一般生徒になりたい私と人気者達は仲良くゾンビに襲われた
今日の誕生日占いは最下位だった。
軽快な音楽と共に可愛いキャラ達が動き回りながら喜ぶ場面から一変、悲しげな音楽に変わり、そこには自分の星座がデカデカと表示される。思わずテレビの電源を落としたのは不可抗力だ。それにしても久しぶりに見た時に限って最下位。朝から気分が下がる。
その下がった気分のせいか、はたまた本当に最下位になるだけの悪運を持っていたのか。
まずお弁当を忘れ、次に小テストで名前を書き忘れて問答無用で0点。
そして宿題を学校に忘れた。気が付いたのは家に着く直前で、そこから引き返すのは面倒だったけど、その宿題は明日提出のもの。その上提出物にやたら厳しい先生のだから仕方無く、本当に仕方無く学校に戻ってきたのだ。
しかも今日は何故か運動部の声も聞こえないし、学校全体が薄暗い。あとうっすら寒い。
少しだけ早足で廊下を歩き、ようやく辿り着いた人気のない教室で机の中に手を突っ込む。出てきたぐしゃぐしゃになったプリントを気持ち丁寧に伸ばして鞄に入れた。
さて帰ろうと教室から出て階段方向へさっきより早く足を動かしていけば。
「ぎゃあああああ!!!」
普段の派手できらきらした顔からは想像出来ない放送事故っぷりを発揮し、何処からそんな声を出しているんだと聞きたくなる様な声で叫ぶ大人気モデルの光崎先輩。
「いやああああああ!!!」
そしてこちらも普段の氷帝と呼ばれる所以である冷えきった目からぼろぼろと涙を零し、これまた何処からそんな声を出しているんだと聞きたくなる可愛らしい声で叫ぶ生徒会長の氷室先輩。
そんな彼らの目の前にいる、所謂ゾンビと言われるものが獲物を見つけたとでも言うように血走った目をして2人に手を伸ばす場面に遭遇した。
こんな時、どんな行動をするのが正解か。
1、彼らに声をかける
2、ゾンビを倒す
3、バレない内に逃げる
まぁここは無難に、3、……なんて薄情な事を考えてしまった私の考えを見透かす様なタイミングで、人気者な2人と目が合った。
「あー、……えっと、取り敢えず逃げます?」
声をかけた途端に私の方へ転がる様に駆けてきた2人の腕を掴んで、ゾンビに背を向けて全速力で走る。
「オォオオオ」
後ろから何か不穏な呻き声みたいなものが聞こえてきてどっと背中に汗をかく。2人に意識が言ってたから気にしてなかったけど、あのゾンビかなりグロい見た目してた。いやでもまさかリアルでゾンビにエンカウントするとは。
「何なのあれ!何なのあれぇええ!?」
「見りゃ分かるでしょうゾンビですよ!!」
「それは知ってるけど!!ってちょぉお!?めっちゃ追い掛けて来てるんですけど!?大丈夫なの!ねぇ大丈夫なの俺達!!」
「うるっさいな!!ちょっと黙って足動かしてくれませんかね!?」
「すいませんでした!」
一々騒がしい光崎先輩を黙らせて階段を駆け降りる。自分よりパニックになっている人を見ると冷静になれるってのはどうやら本当らしい。かなりうるさいけど、光崎先輩のおかげで余裕が出来た。
チラリと後ろに視線をやれば、ゾンビはもう見えなくて。これなら逃げ切れるとほっと息をつけたのは、一瞬。
階段を降りきって左に曲がったら。
「まっ、前……!」
氷室先輩が悲鳴じみた声と共に指差した先。下駄箱のすぐ傍にのっそりと立つ巨大なゾンビは、私達をその濁った目に入れるとにちゃりと粘着質な音を立てて口を開いた。
『 マッ テ タ ヨ 』
緑色に変色し、所々皮膚がめくれ上がっている腕が私達に伸びる。
届く筈がない。あの距離から手を伸ばした所で絶対に私達に届きはしない。頭では理解しているのに恐怖に縛り付けられた身体は息をする事さえままならなかった。
全身の毛が逆立って、さっき出来た少しの余裕が根こそぎ引きちぎられて。もう駄目かもしれないなんてらしくもなく考えてしまう程には思考は停止していた。
