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よろしくお願いします。
「ルフナ……!?」
突如として現れた何者かに蹴り飛ばされたルフナは、俺の目の前から一瞬にして消える。
そしてルフナと入れ代わるように出現したのは、腰まで伸ばした赤茶色の髪を持ち、細く短い黒の獣耳を頭上から覗かせる燕尾服を着た亜人種らしき女性だった。
「……っ!! ティミさん! スピラ! 二人はリスティア様を守っていてください! 僕とオチバさんで対応します!」
「ひゃ、ひゃい……っ!?」
「分かってる……!」
レファリオは状況を理解すると直ぐ様ティミとスピラにリスティアお嬢様を守るよう指示し、レファリオ自身は俺の隣に移動して襲撃者である亜人種の女性に対して身構える。
しかし、
「ルフナ様! 外出なさる時には必ずお声を掛けるようにと、私ちゃんと伝えましたよね!! 連絡もなしに勝手に屋敷から居なくならないで下さい!!」
襲撃者の女性は俺たちの事になど目もくれず、自らが蹴り飛ばしたルフナの下へと既に駆け寄っていた。
「痛つつ……。流石の蹴りだな、クティ。今日も良い脚をしてる。だが今は客人の前だ。俺と戯れたい気持ちは分かるが、お楽しみの時間は後に取っておくっていうのも悪くないんじゃないか?」
それに対してルフナは多少痛がる様子を見せつつも、襲撃者の女性に攻撃的な雰囲気を向ける様子はない。
それどころか、二人の会話の様子から顔なじみの関係であることが窺えた。
「また巫山戯た返事ですねっ! ……って、客人ですか? いえいえ! どうせルフナ様の事です! また裏町のゴロツキたちと仲良くなって流れで連れて来ようとしただけでは? 私はヴォルダム様から“これ以上ルフナ様の身勝手な行動でネフシャリテ家の評判を落とさないよう注意するように”と厳命されているんです! 来てもらって早々ですが、客人にはお帰り願いましょう!」
「はははっ! おいおい、本当にそんな事言って大丈夫か? 今日の客人はかなり特別だ。なんて言ったってアーディベル公爵家の御令嬢、リスティア嬢と半年前帝都闘技場を賑わした勇士たちだ。そんな彼女らを追い返そうとするとは……。全くクティ、君の度胸には恐れ入った」
「……………………え?」
ニヤニヤしながら話すルフナの言葉を耳にした亜人種の女性は、ピシリと硬直したかと思うとぎこちない動きで振り返り、俺たちを順繰りに視界に入れては徐々にその顔を蒼白にしていく。
「どうやら、思ったほどヤバい事態って訳じゃ無さそうだな……」
「……人騒がせですね」
◆◇◆
「大変失礼しました……っ!!」
“クティ”とルフナに呼ばれていた亜人種の女性は俺たちを認識すると、ルフナの事を放置して頻りに俺たちに謝罪を繰り返していた。
「き、気にしてないわ。わたしたちの方は誰も怪我してないもの。……それより、あなたはネフシャリテ家の使用人という事でいいのかしら?」
貴族であるルフナを蹴り飛ばした亜人種の女性にリスティアお嬢様は酷く緊張している様子だ。
俺たちも万が一に備えてリスティアお嬢様の近くで立ち控えている。
「あ!? はい……! ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、リスティア・アーディベル様。私はネフシャリテ家の使用人にして、ルフナ様の付き人を勤めさせていただいている“アリクティ・グローウン”と申します」
アリクティ・グローウンは、キリリと表情を引き締めると綺麗な所作でリスティアお嬢様に礼をする。
その際、長い赤茶の髪の間から少しだけ飛び出てる黒い獣耳がピコピコと動き、リスティアお嬢様は興味深そうにアリクティの黒い獣耳に視線を注いでいた。
「クティは兎人族って亜人なんだ。元は帝国の外の人間だったんだが、色々と縁があってな。今は俺なんかの付き人をやらされてる不憫な奴さ」
「私が不憫かどうかをルフナ様が勝手に決めつけないで下さい。大変な仕事なのは確かですが、その分きちんと対価は得ています」
「兎人族……! 初めて見たわ……!」
皆の緊張が完全に解けた訳では無いが、アリクティの素性が見えてきた事で全体に張り詰めていた緊張が次第に解けていく気配を感じる。
そしてそのタイミングを見計らったルフナが皆の注目を集めるように声を上げた。
「それじゃあ、リスティア嬢たちを父上の下に案内する役目はクティに任せよう。俺が父上と会っても話が拗れるのは目に見えてるからな。そうなると、折角だ。アーディベル家の魔馬は俺が責任持ってネフシャリテ家の厩舎に預けておこう」
