107
よろしくお願いします。
ヴィッツ公国はロイライハ帝国の内側に存在することを許されている湖に浮かぶ島を領土とした自治国家だ。
そんな特殊な国家となった経緯についてはリスティアお嬢様が受けていた授業で耳にした記憶があるが、その理由を要約すると“色々あってロイライハ帝国の主神を降臨させられるのがヴィッツ公国君主の一族であるヴィッツ家だから”ということになる。
というのもロイライハ帝国における皇帝選出方法はかなり特殊なもので、選定公として神が直々に次代ロイライハ皇帝となる人物を指名するのだとか。
そして三年前に前ロイライハ皇帝が退位を宣言し、昨年には退位の儀も無事に執り行われたという。
前例に習えば前皇帝が退位した翌年に神をヴィッツ公国に降臨させる儀式が執り行われるとのことで……。
「活気が凄まじいな……!」
ヴィッツ公国ではそこら中がまるでお祭りのような賑わいを見せていた。
フロンツィエから出発した船旅はまだ日が明るい内に終わり、今の俺たちはクラルテの操縦する魔馬車に乗り込んで各々がヴィッツ公国の街並みを眺めている。
ヴィッツ公国の街並みは独特で、どの建物からも美術的に洗練された雰囲気が感じられる。
中でも一際目立つのは今俺たちが向かっているヴィッツ公国の中心に建てられた建造物であるセアリアス学園だ。あの学園がリスティアお嬢様が今後六年間過ごす事になる舞台でもある。
「みんな、門が見えてきたよっ」
そうしてヴィッツ公国の風景を楽しんでいる内に俺たちはセアリアス学園の門が確認できる所までやってきていた。
遠目からでも学園の門が高く、大きいのがよく分かる。また、門から左右に広がっている塀は学園全体を覆っているのか何処までも続いていて果てが見えない。
そして俺たちが門前に辿り着くと、開け放たれた門の向こう側に天幕が張られているのが確認できた。
「恐らくあの場所で入学者の確認を行っているんでしょう。他にも色々と手続きもあるでしょうし。……リスティアお嬢様、暫くお待ちください。僕が行って参ります」
「分かったわ。頼むわね、レファリオ」
リスティアお嬢様の許可が下りて天幕の張られた場所に向かったレファリオだが、間もなくレファリオは一人の女性を連れて戻って来た。
「あら、早かったわね? もう手続きは済んだのかしら? それにそちらの方は?」
リスティアお嬢様は余りにも早く戻って来たレファリオに疑問を持ちつつ、その傍らにいる人物が何者なのかを尋ねる。
「はい、手続きについては問題はないとのことですが……」
しかし、心なしかレファリオの表情は固く、珍しく歯切れの悪い様子だ。
「……こちら、ヴィッツ公国公女殿下ジークリット・ヴィッツ様がリスティアお嬢様の案内を務めたいとのことです」
「セアリアス学園にようこそ、リスティアさん。私はジークリット・ヴィッツです。これから貴女の案内役を務めさせていただきますね」
「…………へ?」
そんな予想外な人物の登場にリスティアお嬢様は固まってしまっていた。
公女殿下ということは、ここヴィッツ公国において最上位に近い権力者と言えるだろう。
貴族社会が身近の人ほどそんな人物の来訪に驚いてしまうのかもしれない。
「……よくわかんねーけど。相手は公女様で、リスティアは公爵令嬢なんだろ? こういうのって待たせんのは良くねーんじゃね?」
「り、リスティアお嬢様……! しっかりして下さいぃ!?」
「そ、そうだわ!?」
スピラとティミの言葉で正気を取り戻したリスティアお嬢様を俺がエスコートして魔馬車を降り、リスティアお嬢様は慌てながらジークリット公女殿下に挨拶をする。
「わ、わたくしはアーディベル公爵家のリスティア・アーディベルと申します……! どうかお見知りおきを……! ジークリット様……!」
「どうもご丁寧にありがとうございます。改めて私はジークリット・ヴィッツと申します。此方こそよろしくお願い致しますね。それと、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。ここでは貴族階級は重視されませんので」
淡い橙色の長い髪をハーフアップにしたこの丁寧な物腰の人物が、どうやらヴィッツ公国公女殿下、ジークリット・ヴィッツとのことだった。
◆◇◆
「驚かせてごめんなさい。学園の上級生は新入生の案内をするのが恒例なの。さっきレファリオくんから聞いたけど、リスティアさんとレファリオくんは学生寮に入寮するんだよね? それなら私に付いてきて、案内するよ」