『 ネ ェ コッ チ ニ オィ デ 』
また口を開いたゾンビに本能がガンガンと警鐘を鳴らす。
あぁ、ダメだ、死─────
「ぎぃぇええぁぁああああ!!!!」
諦めと恐怖が最高潮に達する直前、光崎先輩の絶叫が耳を刺した。
止まりかけた思考が一気に回り出す。
ようやくまともに機能し始めた身体は、ゾンビが光崎先輩の人間とは思えない絶叫に動きを止めているのを映す。
……逃げるなら、今だ。
未だに叫ぶ光崎先輩を担ぎ、今にも気を失ってしまいそうな氷室先輩の手を握って逆方向へ駆け出した。
今はアイツから逃げる事だけを考えろ。
「ウォエッ、ちょ、ちょっと待っ、ぐェオオ」
何かヤバそうな、ゾンビよりも酷い呻き声を漏らす光崎先輩の事もシカトして。
「オオォオオオオ!!」
行く道塞ぐゾンビを蹴り倒して。
「ひぃっ」
蹴った拍子にもげたゾンビの首を見て卒倒しかけた氷室先輩の腰を抱いて強引に走らせて。
「…………は、っ取り敢えず、ここまで来れば大丈夫、ですかね?」
部屋の近くと中にゾンビが居ない事を確認して、今更だけど音をたてないようにドアを閉める。
「お、俺が大丈夫じゃ、ないんですけど……」
未だに肩に担いだままだった光崎先輩を下ろせば、真っ青な顔をして保健室の床に転がった。ちょっと申し訳なくなって背中を擦る。
「雑な運び方をしてしまいすみませんでした。……身体を痛めたりはしていませんか?」
「安全性皆無の過激なアトラクション乗って酔っただけだから大丈夫……って!雑だった自覚あるのね!?」
「僕としてはそんな事よりも平さんが光崎君を担いで走れた事の方が気になるな。あれどうやったの?」
無意識だろうがあざと可愛く首を傾げた氷室先輩の頭を無性に撫でたくなる煩悩を光崎先輩の背中を強めに擦る事によって消していく。
「少し格闘技かじっていたので、普通の人より身体の使い方を知ってるだけですよ」
「いやいやかじってる程度で持ち上げられないから!俺これでもモデルやってて身長高いし、筋肉も付けてるからさ!?ちょ、痛い痛いさっきから擦るから削るに変わってる!!地味にダメージ食らってるから!!俺このままだとライフゼロになってゾンビの仲間になっちゃうから!!」
「身体の使い方かぁ。僕でも出来るようになるかな」
結構鍛えているんだけど筋肉があんまり付かないんだよね、と落ち込む氷室先輩は確かに細い。
「……これは私の持論ですけど、別にガッツリ筋肉付けなくてもいいと思うんですよね。必要な筋肉さえあれば。だって無駄に筋肉付けたって使えなかったらただの重りにしかならないじゃないですか。だから氷室先輩は気にしなくて良いと思いますよ?さっきだって息も切らさずに走っていましたし、ちゃんと鍛えてる成果が出ているじゃないですか」
「へへっ平さんにそう言って貰えると嬉しい。ありがとう」
「えぇガン無視……?ちょっと2人とも俺の扱い酷くない?ねぇねぇ、幾ら俺でも泣くよ?泣いちゃうよ!?」
「光崎君、あんまり大きい声出したらゾンビ来るよ?」
至極真っ当な事を淡々と言われて光崎先輩は撃沈した。
「……光崎先輩って普段ウザいくらいきらきらしてるのに、こうして見るとそうでも無いんですね。イケメンなのは変わりないのに」
「確かに。毎日色んな女の子達に囲まれてヘラヘラしていたし、無駄に顔が整ってるから何かもっと世界の違う人だと思ってた。僕としては今の君の方が親しみやすいんだけどね」
「分かります。俺煌めいてます、モテてます、人気者なんです……!みたいな顔して女の子侍らせてるより断然好感度高いです」
「ねぇそれ褒めてんの??貶してんの!??」
「褒めてますよ。……一応」
「一応!!酷い!!」
「ちょっとうるさい」
「あっ、すいませんでした」
氷室先輩に怒られて見事な土下座を披露した光崎先輩に思わず笑ってしまう。