「ちょっとルフナ様!? 辺境伯子息とあろうものが魔馬車の後始末を率先して引き受けないで下さい! 直ぐに使用人を呼びますから! あ! さてはまた屋敷から逃げるおつもりですね……っ!」
アリクティの言葉から察するに、ルフナは常習的に屋敷を抜け出しているのだろう。
「そう目くじらを立てるなよ、クティ。公爵家の魔馬だ。何か粗相があったら責任問題だ。そう、俺は大切な我が家の使用人たちの為を想って言ってるのさ。それに安心してくれ。少なくとも今の俺は逃げるつもりなんて毛頭ない。約束しよう。もし屋敷を一歩でも出ると決めたなら、先ず屋敷の誰かに一言伝えてからにする。クティ、俺が一度口にした約束を反故にした事があったか?」
こうもスラスラと言葉を並べられるのは、ルフナが言い訳を言い慣れている証左とも言えるだろう。
「………………はぁ。分かりました。正直に言いますと信じられませんが、ここでその約束を拒否したら無断で抜け出して行きそうですからね。そうなるよりかはまだマシです」
アリクティは悩みに悩み抜いてその言葉を絞り出した。
「流石、クティ。以心伝心とはまさにこのことだ。さて、ならアーディベル家の御者をしてる君は魔馬車を俺に任せてリスティア嬢たちと共に屋敷へ行くといい」
「えっと……。どうするリスティアお嬢様?」
ルフナに魔馬車を任せるように言われるクラルテだが、クラルテとしては雇い主でもないルフナの指示にそう簡単に頷く事は出来ないのだろう。
クラルテは少し困った様子でリスティアお嬢様に伺いを立てる。
「そうね。ならクラルテ、あなたも一緒に来なさい。基本的に招待者側の指示に従うのが礼儀だわ」
「ん、そっか。了解!」
「それでは、ルフナ様に代わって私が皆様を客間へと案内させていただきます」
そうして俺たちはアリクティの案内で客間へと向かうのだった。
◇◆◇
客間に着いた俺たちだが、辺境伯が来るのにもう暫く掛かるとの事だった。
やはりというべきか、俺たちが屋敷に連れて来られたのはルフナの独断らしく、辺境伯にはつい先程俺たちが屋敷に来訪したことが告げられたらしい。
そんな中、
「ねえ、アリクティって言ったわよね? ちょっといいかしら?」
客間でジッと座るのに飽きてしまったリスティアお嬢様は、扉の前に立つアリクティに声を掛けていた。
「は、はい。何でしょうか?」
アリクティが緊張した様子なのは、リスティアお嬢様の高圧的な声色によるものだろう。
元より立場としてはリスティアお嬢様の方が上であり、且つ“公爵家の人を待たせてしまっている”という状況が合わさっていた。
それらを踏まえれば、アリクティがリスティアお嬢様に対して緊張してしまうのも無理もない。
だがリスティアお嬢様をよく知る俺たちからすれば、その声色に怒りの感情か乗っていないことは分かっている。
──────リスティアお嬢様が怒る時はもっと分かりやすく激情に駆られっからな。
だからこそ俺たちはリスティアお嬢様を静止せずに後ろから成り行きを見守っていたのだが、
「あなたってルフナ様の付き人なのに全然遠慮がないわよね。それに愛称で呼ばれてもいたし……。も、もしかして……! そういう関係なのかしら!?」
そんな話題が出てくるとはこの場の誰一人として想像していなかった。
「へ……? いや……! いやいやいや!? 違いますよ!?」
「その慌てよう……! やっぱり!!」
「ち、違います……! そもそもルフナ様は多数の方と親密な関係になるような軟派な方なんですよ……!? 私がルフナ様と親しく見えたのだとしたら、それはルフナ様がそれだけ女性に慣れているというだけです……! ルフナ様が私を“クティ”と呼ぶのだって、私がルフナ様の素行を注意したら勝手に嫉妬しているのだと決めつけられて呼ばれるようになっただけですし……! そ、それにきっとルフナ様だって私の事は“口煩い付き人”くらいにしか思っていないに違いありません……!! って、ああっ!? こんな話をお聞かせするつもりは……!? た、大変申し訳ありません……!」
「そうなのね……! ううん、大丈夫よ! わたしは全然気にしてないし、むしろあなたを応援したいくらいだわ! ねえ! もっとあなたの話を聞かせてちょうだい!」
「ええ!?」
アリクティの話ぶりを見るに、どうやらリスティアお嬢様の推測は完全な的外れという訳ではないのだろう。
リスティアお嬢様はアリクティに話の続きをせがむのだが、直後に客間の扉が開き、新たな人物が現れたことで話は半ば強制的に打ち切られた。
新たに客間に現れたその人物は、恵まれた体躯を持った壮年の男性であり、白髪が混じった長い銀髪を靡かせている。
鍛えられているのか、貴族服の上からでもその肉体が強靭なものであることが窺え、また険しい表情を全く崩す様子がないその様は、まさに厳格な人物と評されるに相応しい佇まいをしていた。
