Section 21 夏の終わりのハーモニー(4)
アイコは史郎の胸から頭を起こして、美春の顔に視線を向けた。
「聖さん、そんな弱い人じゃないよ」
「さてねえ」
美春は、自分自身が考え込むように、アイコから眼をそらして俯いた。
「ひーちゃんにしてみりゃ、こんな状況は想定外だろうからね」
「……」
「あいつは、いっつも久から逃げてきた」
美春は、自分の考えをまとめるために話しているようだった。少し少し、考
えながら、話す。
「久は本当に非のうちどころのなさそうな奴だった。外から見てる限りは。あ
たしはそれが好きじゃなかったけど、妹の聖は好きじゃないじゃすまなかっ
た。ガキの頃は極端なブラコンだったが、少し大きくなった頃には、とっても
苦しんでたみたいだ」
「苦しんでた?」
アイコが、訳が分からない、という顔で聞き返す。
「すごいお兄さんなのに? 」
「あんた、一人っ子だろ? 」
美春は、何の感情の揺れもなく、アイコに言った。
「あたしもだよ。だから、あんまりよく分からなかったんだけど、同じ親から
生まれて絶対叶わない兄貴、ってのは最悪だったみたいだ。少なくとも、ひー
ちゃんみたいな負けず嫌いにとってはね」
「……」
「それで、最初は一生懸命逃げようとした。グレてあたしとつるんだり、この
街から逃げ出したり。ひーちゃんも、あたしはあたし、とか言ってた。でも、
それは嘘だった。久から逃げてただけで、ひーちゃんは本当は久をぶん殴って
でも乗り越えたかったのに。そう思う自分からも逃げてた」
「……ところが、久が死んじまった、か」
史郎が、つまらなそうに言った。
「あんたの妹を追っかけて、な。だけど、ひーちゃんはそんなこと、信じなか
った。……奥で寝てる馬鹿のおかげで、そこに言い訳を見つけてしまった」
「それで、『狼男』を狩る決意をした、か」
史郎は、軽くため息をつくと、優しくアイコを立たせてやった。
ぽんぽん、とアイコのショートカットの頭を軽く撫で、自分もスツールから
立ち上がる。
「馬鹿馬鹿しい。俺ごときに人が殺せるかよ」
「そうかもな」
急に男口調になって、美春が鋭い視線を史郎に向けた。
「だけど、それじゃ困るんだ」
「困る? 」
「あんたが殺し甲斐のある奴じゃないと、ひーちゃんが立ち直れないからね」
「そんなことのために殺されてたまるか」
面倒くさそうな顔で、史郎は言った。
「あんたはそうでも、こっちはそうはいかないぜ」
と、美春が、顎で店の入り口を指した。
史郎とアイコがそちらに目を向けた瞬間、蝶番が外れそうな勢いで、ドアが
開いた。
バン、と、ドアを叩きつけるようにして、前身黒革ずくめの聖が、足を踏ん
張るようにして立っていた。
「聖……さん? 」
アイコが目を丸くし、美春は俯いて苦笑い。そして、史郎は無言で聖を睨み
返す。
「新田史郎。いや、『狼男』! 」
聖は、鋭い、切り裂くような口調で、史郎を指さしながら、言った。
「あたしと、あの峠で勝負しな! 」