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第四章もよろしくお願いします。
「いよいよ、この部屋ともお別れか」
使用人寮の自室を整理し終えた俺は、生活感の無くなった部屋を見てアーディベル邸に来てからの半年間に思いを馳せていた。
最初はロルフさんに案内されて、そのままウルリーケ公爵に通されると期間限定の使用人になって、翌日には同僚の使用人たちと出会い、公爵夫人であるシェリエルさんとも顔を合わせ、リスティアお嬢様と対面した。
リスティアお嬢様との追い掛けっこ、帝都闘技場での決闘、従者採用試験、ゲルトナーの騒動、従者としての特訓の日々。
そうしたここでの様々な出来事が思い起こされていく。
「振り返ってみりゃそう悪くも…………いや、結構苦労させられてね?」
冷静に思い返してみれば、結果的に良い話になったという記憶が殆どな気がする。
「ティミが騙し討ちで、フォルカー衛士長はリスティアお嬢様の命令とは言え初っ端から追いかけ回して来たし、レファリオも当初は俺をガン無視してやがったな……」
彼らとは今でこそ良好な関係を築けているものの、その出会いはどれも悪い意味で印象的だったと言える。
他にもレファリオの兄であるティグルやレファリオの双子の姉であるルーマも、俺を帝都闘技場での決闘に巻き込んだという事もあって良い印象はない。
初対面のゲルトナーの印象は悪いものではなかったが、後の騒動を考えると良い思い出とは言い難い。
「そう考えるとキールは幾分かマシだったのか? ……いや、あいつも大概だったな」
キールは兄貴肌で良い性格なのだと今なら知っているが、俺と出会った時は俺を恋敵だと勘違いして対抗意識を燃やす厄介な奴でしかなかった。
「メナージュメイド長もこの二ヶ月間はまるで別人だったしなぁ……」
メナージュメイド長は基本的にメイドたちを統率する役目を担っており、俺と関わる事は殆どない筈だった。
だが、俺を含むリスティアお嬢様の従者となった面々はゲルトナーの騒動が落ち着いた残りの二ヶ月間でメナージュメイド長から“従者としての心得を叩き込む修行”と称した過酷な特訓を施される事となった。
「お陰様で色々と成長出来たことには間違いねぇけど、もう二度とあんな特訓は御免だな……。クラルテがメナージュメイド長に苦手意識を持ってたのも納得だぜ」
こうして思い出を列挙していっても素直に楽しかった思い出だけを作れた相手というのは案外少ない気がする。
「けど、そんな日々も終わりだって思うとちょっとは名残惜しいもんだな。……半年間世話になったぜ」
そうして俺が自室との別れを告げて退室しようとすると、
「ちょっと待つニャ〜。最初に仲良くなった同僚との別れを済まさニャいニャんて水臭いニャ〜」
振り返った先、開け放っていたドアの向こう側に、いつの間にか猫のような耳を頭上に生やした軽薄な雰囲気の男が立っていた。
「えーと、お前は……」
一瞬、俺はその人物が誰なのか、記憶に靄がかかった様に思い出せないでいた。
だが、
「オチバとはそれニャりの付き合いだと思ってたのはオレだけだったのかニャ? もしかして忘れてるのかニャ〜?」
その声を聞いていくに連れて段々と記憶の靄は晴れていき、目の前の人物が誰だったかを思い出してくる。
「あー、確かにセイヴァリー料理長を忘れてたな。……まぁ、そんなに付き合いがあったかって言われるとそこまでじゃなかった気もするけど」
「違うニャ〜。その反応、絶対に覚えてるやつニャ〜」
「冗談だよ、冗談。……お前とのふざけ合いも今日でお仕舞いだな、リルド」
リルドは浅黒い肌と黒い髪を持った猫人族の青年で、アーディベル家の見習い使用人として働く俺の同僚の一人だ。
前髪を伸ばして目元を隠しているが、それは猫人族特有の眼力の強さを少しでも抑えて人懐こい雰囲気を出すためだと確か本人は言っていた。
使用人たちの中でも同性の同年代という事で、友人という意味では一番気が合う奴だったように思える。
──────でも、それならなんで今の今まで忘れてたんだ……?