ジークリット公女殿下は先程までの公女殿下らしい口調をあっさり崩していた。
「ですけど……。公女殿下に案内してもらうというのは少し、いえ、非常に不敬な気がするのですが……」
リスティアお嬢様は公爵令嬢であり、自身より身分が上の同年代と対峙する事が滅多にない。そのせいかリスティアお嬢様はさっきから見たことのない慌てた様子でジークリット公女殿下の顔色を何度も窺っていた。
「さっきも言ったよ? この学園では貴族階級を重視してないの。貴族階級を持ち出したら先生たちは貴族階級の生徒に何も教えられなくなっちゃうでしょ? だから私たちこそ率先して“ここでは貴族階級を重視していないんだ”って皆を安心させてあげなくちゃ。良かったらリスティアさんも協力してくれたら嬉しいな?」
ジークリット公女殿下は表情をコロコロと変えてリスティアお嬢様に接している。これはリスティアお嬢様の緊張感を解そうとしているようにも見えた。
「え、えと……。わ、分かりましたわ。ですが公女殿……ジークリットさんは上級生ですので敬称をつけたまま会話する事をお許しください」
「あははー、それは流石に駄目とは言えないね。うん。それで全然良いよ。宜しくね、リスティアさん」
「は、はい」
「それと……。レファリオくんはリスティアさんの従者だけど生徒でもあるんだね」
「仰る通りです」
「君も硬いなー。でも君みたいなしっかりした従者がついてるならリスティアさんも安心かな!」
どうやらジークリット公女殿下におけるリスティアお嬢様とレファリオの印象は良かったようで、ジークリット公女殿下は朗らかな表情で二人の手を引いて先を行く。
その瞬間、
「おいおい、どういう事だ? まさかアーディベル家の息女は公女殿下に礼儀も払えないのか? アーディベル家も墜ちたものだな!」
リスティアお嬢様に向かって悪意を持った言葉をぶつける声が背後から聞こえてきた。
振り向いて見てみれば、そこには偉そうにしている青色の癖毛を持った青年が一人と彼をヨイショするように囲む取り巻きの数人が俺たちをニヤニヤと眺めている。
「……ディアンくん。もう何度目かになりますね。ここでは身分を笠に来た行動は正当化されません。今すぐリスティアさんを侮辱したことを謝罪してください」
早速手を出そうとするスピラを必死で止める俺とレファリオに代わり、声を上げたのはジークリット公女殿下だった。
「これはご機嫌よう、公女殿下様。もしかして聞こえてしまいましたか? ただの独り言だったのですが、気分を悪くしてしまったのでしたら大変申し訳ありません」
癖毛の青年は全く悪びれた様子もなく、リスティアお嬢様ではなくジークリット公女殿下に謝罪し、改めてリスティアお嬢様へ視線を向ける。
「ところで、その如何にも平民階級といった連中をぞろぞろ連れている君がアーディベル家の人間なんだろう? 全く恥ずかしい女だ。公爵家としての箔を貶めるような真似は勘弁していただきたいな」
それは明らかにリスティアお嬢様を挑発しているものだったが、
「…………申し訳ないのですが、あなたは何処の家のどちら様でしょう?」
リスティアお嬢様はその挑発を見事に受け流した。
「なっ……!?」
リスティアお嬢様のその反応は癖毛の青年に大きく効いたように見える。
その痛快な流れにスピラも拳を収め、笑いを堪えるのに必死な様子だ。
「くっ…………!! 無知な女め!! 俺はスィエルディーチ公爵家の次男、ディアン・スィエルディーチだ!」
ディアンと名乗った癖毛の青年は肩を怒らせてリスティアお嬢様に怒鳴り散らすのだが、何故か癖毛の彼は俺に向かって直進してきた。
そして俺に突き当たった所で立ち止まり、俺を鋭く睨みつけてくる。
「えっと、俺に何か用か?」
「お前に用なぞある訳ないだろ! 俺が用があるのはその後ろにいるアーディベル家の女だ! 全く分からない奴だな! 公爵家の俺が通るんだ! 道を空けるのが道理だろうが! さっさと退け!! このウスノロが!!」
「は、はは……」
────こいつやべぇ……。
清々しい程の罵倒に思わず引き笑いを起こしてしまったが、それが良くなかったのだろう。
「お前……!! 俺を嘲笑ったのか……!! たかが使用人の分際でこの俺を……!? どうやら死にたいらしいな……!! よし、気が変わった。俺が直々に指導してやるとしよう」
「あ、いや、それは誤解だって!?」
俺は空かさず否定するものの、既に癖毛の青年の標的は俺に移っていた。
────これはヤバい展開になる予感がする……っ!?