「………ね、俺もキャラ作ってるから人の事言えないけど、氷室君もかなりキャラ違くない??普段いかにも氷帝!!みたいな威圧感満載なインテリエリートメガネキャラじゃん」
「あれは、その……そうした方が強そうに見えるかなぁって。僕これでも氷室家の次男だし。家族には素の僕でいてくれって泣き付かれたけど、やっぱりちょっと、あれかなって」
「……金持ちも大変なんだなぁ」
「兄さんに比べたら僕なんて全然だよ。……あの、2人はさ。……その、こんな僕で幻滅、しない?」
不安そうにこれまた無自覚上目遣いを使ってきた氷室先輩の目にじわじわと涙が溜まる。
可愛い。ひたすらに可愛い。抱き締めたい。抱き締めて頭なでなでしたい。
一瞬で煩悩に塗れた思考を何とか振り払う。多分私と同じ事を思ったであろう光崎先輩と自然と視線が重なった後、無言で頷き合って氷室先輩に向き直った。
「めちゃくちゃ可愛いからいいと思う。ね、平さん」
「同感です。正直さっきから可愛すぎて頭を撫でて抱き締めたい衝動に駆られているんですが、これはセクハラに入りますか」
「気持ちは分かるけどそれはセクハラだから止めようね平さん。あと目がガチ過ぎて怖い」
「それではこの抑えきれない煩悩はどう発散すればいいですか光崎先輩」
「それなら俺を抱き締めて、」
「それは嫌だ」
「えっ、酷っ!俺これでも人気モデルなんだけど!?普通喜ばれるんだけど!!?」
「可愛いは正義です」
「言葉のキャッチボールとは……!あ、待って氷室君は可愛くて俺はカッコイイってそう言う事!?」
「半分正解、半分不正解です。主に光崎先輩の部分」
「モデル業界で鍛えたメンタルですらぶち壊してくる平さん鬼畜……」
「…………ふ、ふふっ」
さっきまで泣きそうだった顔に笑顔が広がる。もう可愛いマジ天使。いつもの凛々しくて仕事熱心な所も好感度高かったけど、今の方が断トツだ。やっぱり可愛いは正義。
「光崎先輩」
「はいはい?」
「守りましょうね、私達の天使を」
「おっと、これガチなやつ。そんでもってまた特殊な氷室君のファンクラブが誕生する予感。因みに名前は氷室君を可愛がる会でOK?」
「作りましょうファンクラブ。そして名前採用」
「えっ!?ちょっと待って恥ずかしいし、そもそも僕のファンクラブって何……!?」
戸惑う氷室先輩の頭を撫でる。私もう可愛がる会の会長だから合法だもんね。セクハラじゃないもんね。……それにしても同じ黒髪なのにこの差は何だ。髪つるつるさらさらで、しかもなんかいい匂いするんだけど。
「あれ、知らない?氷室君のファンクラブって可愛がる会含めて4つあるんだよ。1つ目がドM会で2つ目が従僕会、3つ目は会長を笑顔にしたい会」
「何その前半の不穏なファンクラブ」
「安心して氷室君!平さんにも特殊なファンクラブあるから!構成員ほぼ男子な女王の奴隷会と俺が副会長を務めてて女子の大半が加入してるお姉様をお慕いする会!入学初日に嫌がる女子生徒に絡んでた先輩達を蹴散らし、その後逆恨みして来た奴らを単独撃破!強くて優しくて美しい女子達の憧れ!俺もめちゃくちゃ平さんのファンなの!握手して下さい!!」
「慕って貰えるのは嬉しいけど、あんまり持ち上げられるのはちょっと。私皆が言うような人間じゃないですし。正直、私は普通の一般生徒になりたいです」
「……はい安定のスルー。ていうかそれは無理じゃない?諦めた方がいいって!こんなにも俺達の事虜にしておいて普通に戻れるわけないじゃん」
「言い方がキモチワルイ」
「だから酷いって!!」
でも確かに、もうそうするしか無い気がする。
そもそもか弱い人が理不尽な目に合ってる場所に居合わせて、平然とスルー出来る鋼の精神力は持ってない。絶対首を突っ込むし、必要とあれば武力行使も厭わないから色んな意味で目立つし。……うん。人に囲まれたり敬われたりするのは好きになれそうもないけど。逃げ続けるのはポリシーに反するし。認めてしまおう。私には"普通"でいる事が何よりも難しい。この学校に入学して2年目、平京香は平凡平穏な学校生活を諦める事にする。波乱万丈上等、なんでも来いや。