そんな疑問が思い浮かぶが、リルドはいつもの調子で会話を続ける。
「ニャハハ〜。オチバが居なくなったらオレも寂しいニャ〜。でも本題は別にあるんだニャ〜」
「本題?」
「そうニャ〜。オチバが従者採用試験を突破したらオレの荷物をセアリアス学園に持っていって欲しいって約束、覚えてるかニャ〜?」
「……あぁっ! あれか! あったなそんな約束!?」
「思い出してくれたみたいで良かったニャ〜」
随分と前の話だが、俺とリルドはとある約束をしていた。
それは、“リルドから従者採用試験の情報を貰うのと引き換えに、俺が従者としてセアリアス学園に行けたらリルドの荷物をセアリアス学園に届ける”というものだ。
「……その約束をした時も言ったと思うけど、危険物の運搬は勘弁してくれよ?」
「ニャハハ。その心配はニャいニャ!」
そう言ってリルドが取り出したのは、手のひらに乗る程度の大きさの小箱だった。
「これが届け物か? ……一応中身を確認するぞ?」
「ニャ。存分に確認して貰って構わニャいニャ!」
ゲルトナーの一件があって神経質になっているだけなのかもしれないが、確認することに越したことはない。
「それじゃちょっと確認させて貰うな。……これは、魔力小瓶か」
リルドから受けとった小箱を恐る恐る開封すると、そこには一本の魔力小瓶が丁寧に梱包されていた。
そして魔力小瓶の中には粘性のない翡翠色の液体が入っている。
「……この液体、危険物じゃねぇだろうな?」
俺が見た限りではそれがどんな代物なのかは疎か、危険物かすら全く判別出来ない。
「大丈夫だニャ。これはオレのオリジナル魔法を応用した手紙みたいニャものニャ」
リルドの説明によれば、小瓶の中の液体に毒性はなく、空気中の魔力に触れれば溶けてしまう性質があり、小瓶の蓋を開けて暫くすれば液体は霧散して消えてしまうとの事だ。
また、この液体を飲む事でリルドのメッセージが分かるらしいのだが、その為には特定の魔力を流す必要もあるらしい。
つまり、この液体に込められたリルドのメッセージが誰かに盗み見られる心配はないという事だ。
「また珍しい魔法があったもんだな」
「不安ニャら今ここで開けて飲んでみてもいいニャ。また同じ物を作ればいいだけだしニャ」
「いや、止めとく。結局、何したって俺にはこの液体が危険物かどうかなんて判別出来ねぇからな。後でクラルテに聞いてみる事にするよ。そん時に危険物だって判断されたら悪いけど処分させて貰う。それで良いか?」
「ニャハハ。それで問題ニャいニャ〜」
リルドもこの半年でクラルテが魔法に精通しているのは知っている筈であり、そのクラルテに調べられても問題ないと断言するのなら恐らくこの液体は本当に危険物ではないのだろう。
「つっても、わざわざこんな形で何かを伝えるってのはきな臭ぇ話な感じがするけどな。お前、何を企んでんだ?」
俺はリルドを訝しんで探りを入れてみるが、
「深い意味はニャいニャ〜。オレの魔法の性質でそうニャってるだけだからニャ〜」
リルドの表情に変化はなく、どんな狙いがあるのかは全く読むことが出来ない。
「……はぁ、分かった。お前のお陰で従者採用試験の相手が絞れたのは間違いねぇしな。危険物じゃないってクラルテの確認が取れたら必ずセアリアス学園に持ってってやるよ」
「流石はオチバだニャ〜」
「はいはい。……そいうや、結局この届け物は誰に渡せばいいんだ? 届ける相手についてはまだ聞かせて貰ってなかったよな?」
いざ届けるという方針を考えたところ、俺はリルドから届け先の相手について何ひとつ聞かされていなかった事に思い至った。
しかし、
「うーん、実を言うとオレも届ける相手の正確ニャ容姿については分からニャいんだニャ〜」