しかし、
「待ちなさい。それは聞き捨てならないわね」
────リスティアお嬢様……!!
そこにリスティアお嬢様が割って入った。
「先ずは名乗っていただいたのでわたくしも名乗らせていただきます。わたくしはアーディベル公爵家のリスティア・アーディベルです。どうかお見知りおきを」
丁寧な挨拶を繰り出したリスティアお嬢様だが、その直後にはいつも以上につり上がったキツイ目つきで癖毛の青年を見やっている。
「オチバはわたしの従者よ。勝手な指導なんて許す訳にはいかないわ」
────全くその通りだぜ……。
「それにそんな事したらスィエルディーチ家に泥を塗ることにもなるのも分からないの?」
────リスティアお嬢様……?
「ふん、何を言い出すかと思えばそんな筈がないだろう。たかが使用人風情、潰したところで公爵家たるスィエルディーチ家は痛くも痒くもない。……いや、もしかしてアーディベル家はもう従者を一人も補充できないほど経済が切迫してるのかな? ハハハハ!」
「違うわよ。オチバと戦えばあなたの方が痛い目を見るって言ってるの」
────リスティアお嬢様!? 違ぇぞ!? 個人戦なら俺の方が痛い目みちゃうぞ!?
「ハハハハハ! 貴族階級で公爵家の俺が平民階級の使用人如きに遅れを取るはずがないだろう!」
癖毛の青年は高笑いするが、しかしそれとは反対に彼の取り巻きたちの様子は見るからに狼狽えていた。
「……ん? どうしたお前ら?」
「あ、いえ、その、今その使用人の名前が聞き間違いじゃなければ『オチバ』って言っていたように聞こえまして……」
「そ、その……。オチバって言えばあの帝都闘技場で噂になったあの人かも……」
「何でも初代ロイライハ様の再来とか言われてる例の人ですよ……。もしかしてこの人なんじゃないっすか……?」
「………………おい、お前。名前を言え」
癖毛の青年は取り巻きたちが狼狽してる理由が分かると俺を指差して名前を尋ねてくる。
「……オチバ・イチジクだけど」
「ひぇ!?」
「やっぱりぃ!?」
「殺さないでぇ!?」
俺が名前を伝えると癖毛の青年の取り巻きたちは腰を抜かして癖毛の青年の影に隠れる。
────殺さねぇよ!? つーか、どっから出た噂だそれ!?
「お、お前らビビるな! というか俺を盾にするんじゃない!! くっ、だが今挑んでも確かに分が悪いか……! ふん、命拾いしたな……! 行くぞ、お前ら!」
癖毛の青年は何やら一人で納得すると、気が済んだのか取り巻きを連れて去っていった。
「……ごめんなさい、リスティアさん。それに皆さんも。嫌な思いをさせちゃったよね。私の監督不行届です。ディアンくんには何度も伝えてるんだけど全然直してくれなくて……。私が付いていながら本当にごめんなさい」
「そ、そんな! ジークリットさんが謝る必要はありません……! スィエルディーチ家とわたくしのアーディベル家は昔から反りが合わない関係なのです……! それに最初にジークリットさんが庇ってくださらなければもっと大きな騒ぎになっていたかもしれませんし……! 割って入っていただいたお陰で冷静に対応することができました……! ありがとうございます……!」
リスティアお嬢様に感謝されたジークリット公女殿下は照れ笑いを浮かべ、気を取り直すように明るい話題を提供しながら学生寮へと足を進める。
「それじゃ、ここからは男子寮と女子寮で別れてるから別行動になるよ」
と話している間に俺たちは男子寮と女子寮の別れ道に到着していたようだ。
「…………あっ!!」
そしてそこでジークリット公女殿下が何かを思い出したように慌てると、申し訳なさそうな顔をで俺たちの顔を覗き見る。
「ごめんなさい……! 伝え忘れてたんだけど、学生寮に連れていける従者は同性二名までって校則なの……。ほら、全生徒の従者の分まで部屋を用意するのは難しいから……」
