Section.5 Bang・Bang・Bang(3)
聖は泣き叫ぶ雪奈をアイコが停めたタクシーに押し込み、行き先を運転手に告げた。
運転手は無言で頷き、ドアを閉めて走り出した。
「ふう」
「良く停まったよね、あのタクシー
聖とアイコはタクシーを見送ると、どちらからともなく、顔を見合わせる。
「あ……」
なぜかぎこちない口調で、聖の方が口を開いた。
「大丈夫? 怪我してない? 」
「んー、打ち身、擦り傷、みたいな感じ? 」
アイコも、何故かそっぽを向きながら答える。
「プロだけに、怪我しないけど無茶苦茶痛い攻撃方法をご存じで。あ、肘のところに穴が」
「どれ、見せてみ……わ、血出てる! 早く帰って消毒しないと」
「大丈夫ですよ、こんなの。しょっちゅうだし」
「そうはいかないよ。ほら、ハンカチ」
「あ、ありがと」
アイコは、聖の差し出したガーゼ生地のハンカチを肘に当てた。
聖は、アイコの右手をとり、引っ張るようにして歩き出す。
アイコは、最初は引きずられるよう歩き出し、聖と手をつないだまま、その後についていく。
「聖さん」
「なに? 」
「あのパンク女、昼間の会社の受付嬢でしょ? 」
「ああ」
「なんであたしを? 」
聖は、一瞬、歩みを遅らせた。それから、歩調を元に戻し、アイコに背中を向けたまま、独り言のように口を開いた。
「あの子……雪奈は、あたしの高校の後輩で、死んだ兄貴のもと彼女」
「え? 」
「……だったって、雪奈から聞いてる」
アイコは、うつむいて聖の後ろをついていく。
人の流れは、ちょうど逆。駅のある方から、聖とアイコはだんだん遠ざかっていく。
「あたし、兄貴のことよく知らないんだ」
聖は、夜空を見上げて、話を続ける。
曇っているせいか、この街の夜空にしては星が少ない。
「特に、大学入ってからは、兄貴ともオヤジとも離れて、東京で暮らしてたから。まあ、小さい頃から、仲は良くなかったんだけど」
「……」
「このまんま、兄貴からもオヤジからも、この街からもだんだん遠ざかって、そのまま関係なくなっちゃうんだと思ってた」
「なんだ」
アイコが、スキップして聖と歩幅を合わせ、隣に並びながら、言う。
「やっぱあたしと同じなんじゃん」
「かもね」
聖は、哀しそうにも、優しそうにも見える微笑を浮かべ、アイコの額をちょん、とこづく。
「あたしは中学、高校と結構グレててさ。もっとも、美春みたいに鑑別所とか少年院だとかにまで縁のある筋金入りでもなかったけど」
「へえ」
「兄貴の久は、スポーツ万能、成績優秀、人格最高、嫌味なぐらい隙の無い奴でさあ。あたしなんか、真似しようとしてもできないくらいの完璧人間だった……らしいんだけど、良く知らない。だから雪奈と久がつきあってたのも知らない。そもそも、久の葬式で会うまで、全然知らない奴だったし」
「同じ高校なのに? 」
「あいつは真面目な一般学生、こっちはサボり常習の不良生徒だったから。歳も三つ離れてるし」
きっと、聖は雪奈を知らなくても、雪奈は聖を知っていただろう、とアイコは思う。なにもしなくてもやたら目立つのだ、この人は。
「今日、昼間事務所に寄ったでしょ。岸川さんとこ……岸川企画っていう、古手の広告代理店なんだけど」
「うん」
「あの社長の娘の摩耶が、雪奈の同級生だったんだ」
「摩耶さん……ずっと前の、あたしのSDRの持ち主? 」
アイコは、昼間の聖と岸川のやり取りを思い出しながら、聞き返す。
「シルバーバレット、とか恥ずかしい名前つけてた? 」
「恥ずかしい言うな。シルバーバレット、てのは、昔あったチューニングショップの名前なんだよ。隣の県だったけどね……極力ノーマルの形で造り込んでくってのが特徴の、腕のいいチューナーだった」
そう言いながら、聖は立ち止まって、アイコの方に向き直った。
「もっとも、この街には、そこのショップで手がけたマシンは二台しかなかったけどね」
「そのうち一台があたしのSDR? 」
「間違いないよ。一見、ちょっと状態がいいだけの普通のSDRに見えるけど、エンジンマウントとかスイングアームとか、全部少しずつ手が入ってる。ハナシに聞いたシルバーバレットのチューニングの特徴が、ありとあらゆるところに少しずつ刻まれてる。でも、」