「という事で、まずは目の前の障害をぶち壊そうと思うんですがどうですかね?」
「…………それはつまり、ゾンビ相手に物理で解決しようと言う事でよろしい?」
「はい」
「清々しい程の即答ですね!?」
目に見えて顔を青くした光崎先輩に自信満々に笑いかける。
「私ホラーって苦手だったんですけど、今ならいける気がするんです」
「それはアレじゃないですか!ただ単に物理が効かないものが怖かっただけで、ゾンビには物理解決可能だから大丈夫なんじゃないですかね!?」
「そうかもしれません」
「…………でも、あの大きいゾンビは大丈夫?」
心配そうに私を覗き込んだ氷室先輩の震える冷たい手に熱を分ける様に、少しでも安心してもらえる様に、自分の手を重ねた。
「さっきは混乱して無様な姿を見せてしまいましたが、安心して下さい。必ずやあの醜いゾンビを打ち倒してみせましょう。……大丈夫、氷室先輩は私が守ります」
「……っ!あ、ありがとう、平さん」
強ばっていた表情が柔らぎ、まるで花が開くような可憐な微笑みを僅かに赤らめた顔に浮かべた氷室先輩は天使だった。
「氷室君ずるいなぁ。ファンクラブ副会長の俺を差し置いてさぁー?俺だって光崎先輩は私が守りますって言われたーい」
何処でゾンビと遭遇するかも分からないのに緊張感の欠けらも無い光崎先輩にため息を吐く。
「ねぇねぇ平さん俺にも言って〜」
「嫌だ」
「えぇ〜けちー。あ!じゃあ好きなタイプ教えて〜」
オマケに絡み方が面倒臭い。
「はぁ、好きなタイプですか?私より強い人です」
「……それは、結構難しいのでは?」
「うるさいですよ。そう言う光崎先輩はどうなんですか」
「えぇ〜俺?俺は優しい人かなぁ。でも推しは平さんみたいにカッコいい人!!」
キラキラとした目を向けられて思わず目を逸らす。
「だから平さん、1回で良いから!1回で良いからさっきのセリフ言って欲しい!!」
「じゃあ光崎君の事は僕が守るよ!」
「……えっ?いやぁ、そうじゃないんだけどなぁ。…………でもまぁ、可愛いから良いや。ね、頭撫でていい?」
「えっ?あ、うん。どうぞ……?」
氷室先輩の邪気を払う慈愛満ち溢れる笑顔に陥落した光崎先輩は、打って変わって上機嫌に天使の頭を撫で回している。……何時でも天使の頭を撫でられるなんて羨ましい。私も168cmと女にしては比較的高い方だけど、氷室先輩はファン情報によると180cm。こう、上から頭を撫で回すには光崎先輩くらいの身長が欲しい。
「…………平さんや、その射殺す様な目でこっち見るの辞めてくれませんかね?その目は奴隷会の奴らに向けてやってくれませんかね??」
「……すみません。ちょっと羨ましくて」
「えぇ?そんな理由でそんな目向けられてるの俺」
「でも光崎君ちょっと嬉しそうだよね。……もしかして、そう言う趣味なの??」
「えっ、違います違いますからそんな汚物見る様な目で2人して距離取らないで!!?あと氷室君ちゃっかり平さんにくっつくのやめなさい羨ましい!!」
きぃぃ!とハンカチを噛みしめそうな勢いの光崎先輩の後ろの扉。そこから両腕がありえない方向に曲がったゾンビが見えて。
「っ!光崎先輩!!」
ゾンビと光崎先輩の間に何とか割り込んで顎を蹴り上げる。
仰け反ったゾンビの首を叩き折ろうとした瞬間、光崎先輩が液体をゾンビにかけた。
「オォオオオォオアアッッ」
それがかかった途端地面に倒れ悶え苦しむゾンビにドン引きしながらトドメをさす。やっぱり首を折ると消えるらしい。
……それよりも。
「光崎君何で消毒液なんて持ってるの?」
「え、いやぁほら。効くかなぁって?あはは、」
「……意外とえげつないね。奴隷会、平さんじゃなくて光崎君に相応しいんじゃない?」