そして壮年の男性は唯一席に座るリスティアお嬢様に目を向けると、
「お初にお目にかかる。私はフロンツィエ辺境伯、ヴォルダム・ネフシャリテ。貴女がウルリーケ公爵の子女、リスティア・アーディベル嬢で間違いないだろうか」
自身を“フロンツィエ辺境伯 ヴォルダム・ネフシャリテ”と名乗った。
「は、はい! わたしがウルリーケ・アーディベルの娘、リスティア・アーディベルです……! 此方こそ初めまして、ヴォルダム・ネフシャリテ様……!」
フロンツィエ辺境伯の挨拶を受けてリスティアお嬢様も緊張した面持ちで挨拶を返す。
すると辺境伯はリスティアお嬢様の前に移動し、
「……先ず、此度の我がネフシャリテ家の不手際を貴女に詫びさせていただきたい」
二言目には謝罪の言葉を口にしていた。
「お、お気になさらないでください……! わたしはアリクティさんのお陰で有意義な時間を過ごせましたから……!」
リスティアお嬢様はそんなフロンツィエ辺境伯の突然の謝罪に驚くがしっかりと対応し、謝罪を受け入れる姿勢を示す。
「……そう仰っしゃられるのなら、お言葉に甘えさせていただこう。しかしそうか。アリクティが……」
そうして目下の問題が穏便に解決した事でフロンツィエ辺境伯から滲み出る緊張感が薄れかけたかのように思えたのだが、
「…………ん? どういう事だ? アリクティ、ルフナは何処にいる?」
次の瞬間にはまた緊張感が客間に広がっていた。
「リスティア殿を招待した張本人が何故この場にいない? …………まさか、招待した客人を放って外出している等という事態ではあるまいな?」
いや、これは緊張感ではない。威圧感だった。
──────何だ!? 鳥肌が止まんねぇ!?
その威圧感は俺たちに強烈な恐怖を与えていた。
「る、ルフナ様は……っ────」
アリクティは辺境伯の問に答えようと口を動かそうとするが、歯をカチカチと震わせて上手く言葉を出せないでいる。
斯くいう俺も足が地面に溶接されたかのように動かせず、既に背中には嫌な汗が吹き出ていた。
──────ルフナもヤベェ奴だと思ったけど!? 親父の方は別の意味でヤベェ奴じゃねぇか!?
レファリオとスピラは既に辺境伯の一挙手一投足を警戒している。クラルテですら眉間にシワを寄せている始末だ。
「ど、とうしたの!?」
しかし、リスティアお嬢様だけは何ともないのか、俺たちが動揺する姿に狼狽していた。
──────何でリスティアお嬢様だけ無事なんだ……? いや、今はとにかく辺境伯を何とかしねぇと……っ!
「あ、あの! 辺境伯様、お言葉よろしいでしょうか……っ!?」
俺は恐怖を押し殺して辺境伯に話し掛ける。
「……誰だ?」
辺境伯は俺の声を聞くとジロリと俺に視線を合わせてきた。
──────だから怖ぇっての!? けど、クルエル教の不気味さとは比べ物になんねぇ!!
自慢ではないがクルエル教と何度も対面してきたお陰か、俺は恐怖に対する耐性がそこそこ出来ていたらしい。
「辺境伯様……! 私はリスティア様の従者、オチバ・イチジクと申します……! お言葉ですが、ルフナ様は我々公爵家の魔馬を一介の使用人に任せて粗相があってはならないと仰って自ら預かってくださったのです……!」
そうして何とか辺境伯に事情を伝えると、
「ほう。貴公がオチバ・イチジク殿か……。噂には聞いている。なんでも、初代皇帝の逸話を体現した人物だとか」
辺境伯からの威圧感が薄まっていく。
「ふむ、今度ばかりは馬鹿息子の性根を叩き直してやろうと思ったが、ここは時の人であるオチバ殿の言葉に免じて見逃すとしよう。……アリクティ、次はないとルフナにしっかりと言い聞かせておけ」
「は、はい。畏まりました」
「……リスティア嬢、重ね重ね大変見苦しいものをお見せした。だが、身内にだけ甘い顔を見せていればやがて人心は離れてしまう。上に立つ者であるのなら、近しい者にこそ厳しくあらねばならぬのだ」
「べ、勉強になりますわ」
「うむ。今はまだ色々な考え方がある事を学ぶといい」
先程までの物騒な雰囲気を嘘のように掻き消した辺境伯はリスティアお嬢様との会話に何食わぬ顔で戻るが、リスティアお嬢様は辺境伯の変化におっかなびっくりといった様子だ。
「では本題といこう。リスティア嬢、貴女の事情はある程度私も把握している。是非、我が屋敷に泊まっていくといい。ささやかながら食事の手配も此方でさせていただくとしよう。アリクティ、リスティア嬢たちを部屋に案内して差し上げろ」
「畏まりました……!」
こうして俺たちは無事にフロンツィエの宿を確保したのだった。
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