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よろしくお願いします。
──思い返してみりゃ、カザン亭でも決闘なんて意味不明な理由で追いかけられてたな…。
急遽、リスティア御嬢様の一存によりアーディベル邸で始まった、俺の生死と教師認定が賭かった制限時間なしのこの勝負。
勝利条件は、リスティア御嬢様の怒りを収めつつ、俺が無事な姿で事態を収束させること。
敗北条件は、俺がリスティア御嬢様の手に掛かってしまうことだ。
火球を飛ばす魔法を持つリスティア御嬢様と、魔法に関して何の防御手段も持たない俺。
当然ながら最初は俺の劣勢、リスティア御嬢様の優勢となる状況が続いた。
そのせいで、"絶対に汚せない"と今朝決めたばかりの新品の使用人服も既にあちこちが焦げて黒ずんでしまっている。
リスティア御嬢様の火球によって一方的に攻められるばかりの俺を見れば、恐らく誰もが直ぐにリスティア御嬢様が俺を追い詰めると思ったに違いない。
だが、時間が経つに連れリスティア御嬢様が苦しそうな顔をする頻度が増え、俺は火球の被害を被る回数が少なくなってきていた。
アーディベル邸を駆け巡り、リスティア御嬢様は俺を視界に捉えると容赦なくその掌に火球を灯らせ、俺に狙いを定めることを繰り返す。
「はぁ、はぁ………ま、また隠れたわね!?」
しかし、火球が放たれる前に俺が曲がり角へと姿を隠す事で、リスティア御嬢様は悔しそうに掌の火球を霧散させる。
形勢が変わり始めたのにはもちろん理由がある。
それは最初と今とで、俺の逃げ方に変化が生じたからだ。
俺がこの世界に来てから今まで、俺の戦いに対する姿勢は、"全力で逃げる"か、"なんとか弱点を探して挑む"、という二択しかなかった。
それは、俺自身がこの世界においてあまりにも弱すぎるからだ。
そして、その理屈で考えるならば、いつも通りこの勝負も俺は全力で逃げる事に集中していたに違いない。
だが、今回においてはそれは通じない。
何故なら、全力で逃げた所でリスティア御嬢様の怒りが収まる訳でもなく、問題は解決しないからだ。
ならどうするか、その答えは明確で、最初から明示されてる通り"リスティア御嬢様の怒りを収める"以外の手立てはない。
とは言え、近づかなければ、せめて対話が可能な距離でなければ、怒りを収めさせる手立てがあろうとも手の打ちようがなく、逃げなければリスティア御嬢様の火球に炙られ続けてしまう。
魔力のない俺は当たり前だが魔法は使えないし、回復する手段なんてのも持ち合わせていない。
負傷してしまえば逃げることも儘ならなくなる訳だ。
だが、逆に考えれば、負傷する心配さえなければ逃げる事に躍起になる必要もないという事になる。
そこで、負傷せずに一定の距離を保ちつつ逃げ続けるため、危険を承知の上で火球の観察に集中することにした。
「今度こそッ!!」
勝算はあった。
今まで対峙した相手と比べてリスティア御嬢様が危険な相手じゃなかった事。
俺の着ている使用人服の耐火性能を期待しての事。
最初に放たれた火球が俺の目でも追うことが出来た事。
そうした要因のお陰もあって、俺はこの作戦に踏み切り、観察した成果は目に見えて出始め、俺はリスティア御嬢様の火球の予兆を見切れるようになっていた。
俺は後ろを度々振り返りながら、追いかけてくるリスティア御嬢様の姿を目に捉えると、その手に注目する。
──生成してるな。
リスティア御嬢様の掌に火球が生成され始めると、俺は横路や適当な部屋へ瞬時に身を隠す。
「ん~もう!?イライラするわね!!」
憤慨した声音を放ちながらも、火球を霧散させるのは、火球を発射するのにも魔力を消費してしまうからだろう。
俺は火球が霧散する様子を確認してから再びリスティア御嬢様の前に姿を現し逃走を繰り返す。
良い作戦が思い付くまでの凌ぎのつもりだったが、思いの外リスティア御嬢様のスタミナを削ることに成功しているようだ。
「魔力を消費し過ぎるとめちゃくちゃ疲れるってのはクラルテもスピラも同じだったからなッ…」
リスティア御嬢様が火球を維持しながら追って来ないのも、火球を発射する以上に維持する魔力の燃費が悪いからだろう。
「あの様子じゃクラルテやスピラが使ってた"魔力による身体強化"も使えねぇと見ていい筈だッ…」
──とはいえ、"リスティア御嬢様の怒りを収める"って勝利条件がやっぱ難所だなッ……!