「えっ!辞めてよ俺ノーマルだから!ただのオタクだから!ね!平さんもそう思うでしょ、ってちょお!?何で頭下げてるの!!?」
「すみませんでした」
「なっ何が!?平さん謝る事なんてしてなくない!?逆に助けて貰った俺が頭下げるべきだよねぇ!?」
「いいえ。こんな何があってもおかしくない所でふざけて光崎先輩から離れた。今のだってギリギリ間に合ったけど、あと少し遅れてたら、」
あと少し遅れてたら光崎先輩が怪我をしていた。下手をすれば死んでいたかもしれない。
「で、でもふざけてたのは俺もだし!気にしないでって、氷室君!?」
「ご、ごめんなさい。僕が調子に乗ったから……!」
「いやいや俺怪我してないからさ!終わり良ければ全て良しでしょ!?ほら、顔上げてって!今ゾンビ来たらもれなく3人殺られちゃうよ!?俺平さんみたいにカッコ良くゾンビ倒せないからね!!?」
そう言われてしまうと顔を上げざるを得ない。
「本当にすみませんでした」
「良いって!氷室君も泣かないでよ大丈夫だからさ」
「う、ごめ、」
「もおー2人とも真面目だなぁ。……じゃあさ、俺と友達になってくれたら2人を許すってのはどう?モデルとしての光崎晶には友達いっぱいいるんだけど、素の俺って友達いないんだよね。だからさ、2人が友達になってくれると嬉しいなぁ。ついでに名前で呼んでくれると尚嬉しい!」
自分の命が危険に晒されたのに、そんな優しい要求をした光崎先輩に息が詰まる。
「……私で良ければ、喜んで」
「ぼ、僕も……!」
「おぉありがとう!やったね2人も友達出来ちゃった!」
ふざけてばかりのこの人は、きっとその笑顔の裏で私達には計り知れない程色々考えて、
「あぁ!しまった!平さんに言って欲しい台詞とか要求しておけば良かった!!」
…………前言撤回。
「……晶君って色々残念だね」
「えぇ、本当に。私の感動を返して欲しい」
「…………えっ?」
「でも仕方が無いので今回は特別に1個だけその要求飲みますよ」
「えっ!マジで!?え、え、どうしよっかな!えーっと、」
「晶さん、ここから出てからです」
「ぐぉはっ」
何故か顔を真っ赤にして蹲った光、晶さんの背を叩く。
「え、大丈夫ですか?具合でも悪いですか?それとも頭がイカレました?」
「…………なんでもないです。あたまもぶじです。ちょっととうとすぎてテンションあがっただけです」
「は?いや、聞かなかった事にしますね。あとそろそろアレと決着をつけに行かなきゃいけないので立ってもらえます?」
「了解であります!!」
シャキッと立ち上がって敬礼した晶さんは、きょろきょろと辺りを見渡した後、さっきゾンビが出てきた家庭科室に入っていく。
「ちょ、晶さん!」
慌てて私と氷室先輩も後に続く。サッと辺りを見てもゾンビはいなかったから取り敢えず安心だ。
「晶君どうしたの?」
「いやね?下駄箱ゾンビ結構デカかったし。平さんがいくら強いって言っても何もしないのは男としてアレかなって。だから俺も使える様な武器っぽいもの探してみる」
「……あっ!そっか、武器!晶君晶君、モップってある?」
「何でモップ?」
「僕一応棒術やってるから、役に立てるかなって」
「棒術!?カッコイイ!えぇっとじゃあ俺は、」
「消毒液アンド漂白剤攻撃はどうです?もちろん漂白剤は口から突っ込むスタイルで」
棚の下から取り出した漂白剤に晶さんは盛大に顔を引き攣らせた。
「鬼だ……」
「先に消毒液ぶっかけた晶さんには言われたくありません」
「絶対俺の方が優しいと思う」
「いやいや私の方が優しいですって」
「……うーん。どっちもどっちだと思うよ?2人ともやってる事鬼畜だし」
私が優しい、俺が優しいと醜い争いを続けていた私達をばっさり切り捨ててきた氷室先輩に打ちひしがれる。
「……あっ!鬼畜だけど、相手はゾンビだし気にしなくていいと思うよ!?」
