野盗ども、腹を下す
太陽は西の地平に沈んだものの、紫色の空はまだ明るさを残している。
街道から外れて1時間ほど歩いた深い森の中、古い館の周囲に多数の影が蠢いていた。エルナーク自警団32名が野盗の根城を襲撃すべく、既に行動を開始しているのだ。
「柔らかな白き霧よ、全てを包み込み夢の世界に誘え。【眠りの雲】」
屋外から魔術師カインが静かに詠唱すると、トイレの方向からバタン、ゴン、ゴロ、とでも表記すべき音が聞こえてきた。
それを確認したノエルが、トイレの隣にある倉庫の窓を割って中に侵入する。事前に【静寂】の魔法を掛けてあるため音は聞こえない。続いて数名の自警団員が侵入し、トイレで倒れている野盗3名を縛り上げ、倉庫の隣にある寝室に運び去った。
野盗がトイレの個室に入るたび、【静寂】で音を奪い【開錠】で個室の鍵を開けて捕縛する。いかに野盗どもが凶悪で腕が立とうとも、この状況で抵抗できるものではなかった。
「お、お前たちは何だ!?」
「エルナーク自警団だ!おとなしくしろ!」
などというやり取りも、【静寂】の効果で互いの耳には届かない。
野盗に盗ませた葡萄酒に仕込んであったのは、遅効性の強力な下剤である。摂取して1~2時間後に腹痛を起こし、数時間はまともに歩くことさえ困難になる。
酒に薬物を仕込むことは早い段階で決まっていたが、問題はその種類である。犯罪集団とはいえ致死毒を盛るわけにもいかず、麻痺性の毒は苦みが強い上に材料が高価であった。睡眠薬は安価に作れるが、叩き起こされればそれまでである。
安価で、比較的簡単に調合でき、効果的で、効果時間が長いのが下剤である。それに食当たりと思ってくれれば全員に症状が出ても罠だとは思わないだろう・・・というのが発案者ノエルの主張だったが、縛り上げられ寝室に転がされた野盗はたまったものではない。便意を訴えても自警団側にトイレに連れていく余裕はなく、転がったまま呻くしかない。さらにはその呻き声さえ【静寂】の魔法で打ち消されている。時間が経つにつれ寝室に異臭が漂いはじめ、置かれた状況はさらに悪化していく。
1時間に満たぬ間に8名を捕縛し、これ以上はかえって怪しまれるだろうと判断した団長ギースは、正面玄関からの突入を命じた。侵入班によって玄関の鍵が開けられ、屋外待機班6名を除いた26名が一斉に踏み込む。
「目標は正面奥の広間だ。総員突入、状況は有利だが気を抜くな!」
広間の扉が開け放たれた。足音を察知されたか、室内の野盗は腰の武器を抜き放って迎撃の構えをとっていた。
しかし自警団の姑息な策によって人数は半分以下になっており、広間に残っていた6人も残らず腹痛を抱えている。4倍を超える人数に抗するのは不可能であった。次々と武器を捨てて投降する。
そんな中、ただ一人例外がいた。長身痩躯に切れ長の目、長い黒髪を結い上げた男だけは、怪しく光る長刀を手にして不敵に笑う。
「ほう、ギースか。臆病癖は直ったのか?」