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よろしくお願いします。
俺たちを取り囲んだ集団を率いた猫人族の青年の容姿は、アーディベル家の屋敷で俺の同僚だった“リルド”と非常に酷似していた。
だから思わずリルドの名前を口走ってしまったのだが……。
「もしかしてそれはオレの事を言ってるのか? だとしたらそれは間違いだ。オレの名前はアリルド。アリルド・レイジアンだ。……まあ、それも直ぐに忘れてもらうがな」
青年はリルドという名前を耳にしても取り留めて大きな反応を示すことはなく、自身の事をアリルド・レイジアンと名乗った。
アリルドと名乗った彼の口調は猫を被っていない時とのリルドの口調と似通っているように感じられる。
だが、彼がリルドでないというのは本当だろう。
アリルド・レイジアンの髪色はリルドと違って黒ではなく薄緑であり、体型もリルドより一回り大きい。
これが数年越しに会ったという状況ならリルドである可能性も考えられたが、リルドと別れたのはつい数日前の事だ。たった数日でこれだけ成長するとは考え難い。
────それに冷静に考えてみりゃリルドがヴィッツ公国にいるのも、俺たちより先に到着してるってのもおかしいしな……。
「どうする? ボクが制圧してもいいけど……」
「……いや、取り敢えず俺に任せてくれ。いざ荒事ってなったら頼む」
「うん、分かった。その時はボクに任せて」
クラルテと短く言葉を交わし、俺はアリルドと名乗った猫人族の青年と向き合う。
「悪いな、人違いだった。友達にあんたと中々に瓜二つの奴がいるんだよ。……リルドって名前なんだけど。聞き覚えはねぇか?」
「くだらない嘘で時間を稼ごうとしても無駄だ。もう一度言う。お前の懐にあるその荷物を寄越せ」
アリルドとリルド。両名は容姿も口調も、そして名前も似ている。
ひょっとしてアリルドなら皆から忘れ去られたリルドの事を知っているのではないかと口に出してみたのだが取り付く島もない。
「……因みに俺たちが何者なのか知っててこんな事してるんだよな? 言っとくがこの魔馬車はアーディベル公爵家のものだぜ? もっと穏便に事を進めたほうがあんた達の為だと思うぞ」
「無駄口を叩かずにさっさと懐にある物を出せ」
帝国民であれば誰でも反応するであろう公爵家の名前を持ち出してみるも、アリルドに効いている様子は全くない。
────でも周りの奴らまで効いてないって訳じゃねぇみたいだな。
アーディベル公爵家の名前が出た瞬間、俺たちを取り囲む集団に不安が伝播していくのが肌で分かった。
「指揮を乱してきたか……。頭の回る奴だな。面倒なタイプだ」
「そう邪険にすんなよ。先に脅迫じみた手を使ってきたのはそっちの方だろ? ……何を急いでるのか分かんねぇけど、俺はあんたと少し話がしたい。つーか、俺はあんたにこいつを渡してもいいって思ってる」
俺はそう言いながらリルドが俺に託した魔力小瓶を取り出す。
「この魔力小瓶は、あんたと瓜二つのリルドって奴がセアリアス学園に持っていって欲しいって俺に頼んだものなんだ。そんで肝心の届け先については自然と向こうから勝手にやってくるって言ってやがった。……あんたはその条件に当てはまる。ならきっとこの魔力小瓶の届け先はあんたで間違いない」
