように加速
する。
一瞬、聖の回りの音が消え、回りが静止してしまったような感覚。
先を走るアイコの背中が近づき、近づき。
ついに、並んで。
そのときには、もう、直線はなくなっていた。
急制動。
急に、世界が動き出す。
色が、風が、音が、動きが。
急に重力に捉えられたように、GSX-Rがぐにゃりと撓む感覚。
最初の右カーブを、ぎりぎりすり抜け。
次の左カーブはまとめられないので対向車線を走り。
そして、滝が正面に見えたところで、限界だった。
抜き去られながら自分のラインをキープしていたアイコの目の前で、GSX
-Rはハイサイド気味に滑り出す。
「聖さん! 」
アイコは、思わずアクセルを戻していた。
停まろうとするSDRの目の前で、聖はロデオのようにGSX-Rの上で踊
った。
次の瞬間。
聖は放り出されるように路面に転がり、GSX-Rは二、三度バウンドし
て、崖から落ちていった。
「ば……ばっきゃろ! 下手くそ! 」
アイコは、怒鳴りながらシンプソン・バンディットを脱ぎ捨て、SDRを飛
び降りた。スタンドをかけていないSDRが、がしゃ、と音をたてて転倒す
る。
「あたしの前で何度も事故ってんじゃないよ! またかよ! 」
岸川の屋敷に向かう時も、アイコが前を走っていた。
あのときも、聖はふっとんで、バイクは湖に落ちてしまった。
そして、また。
アイコは、怒鳴りながら、聖に駆け寄った。