落ち込む私達を慌ててフォローしようとする氷室先輩も可愛いけれど、残念ながらフォローになってない。さながら傷口に塩を塗り込まれている気分だった。
「さて、晶さん、氷室先輩、色々ありましたがいよいよ最終決戦ですね」
「漂白剤も時間がかかるけどちゃんと効くのは分かったし、作戦もバッチりだし、僕達の勝ちだね!あと僕の事も名前で呼んで欲しいな」
「じゃあ遠慮なく。あ、そしたら私の事も名前で呼んで下さい」
「うん!」
「……え、このタイミングでその話?えっ、俺も呼んでいい?てか作戦って何??」
「名前呼びは良いんだけど、晶君。作戦、さっき話したばっかりだよ?」
「そうですよ。晶さんの消毒液攻撃で怯んだ下駄箱ゾンビをタコ殴りして、隙を見て漂白剤を口に突っ込んでゾンビが倒れるまで殴り続けるって話しだったじゃないですか」
「それは作戦と呼んでいいものか……?」
首を傾げる晶さんに雪也さんと顔を見合わせる。
「ちゃんとした作戦、ですよね?」
「うん。ちゃんとした作戦だと思うよ?」
「……あぁ、京香ちゃんはともかく雪也君もそっち側だったか。…………2人とも成績はかなり良いはずなのになぁ。元の性格?いやいや、それこそ京香ちゃんは女王だから納得だけど、雪也君は、……あぁ、彼も氷帝だった。つまりおかしいのは俺か!」
「晶君?」
「何でもない!よっし!それじゃあ下駄箱ゾンビ討伐作戦かい、」
勢い良く拳を上に突き出した晶さんのすぐ横。曲がり角から顔だけ覗かせたのはあの下駄箱ゾンビで。
「ぎょぇえええええっ!!!?」
耳を劈く叫び声を響かせた晶さんが手に持っていた漂白剤を口に捩じ込み、消毒液をぶっかけた後凄まじい速さで私達の後ろに退避した。
「オォオアアアアアアアッッ!!」
私達も痛みに暴れ狂うゾンビから少し距離をとる。
ここまで暴れられると迂闊に近付けない。どうするかと思案しながら視線を雪也さんに向ければ、凍てつく様な光を目に湛え、不気味な程口角を上げているのが見えた。
「……雪也さ、!?」
その異様さに声をかければ、それと同時に雪也さんは目を見張る程のスピードでゾンビとの距離を詰めた。そして何の躊躇も容赦も無く、モップの柄でゾンビの目を貫く。ついでとばかりにもう片方の目も潰す様は、いっそ爽快とでも言える鮮やかさで感動した。
「え、……えっ?」
ただ、間抜けな声をあげる晶さんの気持ちも大いに分かる。だってあんなにも愛らしい天使が、魔王みたいな顔して強いはずのゾンビを蹂躙しているんだもの。
「京香!」
だから突然自分の名前が呼ばれた事にちょっと混乱した。それでも本能からか、身体は自然と動き、硬直したゾンビの後ろに回り全力の蹴りを膝裏に叩き込む。
がくり、とバランスを崩し、前に倒れるゾンビに待ってましたと言わんばかりに目をギラつかせた雪也さんが恐ろしい速さと正確性をもって首を穿った。
骨と木がぶつかる形容し難い音と共にゾンビの首が、折れる。
あぁ、終わった。そう安堵して。
『 イッ し ョ ニ イコ う ヨ 』
「なっ!?」
ぐるりと折れた首を回して私を見下ろしたゾンビが心底楽しいとでも言いたげな声音で笑う。
伸びてきた手を咄嗟に殴り付けて回避しようとすれば、さっきまでの動きが嘘の様な俊敏さで私の腕を掴んだ。
それなのに私は、最初にこのゾンビに遭遇した時に感じたあの途方も無い恐怖を今は全く感じなかった。
「汚い手で京香に触るな」
それは多分。さっきまで確かに守る対象だった私の天使が、底冷えする様な声と凶暴性を増した目をして、圧倒的な強さを見せつけてきたからかもしれない。それと晶さんが珍しく怖い顔をして手持ちの消毒液をゾンビに近距離から叩きつけて、私を助けようとしてくれたのもある。
消毒液攻撃で動きの止まったゾンビの首を雪也さんはあっさりはね飛ばし、今度こそゾンビを消滅させた。
「大丈夫か」
「だい、じょうぶ、です」
