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──やっぱこの受付嬢、只者じゃねぇみてぇだな。
周りの奴ら誰もかもがこの受付嬢に一目を置いている様子を目にし、俺はそう確信する。
この場において彼女は重要な役目を担っているのか、この場に集まる多くの人々が彼女に道を譲る場面を何度も目撃している。
──それに……。
ちらりと後ろを振り返れば、俺たちの辿った道を、正確には受付嬢の辿った道を集まった人々は追随している。
──ひょっとしたら、俺の想像以上にこいつの役職は重要なのかもしんねぇ。
先導する受付嬢や周囲の状況を分析していると、
「そろそろ目的地なのですが、自己紹介がまだでしたわね」
受付嬢が不意に話し掛けてきた。
──はぁ? 自己紹介だって? こいつ本気で言ってんのか? それじゃあ何のためのマスクなんだ?
「それは、素性を明かせという事ですか?」
不可解な受付嬢の言葉に困惑させられるが、俺は出来るだけ表情に出ないよう注意して受付嬢の言葉の続きを待つ。
「心配は無用ですわ。もう誰も会話を聞くような人はいませんもの」
「……っ!?」
受付嬢がそう言ったその瞬間、俺は周囲の異常にやっと気付いた。
──何処だここ!? 俺たちはいつの間にこんな場所に移動してた!?
俺にはいったい何が起こったのかさっぱり分からない。
唯一分かることは、いつの間にやら俺がゴーストタウンから何処ぞの屋敷のエントランスホールへと移動していたという事だ。
そんな異常事態の中、目の前の受付嬢は取り乱した様子はない。
──明らかにこいつが犯人って訳かよ!?
受付嬢に対して警戒レベルを上げ、その一挙手一投足に気を張っていると、
「わたくしは、ラスバブと申します」
受付嬢は自らをラスバブと名乗り、マスクを外すと背中に畳まれていた翼を大きく広げた。
まるで絵画を切り取った一枚絵のような姿に思わず呆然としてしまうが、彼女の右手がしなやかな所作で俺の頰へ伸ばしてきた所で俺はハッと我に返って身を引く。
「あら、シャイですのね?」
彼女自身はおかしな事をしているという意識がないのか、その声音は心底残念そうだ。
その反応を見て、この人物がクルエル教徒とかいう危険な思想の持ち主だと思いだし、クラルテとノイギアに注意を促そうと振り向いて、
──嘘だろ!?
クラルテとノイギアの姿が無いことに今更気付く。周囲を見渡して見るが、二人の姿どころか集会に集まっていた他の人の姿さえ見えない。
──なんてこった……!? 冗談じゃねぇぞ!?
危険人物と二人きりにされたという事実に背筋が凍り、直ぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになるが、
──やべぇ……つ!! 全然逃げれる気がしねぇぞ……っ!?
ラスバブは俺を注視したまま視線を外す様子はない。
「そんなジッと見つめらして……。そうですわね。わたくしたちはもっと互いを深く知ることが必要、という事ですわね? 分かりましたわ」
ラスバブは何かに納得し、綺麗なカーテシーを見せた。
「わたくしは旅館『スクラヴェルバウム』の受付嬢であり───」
そしてまるで祝詞のようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「わたくしは、スクラヴェルバウム商会の会長であり───」
まるで舞台に立つ役者の独白かのように彼女の透き通った声がエントランスで木霊する。
「わたくしは、偉大なる悪神クルエルの敬虔なる崇拝者であり───」
だがその内容は、彼女が決して善なる者ではない事を示していた。
彼女が目を伏せ、閉口すると静寂に包まれる。
俺が緊張から出てきた生唾を飲み込んだところで、彼女は目をそっと開き、その狂気に染まった瞳による視線が俺を貫く。
「───わたくしの願望は、この世界にクルエル教徒の国を誕生させることなのですわ」
落ち着いた発言とは裏腹に、恍惚とした表情を浮かべ、狂気と歓喜で淀んだ瞳を虚空へと向け、完全にトランス状態となった狂信者がそこにいた。
過剰なまでに感情をさらけ出す常軌を逸したラスバブの行動に、俺は息を飲み、動くことすら出来ずにいると、
「!?」
ラスバブは顔を微動だにせず、虚空に向けていた瞳だけをギョロりと俺へと向ける。
その瞳から感情を読み取るのは難しいが、何となく不信感を抱いている事を察した俺は、急ぎ両手で首を掴み、緊張と恐怖でひきつる顔を無理やり笑顔を浮かべる。
「ゔっ!?」
靄の効果で恐怖が増幅され、首を強く締め付け過ぎたせいで変な声が出たが、そんな事を気にしてる場合じゃないと気合いを入れ、やけくそ気味に口角を引き上げ、涙を堪えながらラスバブの顔を直視する。
視線を交わしてからどれ程経ったのか、やがてラスバブは姿勢を正し、微笑みを浮かべた。
「…………やっぱりあなたも同志なのですわね」
「…………こ、此方こそ同志に会えて光栄です」
──生きた心地がしねぇんだけど!?