結局のところ、未だに俺はリスティア御嬢様の怒りを収める決定打に欠けていた。
「あ~~~もう!!面倒だわ!!そこのあなたたち!!手伝いなさい!!あの無礼な奴を捕まえたら褒美を与えるわ!!言うこと聞かなかったらお父様に言い付けてやるわ!!」
俺がリスティア御嬢様を撒くようにして部屋に身を隠す事を繰り返してると、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、廊下にいるリスティア御嬢様からなんとも悪役令嬢らしい命令が聞こえてきた。
「あ、あいつ!?マジで将来悪役になんだろ!?」
人海戦術で来られれば、邸内という状況は俺にとって圧倒的不利になる。こうなれば戦う場所を外に移すしかない、と俺が部屋から出た所、廊下でばたりとメイドに出くわした。
「……あっ」
──まずい!?俺にリスティア御嬢様の命令が聞こえたって事は、このメイドにも聞こえてた筈ッ…!
「あっ……あの……待って……!さっきは……ありがとうございます……!」
俺は瞬時に背を向けて逃げ出そうとしたが、その敵意のないたどたどしい声音に思わず毒気を抜かれ、立ち止まってしまう。
「あっ…私は…リスティア御嬢様付きのメイド……ティミ…です……」
「あー、さっきリスティア御嬢様に怒鳴られてたメイドさんか」
ウェーブのかかった黒髪と黒い瞳、肌は病的に白く、目の下には薄く隈のある幸の薄そうな女性だ。
今朝の報告会でも見掛けた記憶がある。
「今朝も名乗りましたけど、俺はオチバ・イチジクです。旦那様や奥方様からは正式にリスティア御嬢様の教育係を任されました。まだリスティア御嬢様からは認められてませんけどね」
話を聞くと、ティミさんはリスティア御嬢様の叱りを受けていたところに俺が乱入したことで、怒りの矛先が俺に向いてしまったことに気を揉んでいたらしい。
「別に気にしないでいいですよ。どのみちリスティア御嬢様が怒ってる理由は俺ですしね、それでは」
「それでも……その……ありがとうございます……あっ……でも……その……」
直後、ティミさんは俺の袖を掴み、なにやらもじもじとした様子を見せる。
「えーと、俺、そろそろ移動したいんですけど……」
今後の同僚付き合いを考えて丁寧に挨拶させてもらったが、リスティア御嬢様に追われてる現状、俺にはそこまでの余裕はない。
「あの……命令……ですので……」
「……………」
「…………え…えへ」
──こいつ、しっかりリスティア御嬢様の命令を聞いてやがったッ!!
「は、離しやがれッ!!って意外に力が強ぇ!?」
状況を完全に理解した俺は、服が伸びるのも破けるのも気にせず、形振り構わず力任せにティミを振りほどこうともがくが、ティミも全力でしがみついてくる為上手く引き剥がせない。
「い…嫌です……!ティミが……見つけたんです……!り…リスティア御嬢様に……!褒めて……貰うんです……!」
挙げ句には俺の足止めをするためだけに、俺の袖を両手で握りしめたままその場に座り込み出す始末だ。
「言ってることは格好いいように聞こえっけど、絵面は公爵家メイドとしてのプライドの欠片も感じられねぇぞあんたッ!?」
「ご…ごめんなさい……でも…私……リスティア御嬢様に……見捨てられたく…ないんです……!」
──くそッ!全然服も破けそうにもねぇ、使用人服の頑丈さがここに来て仇になってやがる!!
いよいよどうすることも出来ないのか、と辺りを見回すと俺たちに近づく人影があった。
「騒がしいと思い見に来てみれば、流石に見ていられません。ティミ、彼の言う通りです。それが公爵家のメイドとして選ばれた淑女のする振る舞いですか?」
──この人はッ…!