だがそれでもこの魔力小瓶を手放したくない理由が俺にはあった。
「けど、理由は分からねぇがこの小瓶を受け取って別れてから皆リルドの事を忘れちまったんだ。でも俺はあいつの事を覚えてる。……リルドは俺の友達だ」
「────」
リルドとは共に戦ったことも、旅をしたこともない。
だが、アーディベル邸を彩る日常の中で俺の生活に一番関わってきた友人だった。
上下関係のない、歳の近い友達だったのだ。
「忘れられちまうなんて普通の事態じゃねぇ。いや、そうなっちまうって分かってたからこの魔力小瓶をあんたに届けてほしいって俺に頼んだ気がすんだ。……あんた、本当はリルドに何が起きたのか、俺の友達がどんな状況にあるのか知ってるんだろ? 聞かせてくれ。それが魔力小瓶を俺が快くあんたに渡す条件だ」
「────」
そんな俺の言葉を受けてアリルドは目を見張っていた。
「────まさか……。嘘じゃなく、本当にオレの分身を覚えていたのか……? そうすると、アーディベル家にやったオレの分身は記憶の後始末を不完全なまま役目を終えたという事に……」
「分身……?」
不穏な言葉に嫌な予感を覚えるが、それを確認する前にアリルドが行動を起こす。
「……いや、ともかくそれは不味いな。分身の爪痕がどんな不測な事態を引き起こすとも分からない以上、悪いがお前の中にある分身の記憶は消させてもらう」
アリルドがそう言った途端、俺たちを中心にして風が逆巻く。
「なっ……!? この風って!? 魔法か!?」
「そんなっ!? 敵意は全然感じなかったのにっ!?」
殆ど予備動作もなく発生した強風にクラルテも驚きの声を上げている。
「敵意はない。ただオレにとって不都合な“オレに関する記憶”をお前たちから消し去るだけだ。荷物をオレの下まで運んだ礼にそれくらいは教えといてやる。まあ、どうせその事もこれから忘れるんだがな」
「記憶を消し去る……!? もしかして皆がリルドの事を忘れてたのも──」
俺はアリルドに追及の声を上げようとするが、
「うっ……。あ、あれ……? 何で……? 急に……眠気が……」
「────クラルテ!?」
突如としてクラルテが足下から崩れ落ちるように倒れ、それどころではなくなってしまった。
俺は空かさずクラルテの体を支えて声を掛けるが、
────気を失ってる……!?
どんな因果なのか、この僅かな一瞬でクラルテの意識が刈り取られていた。
これがアリルドの魔法によるものだというのは一目瞭然だろう。
更にどうやら意識を刈られたのはクラルテだけではなかったようで、
────こいつ、仲間も纏めて攻撃してんのか……!?
アリルドが率いていた亜人の集団も一人残らずその場で倒れ伏していた。
「お前……! 無差別攻撃かよ……!」
「違う。言った筈だ。オレに敵意はない。ただ、オレの魔法は記憶を弄る。その副作用で少し意識が奪われるだけだ。オレの分身に関する情報を持たれるのは例え仲間であっても都合が悪くてな。お前も潔く忘れろ」
直後、強風が俺の視覚と聴覚を奪い────。
◇◆◇
「────!?」
視覚と聴覚が奪われた時間は僅かなものだったと俺の脳は認識している。
少なくとも俺の感覚では“意識を奪われた”という感覚はなく、瞬きして直ぐに強風が消え失せたように感じられた。
────ん……? 何かおかしいな……。いや、それでもまずは現状確認が先だ……!