差し伸べられる手に心臓が高鳴る。いやいや待て待て私。落ち着け私!!必死に自己暗示をかけてみたものの、心臓は晶さん並にうるさいままだった。
下駄箱ゾンビを無事に倒した私達は保健室に置いていった荷物を持って、やっと学校を出た。
「……結局何だったんでしょうね」
「ねー!でも本当に良かったよ京香ちゃん怪我なくて!!」
「お2人のおかげです。ありがとうございました」
「いやいや、お礼を言うのは俺達の方だよ。京香ちゃんいなかったら俺達最初のゾンビで死んでたんたからね!!その後もずっと守ってくれてたし!」
「そうだよ」
にこにこと天使な笑顔を見せる雪也さんには、さっきの面影は欠片も無い。
「……そう言えば雪也君、さっきのは一体何だったのかだけ教えて貰ってもよろしい?」
「あぁうん。……僕ね、棒術やってたからか、こう、長い武器っぽいもの?持ってるとなんか攻撃的になっちゃうんだよね。だから普段の氷帝やる時は小型の折りたたみナイフを胸ポケットに入れて武器の代わりにしてるの。……実は今日残ってたのもナイフ落としちゃって探してたから何だよね」
ついてないよ、と笑う雪也さんの気持ちは良く分かる。私もプリントさえ忘れなかったらゾンビに襲われるなんて事なかっただろうし。
「いやいやそれよりも何その特殊設定!?オタクの血が騒ぐんですけど!!あと1つ言わせてもらえば折りたたみナイフは立派な武器だからね!?」
いや、でも今日学校に戻ってなかったら学年も違う人気者な2人と話す機会何て無かった。それに、
「京香ちゃん?さっきから黙ってるけどどうかした?」
ひょこりと超至近距離で顔を覗き込んできた雪也さんに思わず後方へ飛び退いた。
「あっ、いや何でも!何でもありません!!」
「でも顔赤いよ?……もしかして具合悪いんじゃ、」
「やっ、えっと、そう!安心して血の巡りが良くなったからだと思います!!」
我ながら酷い誤魔化し方だとは思うが、動揺してそれ以外思いつかなかった。
「そう?大丈夫なら良いんだけど……」
「はい!大丈夫です!…………本当に何でも無いのでにやにやしてこっち見るのやめてくれませんか晶さん」
「えぇ?にやにやなんてしてないよ〜?でもそうだよねぇ、確かにさっきの雪也君は、ぎゃっ」
余計な事を口走ろうとした晶さんに肘鉄をお見舞いして歩調を早める。
「わ、私家こっちなのでお先に失礼しますね!!今日はお疲れ様でした!!」
後ろで何か言っているのが聞こえたが、今は振り返れそうに無かった。
徐々にスピードを上げて家に着く頃にはもう全力疾走になっていて。息を切らせながら乱暴に鍵を開けて家の中に入る。誰もいない薄暗い玄関にずるずると座り込んで頭を抱えた。
結局その日は一睡も出来なかった。そのおかげで宿題が捗って助かったけれど。
「おはようございますお姉様!」
「おはよう」
いつも通りの時間に登校し、名前も知らない女子生徒達に挨拶を返しながら教室に入って自分の席に座る。
「お姉様、今日提出の宿題で分からない所があったんです。教えて貰ってもいいですか?」
「あ!私もお願いしたいです!!」
「いいよ。何処が分からないの?」
何も変わらない、いつも通りのクラスメイト。
「ここはテストで出すからちゃんと覚えておくんだぞ!」
何も変わらない、いつも通りの授業。
「お姉様!一緒にお昼食べませんか!?」
「ずるーい!私もお姉様と一緒に食べたい!!」
何も変わらない、いつも通りの昼休み。
「お姉様の誕生日って4月でしたよね?」
数人の女子生徒と机をくっつけてご飯を食べていれば、1人の子が唐突に質問を投げかけてきた。
「え?うん。4月だけど、何で?」
「実は今日の誕生日占いで4月が1番だったんですよ!!」
「あ!それ私も見た!確か好きな人から告白されちゃうかもって、」
「ゴホッ」
盛大に噎せた。
「だっ、大丈夫ですかお姉様!?」
「大丈夫……」
油断した。めっちゃ油断した。まさかこんな話題が出るとは思いもしなかったし。