「ひぃ……め…メイド長……で…でも……」
現れたのは、前髪をきっちり切り揃え、長い後ろ髪をシニョンで纏めた、厳しそうな目付きのメイド。
アーディベル家のメイドたちを統括するメナージュメイド長だった。
「聞こえませんでしたか?私は、今すぐその振る舞いを正しなさい、と言っています」
「は……はい…分かりました…メイド長……」
ティミは落ち込んだ様子で俺の服から手を離すと、両手を前で揃え、姿勢を正し、綺麗な佇まいで直立する。
「そうです。貴女はリスティア御嬢様付きのメイド。貴女のあらゆる振る舞いはリスティア御嬢様の振る舞いでもあるのです。常にそれを忘れないようにしなさい」
「…はい」
──怒らせたら怖い人だろうとは思ったけど、実際に目の当たりすると想像以上に怖ぇな。
絶対に怒らせないようにしよう、などと考えていると、メナージュメイド長は続いて俺に視線を向けてくる。
──こ、これはッ!?まずいッ!?
「貴方はイチジクさんでしたね。貴方は付き人や使用人以前の問題です。邸内を走り回るとは何事ですか」
──それに関しては完全に正論過ぎて返す言葉もねぇや。
「それは確かに俺が悪いです。でもそれも今日だけなんで、ここは見逃してくれると──」
「あーー!!やっと見つけたわ!!」
響くのは俺を探して追いかけてきたリスティア御嬢様の声だ。
「すみません!本気でマズいんで続きは後で──」
迫るリスティア御嬢様から逃れるため、メナージュメイド長に謝りつつ話を切り上げようとしたその時、メナージュメイド長から今最も聞きたくない言葉が飛び出してきた。
「リスティア御嬢様、お待ちしておりました。命令通り、御嬢様が来るまで私とティミでイチジクさんを捕まえておきましたので、私は次の仕事に取り掛からせて貰います」
「きったねぇ!?最初からそのつもりで話し掛けたんですね!?」
「足止めも優雅にこなす、アーディベル家のメイドとはそういうものです」
「メナージュよくやったわ!!あなたもどんくさい割にはやるじゃない!!それじゃあなたはそのままこいつが逃げないように通路を塞いでおきなさい!!」
メナージュメイド長はこの場を離れたものの、気付けば背後の通路はティミに塞がれ、前方からはロルフさんと数人の衛士を伴った、大変ご機嫌な様子のリスティア御嬢様がゆっくりと近づいて来ている。
「ロルフさんも、そっち側なんですね……ッ!」
「可能な限りリスティア御嬢様の希望を叶えるように、と旦那様から言い付けられておりますので」
「駄目だ!?ここの奴ら皆リスティア御嬢様の言いなりしかいねぇ!!」
二方を塞がれ、逃げ場を完全に無くした俺はどうすることも出来ずにじりじりと壁際へと追い詰められていく。
リスティア御嬢様は俺が逃げられない事を悟ると、その掌に火球を生成する。
「あなた、よくもさんざん手こずらせてくれたわね。わたし今まで脅したことはあっても誰かに傷を与えたことはなかったわ。だからあなたにはその最初のひとりになる栄誉を与えてあげる!!」
万策尽きたか、そう思われた瞬間───
「オチバっ、大丈夫!?室内で、しかもこんな狭い場所で火の魔法が使われるなんて何事かと思ったよっ!」
───突風が通路を吹き抜けた。
火球は掻き消され、ティミや衛士たちは吹き飛ばされて尻餅をつき、リスティア御嬢様はロルフさんによって支えられて辛うじて難を逃れたようだ。
「あ…あなた誰ッ!?メイドの格好してるけど、わたしはあなたの事なんて知らないわよッ!?」
目の前に現れたのは、いつもの旅装からメイド服に衣を変え、白金色のポニーテールをシニョンにした少女。
「ん?……あっ!初めまして、キミがリスティア御嬢様?ボクはクラルテ・フライハイトっ!今日からキミの護衛、そして臨時でキミの付き人だよっ!オチバ共々よろしくねっ!」
またしても俺の窮地に参上したのは、勇者の肩書きを持った仲間の少女、クラルテ・フライハイトだった。
読んでいただきありがとうございます。