自分の中でどこか違和感を覚えながらも、俺は状況把握を優先して周囲を見渡す。
「────っ」
その時、
「大丈夫か? 蛇行する魔馬車が目に入ったから思わず止めたんだが」
そんな台詞が目の前から投げ掛けられた。
「ああ、お前が拾ってくれたのか。その魔力小瓶はオレのものなんだ。拾ってくれてありがとう」
そしてその台詞を発した人物はそのまま俺の手に握られる魔力小瓶に手を伸ばし、
「あー、なるほど。そういう事か。けど、リルドの事をまだちゃんと説明されてねぇからな。こいつを簡単に渡してやるつもりはねぇよ」
俺は魔力小瓶に手を伸ばした人物──アリルドから魔力小瓶を遠ざけた。
「…………何?」
アリルドはそんな俺の反応に怪訝な表情を浮かべている。
「まさか、お前……。記憶が消えてないのか……?」
「どうやらそうみてぇだな。お前の事も、リルドの事もばっちり覚えてるよ」
これまでのアリルドの言葉から、アリルドが消したかった記憶は“リルドに関する記憶”だと読み取れる。
しかし、どんな原理なのか俺はリルドに関する記憶を失ってはいなかった。ひょっとすると俺の体に魔力が備わっていない事が関係しているのかもしれない。
また、アリルドの魔法が不発したという可能性も極めて低いと考えられる。
というのも、隣で目を覚ましたクラルテが今の状況に目を丸くして驚いていたのだ。
────クラルテはさっきまでのアリルドとの記憶が欠落してるみてぇだからな……。アリルドの魔法が不発だった可能性はほぼねぇ。
「…………これは予想外だ。どうやら本当に俺の魔法はお前に通用しないらしい。それがお前の魔法なのか? 全く、相性が悪過ぎる……」
「え……。いや、えっと……。それは……」
アリルドの推測を否定したい所ではあるが、俺としても魔力が備わっていない事実をあまり大っぴらに喧伝したくはない。
「言わないのは当然だな。自身の魔法を軽率に晒したオレの落ち度か」
結果、アリルドは俺が魔法を使えるものだと盛大に勘違いしてしまった。
「しかし、そうなると保険をかけとくべきか。……止むを得ないな、お前らはもう寮に戻れ」
アリルドは何かを決断したのか、周囲の亜人たちを解散させる。
そして、
「お前、名前はなんだ?」
アリルドは俺の名前を尋ねてきた。
「……俺はオチバ・イチジクだ。よろしく、アリルド」
「よろしくするつもりはないがな。俺の魔法がお前に通じない以上、保険が必要だと考えただけだ」
「保険? 要するに互いにメリットのある話をようやくしてくれる気になったって事だな?」
「そうだ。お前もリルドとやらについて気になることがあるんだろ? オレはお前の疑問を解消する。お前はオレの魔法に関する情報を誰にも口外しないと約束する。交換条件といこう」
アリルドの目に嘘や騙そうといった雰囲気は感じられない。
「それは願ったり叶ったりだ。なら早速──」
「待て。あくまで話をするのはオチバ、お前だけだ。御者が立ち会うことは認められない」
「……あー、まぁそりゃそうか」
アリルドの魔法はクラルテに通じる為、クラルテが立ち会う事はむしろアリルドにとって余計なリスクだ。当然の反応と言える。
「クラルテ、悪いけど先に施設の方に向かっててくれるか? 多分、こいつは大丈夫だ」
「……うん、分かった。オチバが大丈夫って言うなら信じるよ。でも気をつけてね。敵意はないみたいだけど、あの人すごい手練みたいだから……」
クラルテは俺の説得に応じると魔馬車を操縦して先にアーディベル家所有の施設へと向かっていった。
一人にされて途端に不安な気持ちが押し寄せてくるが、これから始まるのは武力や魔法を行使した戦いという訳じゃない。
ただ友達の身に何があったのかを聞くだけだ。
アリルドと二人きりになり、辺りが静寂に満ちるとアリルドが口を開いた。
「お前の言う“リルド”というのは、オレが魔法で生み出した分身だ。オレは学園に来る以前、情報を得るため各地に分身を潜らせた」
告げられたのはリルドがアリルドの魔法で生み出された存在であるという事と、
「分身はオレと同じ“記憶に干渉する魔法”が使える。分身が周りから忘れられたのは魔法を行使したからだ」
リルドが皆から忘れられてしまっていた原因について。
そして、
「お前がその魔力小瓶を持ってきたという事は、お前と知り合った分身は“もうどこにもいない”という事でもある。それは、分身が最期に残した魔力の残滓だからだ」
もう俺の友達のリルドはどこにも存在しないという事実を俺は知ったのであった。
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