「因みに私は2位でした!憧れの人にお近付きになれるかもって!当たって、あれ?何か廊下騒がしくないですか?」
「……そうだね」
黄色い歓声とでも言うのだろうか。それが段々近付いて来るから何となく耳をすませば、今聞きたくなかった名前が耳に入った。
「氷室様と光崎先輩よ!!」
「お2人が一緒何て激レアじゃない!?眼福!!」
「えっ!?で、でも何で2年の階に!?」
…………逃げよう。今はまだ心の準備というか、とにかく色々無理だ。
騒ぎに乗じて逃走を図ろうとして。
「やっほー京香ちゃん!昨日ぶり!!」
ヘラヘラと笑うモデル仕様の晶さんがドアから顔を覗かせた。
「今、お姉様の事名前で……!?」
「どういう関係なのかしら!?」
何故そんな大きい声で呼んだ。こんなに注目されたら逃げられないじゃないかと抗議の視線をやれば、見事にスルーされた。これはアレか。昨日の仕返しか。
「ちょっとだけ雪也君に時間頂戴!ほら、雪也君!!」
「押すな。あとうるさい。少し黙っていろ」
「はいはーい」
晶さんが雪也さんの名前を呼べば、一瞬だけ黄色い悲鳴が上がって、また静まり返る。
うーん。何だろう。凄く不思議な感じだ。
いじられキャラの晶さんがただのチャラ男モデルで天使な雪也さんが鉄壁仮面の氷帝で。人の事は言えないけれど、人は見かけによらないな、なんて。
そんな事を考えて現実逃避らしきものをしながら雪也さんを見ていれば、暫くの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「…………昨日の事で少し話がある。この後時間はあるか」
「え?あぁ、はい。大丈夫ですよ」
「そうか」
「…………いや違うでしょ雪也君!?……その話も大事だけど、それよりもっと言わなきゃいけない事あるんじゃない?」
素に戻りかけて慌てて取り繕う晶さんに思わず笑いそうになる。あーあ。晶さんが面白い事するから心の準備とか色々考えて構えてたのが馬鹿らしくなったじゃないか。
無意識に入れていた力を抜いて雪也さんに笑いかける。
「……雪也さん、ここで話しにくい事でしたら別の場所に移動しませんか?」
「いや、此処でいい。…………京香」
「はい」
「俺と付き合ってくれないか」
誰かが息を呑んだ音がした後、他の全ての音が消えた。そして雪也さんの声だけが私の鼓膜を揺らす。
「突然こんな事を言われても困るだろうが、伝えるだけ伝えておこうと思ったんだ」
「……どう、して」
「京香の優しさと芯の強さに触れて、どうしようもなく好きになった」
素の愛らしい笑顔とは違う、恋情を滲ませた異性を感じさせる笑みに背筋が震える。
「俺と付き合ってほしい」
雪也さんの切れ長の目が熱を孕んで私を静かに射抜く。その視線に昨日の雪也さんがフラッシュバックして、頭の中が沸騰した。
あぁ、もう認めるしかない。そもそも幾ら可愛いからと言って私が自分から距離を詰める事は無いのだから、きっと最初から、いやもしかしたらもっと前から。
「……雪也さん」
この状況を仕組んだ晶さんは、内心で勝ち誇っている事だろう。
こうでもしないと私が逃げ続けると踏んで、わざとこんな公衆の面前で雪也さんに告白させた。人の事鬼畜だとか言うけど、晶さんの方がよっぽど鬼畜じゃないか。…………まぁでも、少しだけ。少しだけ感謝しなくもない。
「私も好きです」
自分の想いを自覚出来た。その想いから逃げずに済んだ。その想いを伝えられた。
「ありがとう。大切にする」
私達より周囲が異様な盛り上がりを見せる中、差し出された手をそっと自分の手を重ねた。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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