しかし、仲間判定を貰った今、気にすべきはこの状況を把握し、この場から脱することだ。
「あの、ところでここは? それに私と共に来た者たちの姿も見えないのですが……。いったい何処に?」
「ここはスクラヴェルバウム商会の拠点の一つですわ。彼らは、わたくしやあなたのような真のクルエル教徒ではありませんのでここには連れてきておりませんの」
どうやら俺は真のクルエル教徒という扱いらしい。
文句を言いたいのは山々だがそれを言った所で事態が好転する筈もなく、今は状況を把握するのを優先したほうがいいだろう。
──とにかく、クラルテたちと分断されたのは大きな痛手だ……!
俺は護身術も武術も嗜んでいない。何かの拍子に荒事なんてなったら一方的にボコされるだけだ。
──こんな明らかに危険人物な相手と二人きりなんて、俺はいったいどうすれば………。どうすれば?
そこで俺ははたと気付く。
──あれ? 別に無理してこいつを対処する必要なんてねぇんじゃねぇか?
クラルテに協力したいのは本当だ。
とは言え、今この瞬間に俺が出来ることなんて何もない。
──なら、取り敢えず今は“仲間の振りしてやり過ごす”ってのは悪くねぇんじゃねぇか?
靄の効果は、“俺の生存したい”という感情を強め、いつの間にか恐怖の感情を薄れさせていた。
──そうと決まれば……!
「そうですか! そういう事でしたら彼らを連れてこれないのは納得出来ますね! それで私をこの場に招いたのにはいったいどんな目的があっての事なんでしょうか?」
「あら……! ご理解いただき感謝しますわ。あなたをここに招いた理由、それは……」
「それは……?」
「──何故、同志があのような人物をこの集会へ連れてきたのかが気になったのです」
──あっ、やべ……。墓穴掘った。
「あっ!? いえ、その、あの人達は私の後援者だと最初に──」
「……? 違いますわ」
──って、あれ? 俺はてっきりクラルテの正体が勇者だってバレたとばかり……。
「折角、夜道に気をつけるよう教えて差し上げましたのに……。付けられていましたでしょう?」
どうやらクラルテたちの事ではないようだ。
──せ、セーフ!! つーか、旅館で言ってた『夜道に気をつけろ』ってそういう意味だったのか。 ……え? 付けられてた? 誰に?
付けられていたとするなら、それはノイギアの店を出た後になるだろう。
しかし、俺には全く心当たりがない。
「えーと、すみません。全く気づきませんでしたね……」
「あら、本当にそうですの? 同志はわたくしを前にしても動じず、魔力の気配を消すのも上手な様子でしたわ。気付けない、なんて嘘は通じませんわよ?」
ラスバブは俺が冗談を言ってるとでも思ったのか、クスクスと笑いながらそう告げる。
──それって俺には魔力がねぇってことかよ!? マジかよ!?
いきなり突きつけられた事実に俺は喚き散らしたい気持ちが溢れかえるが、何とかその気持ちを抑えて友好的に接する事に集中する。
「い、いえ……。それは私を買い被り過ぎですよ……。私は世渡りが多少得意なだけですから」
「そうですの? 学者肌というわけですのね? それともわたくしを試しておられるのかしら?」
──まだ疑いやがるか……。いや、むしろ俺を試そうとしてんのか? 自分に匹敵する程のクルエル教徒かどうかを。
しかしそれなら手慣れたものだ。
──普通じゃない奴との会話すんのはそれなりに慣れてるからな。
「いえいえ、そんな事はないですよ。悪神クルエル様の教えをよく見れば分かるでしょう? 悪行は暴力が全てではないのですから」
「そ、そうですわ! 悪神クルエル様はあらゆる悪行をお認めになられる! それは暴力に頼ったものに収まらない! あなたは紛れもないクルエル教徒ですわ! 同志っ!」
こういう思い込みの激しいタイプは、信望する存在を正しく絡めて会話すれば勝手に納得してくれる傾向にある。
何故なら、信望する存在を一番よく知っているのは自分だと信じたいからだ。
──それはそうと、同志呼びも、紛れもない真のクルエル教徒だなんて呼ばれるのも普通に嫌だな……。
「えー、分かって頂けたのなら何よりです。ですが、付けられていたと言うのは本当なのですか? いったい誰が?」
「本当ですわ。今もここへ向かって来ているようですわね。二人いるようですけれど……」
──二人か。まぁ、どちらにせよこいつの敵だってんなら俺の助けになる筈だ。そいつらを上手く利用すれば俺が逃げるチャンスだって……。
「竜人の女性と魔法を使う少年ですわね。今はわたくしの配下たちが応戦していますけど、なかなかに手強い相手のようですわ」
「ラスバブ同志、今すぐ彼らを排除しましょう……!!」
──それってリーノとネーロじゃねぇかっ!? ふざけんなっ!! 俺を追い掛けて来やがったのか!? くそっ!! 物理的恐怖には、精神的恐怖をぶつけるしかねぇ!!