「聖さんが気付いたのは、必死で特徴覚えてたからなんだよね」
アイコは、笑っているでも泣いているでもない、中途半端な表情で、聖の言葉の先を継いだ。繋いでいた聖の手を、離しながら。
「それは、『狼男』のせい? 」
アイコは、大きな、少し色素の薄い瞳で、じっと聖を見つめた。聖は、まっすぐにアイコを見返すと、一文字ずつ、確かめるように答える。
「そう、だった」
「そっか」
アイコは、ふ、と、時々見せる、妙に老成したような微笑みを浮かべた。
「おかしいと思ったんだ、見ず知らずのガキに、むちゃくちゃ関わってくるから」
言いながら、だんだん声が上ずってくるのを感じる。ぞくぞく、と、背中に悪寒が走り始めていた。
「それは、違うよ」
アイコが感情を高ぶらせはじめているのを知りながら、聖は、静かに否定した。
「最初は、びっくりした。次は、利用しようと思った。でも、あんたと関わっていこうと思ったのは、そのせいじゃない」
「信じられない」
「だろうね。でも、嘘じゃない」
アイコは、噛みつきそうな表情で聖を睨みつけた。本当に、飛びかかっていきそうだった。
聖は、まったく動じることなく、アイコから視線を外さない。
少しの間、アイコと聖はまったく違った気分で向かい合った。
そして、アイコは、ふっと体の力を抜いて、もう一度、聖の手をとった。割と大きい、冷たい手。アイコは、両手で包むようにして、聖の手をとった。
「信じないけど、いい」
アイコは、表情をふっと和らげて、言った。
厳しい表情をしていると大人っぽいが、笑うととたんに年齢相応以下の子供っぽい表情になる。聖や一樹の見慣れた、子供っぽく、まっすぐすぎて少し的外れなところアイコの顔。
「聖さんがどうであれ、あたしが決めたんだから。しばらく、聖さんについていくってことは」
「……」
聖は驚いたように目を見開き、一瞬泣き出しそうな顔になったが、いつもの不敵な微笑でそれを隠した。
「ちょっと呆れた」
「ひでえ、いいこと言ったのに」
ぷう、とアイコが頬をふくらます。
「まあ、そういうあんただから、『狼男』のことは抜きにしても、ちょっかい出してみたくなったわけさ」
「そっか」
アイコは、聖の手を放して、体の後ろで組んだ。そのまま、ちょこんちょこん、と、先に歩き出す。
「で、摩耶さんと狼男は何の関係があるの? 」
「わかんないんだ、それは」
聖は、あわてて後を追いながら、答える。
「シルバーバレットのSDRは、結局一度も摩耶の手に渡ることがなかったんだって。納車の数日前に、摩耶が死んじゃったから」
「え……」
「で、岸川さんは、愛娘を思い出すのが嫌で、SDRの受け取りを拒否した。シルバーバレットのオヤジさんは、ちゃんと面倒見てくれる人にそいつを譲ったらしい」
「その、『ちゃんと面倒見てくれる人』ってのは? 」
「わからない。シルバーバレットはその後閉店してて、あたしがこの街に帰ってきた時にはオーナーの行方も分からなくなってたから」
「ふうん」
アイコは、振り返って首を傾げた。
「でも、今の話とパンク女と聖さんのお兄さんの話、全然関係なくない? 」
「それが、ややこしいことに、関係あるのよ」
聖は肩をすくめ、アイコの肩に手を置いた。
「でも、その続きは、店の中でしましょ。一樹や美春の方が詳しいとこもあるし」
「え……あ」
気がつくと、二人はロゼッタ・ストーンの前まで戻ってきていた。
アイコと聖が戻ってみると、もうとっぷりと日が暮れて、ロゼッタ・ストーンの店内は、店のメンバーや早い時間帯の客でごったがえしていた。アイコたちはとりあえず迷惑をかけないように、ロゼッタ・ストーンを出ることにした。アイコはSDRに乗り、酒を飲んでいた聖はGSX−Rを置き去りにして一樹のストーリアX4に便乗してケルンまで戻り、大島も交えて話をすることにした。美春は店が空けられないので、あとで合流することになった。
先に店を出たアイコは、ケルンに戻ると、ようやくジャージから解放されて、いつもの黒いジーンズと黒いTシャツに着替えることができた。赤い、使い古されたジャージには、今日の乱闘で、すり切れたような穴が何か所かあいていた。
大島はもう店には不在だったが、携帯電話の番号がコルクボードに押しピンで留めてあった。アイコが大島に電話してみると、もう聖から連絡があったが、今日は所用で戻れないという。店の中のモノは適当に使え、ということだった。