なんとリルドも届け先の相手については知らないらしい。
「はぁ……? いや、それでどうやって届け物を届けろってんだよ。片っ端から声掛けて探すのは流石に御免だぞ? せめて名前とか……。つーか、届ける相手が分かんねぇとかどんな関係だよ……」
「ニャハハ! 仕方ニャいニャ〜。オレも届け先の相手とはもう随分と会ってニャいからニャ。うろ覚えの情報ニャんて当てにニャらニャいニャ。それに届け先の相手はきっと小瓶に宿るオレの魔力を感じて向こうからオチバに寄ってくると思うニャ〜」
「……まあ、お前がそれでいいなら別に俺は特に言う事はねぇけど。それで渡せなかったとしても文句言うなよ?」
「その時はその時ニャ〜。……さ、そろそろオチバも出発する時間じゃニャいかニャ?」
「ん? うわ、本当じゃねぇか!? 荷物整理するだけのつもりだったのに結構時間食っちまった!?」
リルドに促されてみれば、確かにそろそろ玄関前に向かう頃合いと言えるだろう。
「こうしちゃいられねぇ! リルドも急ぐぞ! お前も見送りには来るんだろ? 昨日ロルフさんが見送りは使用人総出でやるって言ってた……し………」
俺はリルドにも急ぐよう声を掛けるのだが、
「…………あれ?」
昨日の使用人報告会を思い返した瞬間、俺は一つの違和感を覚えた。
──────そういやリルドって昨日の使用人報告会にいたっけか? いや、いなかったら使用人報告会でその話があがってる筈……だよな? 何で今そんな事考えたんだ……?
リルドが欠勤していたのであれば、欠かせず使用人報告会に出ている俺がリルドの欠勤を知らない筈がない。
つまり、“昨日の使用人報告会でリルドの姿を見なかった”というのは俺の勘違いという事になるのだが、
──────何か腑に落ちねぇぞ……? いっそ直接リルドに聞いた方が早ぇか。
俺はどうしてもこの違和感を拭う事が出来ず、リルドに直接尋ねる事にした。
「……リルド、ちょっと変な事聞くけどよ。お前って昨日の使用人報告会に──────」
しかし、
「オチバ、時間は大丈夫ニャのかニャ? 公爵令嬢の従者が遅刻ニャんてみっともニャい真似をしたらメイド長どころかロルフだってきっと何か言うと思うニャ〜」
「あっ!? そうだっ!? もう時間が迫ってんだった!?」
その真相を聞く時間は既に残されていなかった。
「ほらほらオチバ、急がニャいと本当に遅刻するニャ。オレはまだ少しくらい遅れても誤魔化しが効くけど、オチバはそうもいかニャいニャ〜」
「くっ!? 時間がねぇし仕方ねぇか……! それじゃあな、リルド! 先に行かせて貰うぜ! またな!」
◆◇◆
オチバが本邸の玄関に向かって去っていくと、廊下にはリルドが一人残される。
「オチバ、全くお前には驚かされたニャ。────魔力が無いって聞いてまさかとは思ったが、やっぱりお前はオレの魔法が効きづらい体質だったんだな。……けど、もうオレがそれを気にする必要はないか」
そう溢しながらリルドは、徐々に霧散していく自身の手足を見やる。
「魔力で作られた体も限界みたいだしな。名残惜しいけど、まぁオレたちの中じゃオレが一番成果を残せただろうし、それに楽しく過ごせたから良しとするか」
最早リルドの手足は完全に消え失せ、今や胴体より上をを残すのみとなっている。
だが、リルド本人が苦しんでいる様子はない。
「オチバ。オレはもうお前と会うことは出来ないけど────学園にいるオレによろしくニャ〜」
それは使用人見習いであるリルドの残した最期の言葉だったが、それを聞き届けた者は何処にもいない。
そして、次の瞬間には廊下から人の気配は完全に消えたのだった。
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