「あ、それについては問題ありません。わたくしの部屋に付いてくるのはティミとスピラと事前に決めてましたし、レファリオは一人で学生寮へ行くと決めてましたので。残る従者のオチバについてもヴィッツ公国にあるアーディベル家所有の宿泊施設を利用してもらう事になっていますから」
元よりセアリアス学園の生徒は外部との接触を絶たれる生活をすると耳にしており、外部との連絡先となる従者が必要不可欠だった。
そういった面もあって俺がアーディベル家所有の宿泊施設を利用するというのは俺たちがアーディベル家の屋敷を出る前から取り決められていた事だったのだ。
そしてクラルテもリスティアお嬢様を更生させた報酬の一部としてウルリーケ公爵からヴィッツ公国滞在中はアーディベル家所有の宿泊施設を利用する許可を得ていた。
「そうね……。オチバ、レファリオ、明日は昼過ぎ頃にここで落ち合う事にするわ」
「昼過ぎだな。分かったよ」
「畏まりました、リスティアお嬢様」
こうして俺たちは女子寮、男子寮、アーディベル家所有の宿泊施設の三手に別れて解散したのだった。
◇◆◇
俺とクラルテは魔馬車を率いて道を引き返し、セアリアス学園の外へと向かう道を進んでいた。
「……なんだか急に静かになっちまったな」
「だねー。でもこうしてみるとボク、よく一人で旅なんてできたなって思うよっ。こんな風にみんなとの楽しい旅を知っちゃったらもう一人で旅するなんて考えられないよー」
人数が少なくなり、俺とクラルテは二人で並んで御者台に座っていた。
セアリアス学園の生徒たちは既に学生寮へと帰っているのか道中で見かける事はない。
それに加えて日が傾いて辺りが暗くなり始めた事で何となく不気味な雰囲気が周囲に満ちていた。
「あー、もしかして……」
「…………うん。ちょっと急ごうか」
もうすぐでセアリアス学園の門が見えるといったところで、
「そこの魔馬車、止まれ」
謎の集団が唐突に俺たちの魔馬車を取り囲んだ。
「どうする? 止まる?」
「……止まっとこう。この魔馬車はアーディベル家のもんだ。怪しい奴らだけどここにいるって事は学園関係者の可能性が高ぇ。轢いたりなんてしたら責任はリスティアお嬢様にいっちまう」
「確かに……」
納得したクラルテは徐々に魔馬車の速度を落とし、停止させる。
「はぁ……。なんつーか、嫌な予感はしたんだよな……」
「でも、ボクたちに危害を加えるつもりはないんじゃない? それなら問答無用で攻撃してくるだろうし、わざわざ止めるようになんて言わないよ」
「だと良いけどな……」
改めて俺たちを囲む謎の集団を確認すれば、恐らく彼らはセアリアス学園の学生なのだろう。全員が揃って学生服を身に纏っているからそれは間違いない。
また、他に何か共通点を見つけたとすればこの場で俺たちを囲む学生の殆どが亜人の特徴を持っているという事だ。魔馬車の速度に追いついて急に取り囲んだのは亜人としての身体能力があったからと予想できる。
「止まってやったぞ……! お前らセアリアス学園の学生なんだろ。いったい俺たちに何の用なんだ?」
「……オレの目的はお前の持つ荷物だ」
俺の問い掛けに返事をしたのは魔馬車を静止するよう言ってきた声と同じものだ。
「盗みか? でもそういうのはよくねぇんじゃねぇか? 下手したら退学になっちまうかもしんねぇぜ?」
「いいや、それはない。お前の持ってるその荷物は元々オレのものだからな」
その台詞と共に集団の中から割って出てくる人物がいた。
「────え?」
その人物を見て俺は僅かに思考が停止する。
その人物は薄緑色の髪を綺麗に後ろに撫でつけた青年だった。その色合いの髪や髪型には特に見覚えはない。
しかし、その頭には猫を想起させる耳を生やしており、浅黒い肌と深い翠色の瞳を有している。
その相貌に俺は見覚えがあった。
「…………お前、リルドか?」
集団を率いていたのは、皆の記憶から消えてしまったアーディベル家の見習い使用人、“リルド”の容姿を持った人物だったのだ。
読んで頂きありがとうございます。
ブックマーク、いいね、評価をしてくださると嬉しいです。
大きな励みになってます。