アイコが大島に電話をしている最中に、聖と一樹が到着した。
もうバイクに乗る必要のない聖は、店に着くなり、カウンターの内側の冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、座りもしないでぐっとあおった。
目を丸くしているアイコを尻目に、一樹は手早くサイフォンを準備して、コーヒーを沸かしはじめる。まるで自宅のキッチンを使っているように手慣れている。さらに、ごそごそとカウンターの下を探ってハニー・ピーナッツの缶を見つけ出すと、コーヒー用のソーサーに取り分けて、つまみとして聖の前に出す。
「わお、ありがと一樹」
「お、ケーキが余ってる」
一樹は、さらにごそごそと冷蔵庫を探り、売り物のケーキがガラスケースに入っているのを見つけた。しかも、「賞味期限につき、食って良し」という大島のメモ付きで。透明なゼリーがかかった、ブルーベリーのショートケーキ。
「一個しかないから、アイコにやろう」
「わーい」
「えー、聖ちゃんの分はー? 」
「気味悪いから可愛い子ぶらないでください……さっきカルボナーラうどん、一人前半くらい喰ったでしょ」
ぶー、と聖は一樹にブーイング。一樹はお構いなしに、アイコの方にケーキを押しやる。
アイコは携帯電話を切って、カウンターに腰を降ろした。
こぽこぽと、アルコールランプに炙られたサイフォンが、音を立て始める。
「……で? 」
サイフォンに目をやりながら、一樹は聖に尋ねた。
「どこまで話したんですか、聖さん」
「摩耶がSDRを造らせた話。摩耶が死んで岸川のオッサンがSDRをうっぱらった話。久と雪奈がつきあってた話。そんでもって、アイコのSDRが摩耶のだったことくらい」
ぷはあ、と、美味そうに息を吐いて、聖が答える。聖はぐしゃ、と缶を握りつぶし、一樹に指で示して、もう一本、缶ビールを出させ、アイコの隣に腰を降ろす。
「じゃ、『狼男』の話は全然じゃないですか」
一樹は天を仰ぐ真似をして、カウンターを挟んで、アイコと聖に向かい合って座る。
「その話は、一樹の方が詳しいでしょ」
「まあ、実際見たことありますからね」
一樹は、煙草をくわえて火をつけた。聖も、一樹の箱から一本抜き取ってくわえる。
「狼男、ってのは、俺たちが勝手にそう呼んでただけで、実際に妖怪だとかそういうわけじゃないんだけど。馬鹿っ速い峠ライダーだったんだよ」
「へえ」
アイコはケーキのセロファンをはがし、ぺろぺろとそれにくっついた生クリームを舐めながら相づちをうつ。
「でも、なんで狼男なの? 」
「最初の頃は、ツナギの右腕に、ジャック・ウルフスキンのバンダナかなんかを縛り付けてたんだよ。マシンはVFR……RC30っていう、純レプリカだった」
「SDRじゃないんだ」
「最初の頃は、つっただろ。VFRでも県境の峠最速だったんだけど、誰も知り合いとかいなくて、どういう奴か分からなかった。久さんもずいぶん追いかけ回したけど、一度も勝ったことはなかったらしい。ずいぶん悔しがってたよ」
「あいつが悔しがる、ってのはあたしには想像できないんだけど」
聖は、ちびりとビールを舐めて、ピーナッツをぽりぽりと噛み砕く。
「聖さんが思ってるほど聖人君子じゃなかったよ、久さんは」
苦笑しながら、一樹が言う。
「確かに陽気で器の大きい人だったけどね」
「一樹さんの人を見る目は信用できないけど、聖さんのお兄さんならきっとそうなんだろうね」
「なにその引っかかる言い方」
アイコは、一樹にべーっと舌を出した。コーヒーが沸いた。一樹はサイフォンからコーヒーをカップに移し、自分の分とアイコの分をカウンターに並べる。
「ところがある時を境にして、狼男の姿が変わった。ツナギにVFRじゃなく、ジャック・ウルフスキンのトレッキング・ウェアにSDR、それもよりによって摩耶のSDR」
「なんで『よりによって』なの? 」
「摩耶は、久さんに片思いしててさ」
一樹は、溜め息混じりに言った。
「久さんと走るために免許とって、久さんと同じショップでチューンしたマシンを買ってもらって、久さんに自分を好きになってもらおうと思ってたらしい」