世界で最後の樅ノ木を
12月24日と言えば、いつの時代も世間はクリスマスイブで持ちきりになる。
子供たちはサンタから欲しいプレゼントを貰えるように願って床につき、恋人たちはイルミネーションで華やかに飾られた街をデートしてまわっていることだろう。
「……だというのに、先輩は何でこんな場所に居るんです?」
「おやぁ、雪見酒を知らないのかい? 今日はホワイトクリスマスイブだというのに、室内で酒を嗜むとか風情がないじゃないかー」
「風情も何も……今やホワイトというよりもグレー一色になった雪にそういった物を求める方がよくわからないですね。少なくとも得るものよりも失うものの方がよっぽど多いと思いますよ?」
文明の高度発展の代償として環境が劣悪化した地球。
昼夜に関係なく分厚い雲が空を遮り、最近は季節柄、汚染されて灰色になった雪が降り出している。
あまりの惨状にシェルターに籠もった人々は、今や防護服無しでは外部へ長時間の滞在が出来ないという有り様だった。
そのため、昨今では人々は外に出ることすら凡そ稀だというのに、よりにもよって先輩は聖夜にボッチで夜の外を出歩いていたらしい。
「うーむ。やっぱり君はロマンがないなぁ。男の子ならもっと……こう……フラストレーションが溜まってそうなんだけど」
「酔ったからって適当なこと言わないでくださいません? 欲求不満と浪漫は別物ですよ」
それもそっかー、と言いながら、ほんのりと頬を赤らめた先輩はへらりと笑う。
普段なら知的でクールな美女の印象だけど、飲みの席でお酒が入ったら普段の倍以上ウザ絡みしてくる厄介な人だ。
ちなみに半分ほど朽ちかけた樅ノ木にもたれて、空になりかけた酒瓶を煽っている彼女は、ヘルメットはおろか防護服すらも木の枝に引っ掛け、着ている衣服も乱れに乱れている。
馬鹿は風邪を引かないと言うけれど、あまりの無防備さに呆れることしかできない。
「かく言う君もこの樅ノ木に来てるじゃないか。もしや、私のロマン論に段々と傾倒して来たとか────」
「生憎と自分は用があって立ち寄っただけですよ」
空になった瓶を放り投げる先輩をみて見ぬ振りをして、何気なくたった一本の樅ノ木を見上げる。
珍しく晴天で星屑が散らばった空の元にそびえ立つこの木は大気汚染に弱く、環境の劣悪化と共に数を減らしていき、今や生き残ったのはこの一本限りとなっていた。
それでも、日に日に悪くなる一方の環境でここまでしぶとく生き残っているのは、何かしらの執念か何かなのだろうか。
……たぶん、この地の土壌か空気の汚染度が薄いからだとは思うけど。
「それに自分は現実主義者でして、毎度毎度言っていますが、理想主義な先輩とは話が合わないと思いますが……?」
「そんなことはないさ。空想も現実も、どちらも甲乙つけ難い素晴らしいものだからねー」
「否定はしませんが……、先輩が抱いていたロマンを追い求めた結果がこの有り様なら、一生を賭けてもその良さがわかるような気になれませんね」
「何を言っているんだ、どう見てもロマンの塊みたいなものじゃないか!」
「……はぁ」
瞬く間に空になった二つ目の酒瓶が突きつけられた場所に目を向けてみる。
灰色一色の大地に、眼下には自分たちが暮らすシェルター。
頭上の星空は綺麗な方だけれど、晴天とはいえ霞んだ空模様じゃ、シェルター内のプラネタリウムにすら劣る。
そんな光景の何処がロマンの塊なのか、先輩の思考回路は未だに理解出来なさそうだった。
「そもそも、防護服を脱ぎ散らかした上に、朽ちかけた木に寄りかかって酒盛りとか、どこぞのおっさんですか。体に支障を来す前に帰りますよ」
「そんなこと言わずにさぁ、君も一緒にどうだい? 今なら絶世の美女を侍らせながら風情のある雪景色を堪能できるんだよ?」
「自分で絶世の美女とか言っちゃいますか……」
「言っちゃう言っちゃう。私って正直だからねぇ」
「……はぁ」
んー、これもなくなっちったかー、とまたもや空にした酒瓶を放り投げる先輩に、さっきから白々しい目線を向けているけれど、どうも気付いてすらいないらしい。
……確かに、先輩は黙っていたら美女だと思う。
成人男性の自分と同じくらいに背が高く、スタイルも抜群。
手入れか行き届いている黒髪に知的な碧眼は、一目見た人を惚れさせる魔力でもあるのかと思ってしまうほどに映えるくらいだ。
けれど、極度のロマンチストであることや、酒豪も真っ青な蟒蛇さ、そしてこのウザ絡みが全てを台無しにしている。
「なんて言われようとも、ここにある酒瓶の全てを空にするまで帰らねぇからな!」
「まだ十本近くあるじゃないですか、飲み過ぎは良くないですよ。あと、キャラが崩壊してませんか?」
「キャラ崩壊ぃ? 別にいーじゃん。でも、わかる。わかるよ……。キャラは崩壊してナンボだって、偉い人にはわからんとです……」
「はぁぁぁぁ……」
そんな先輩との出会いは二年前のこと。
大学の同じゼミに入ったことがきっかけで、そこから現実と理想の論争を続けているうちに、いつしかここまでの腐れ縁となってしまっていた。
その間に恋人でも作っていそうだとも最初は思っていたけれど、こんな性格じゃあよっぽどの聖人君子じゃないと付き合いきれないと思う。
……決して自分との論争ばかりに力を割いていたとは思いたくない。
「相変わらずノリが悪いなぁ君は。まぁ、そんなところは嫌いじゃない。とりあえずこれ見たらわかるよ」
「ちょ……っ! 高価な計器を投げないで下さい!」
酒瓶と同じ具合に空気汚染計測器を投げてくるけれど、それってそこのお酒全部を買っても倍額以上のお釣りが返ってくるくらいに高いんですよ?
なんて言う暇もなく、投擲された計器を雪に埋もれながらも落とさないようにキャッチして、
「……え?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
だって、表示された数値を信じられるはずがない。
樅ノ木の周辺2m圏内の汚染濃度が極微量だなんて。
「驚いたかい?」
「……先輩、既に壊してたんですね、これ」
「うわっ……私に対する信用低すぎ……?」
口元を両手で覆いながら目を見開く先輩。
また随分と昔に流行った広告の真似なんかして……、どこからそんな情報を仕入れてくるんだ、この人……。
「ちなみに、付近もある程度回ってみたけど、この樅ノ木の周りだけ濃度が極端に低いんだ。まるでこの木が、汚染された空気を弾いているかのようにね。君の好きな現実では到底説明出来ない事象だとは思わないかい?」
「……確かに、そんな力を持っているはずもないのに、不思議なものですね」
「ちなみに樅ノ木は昔から北欧では神聖な木と信仰されてきたそうだよ。どうだい、さらに神秘的に見えて来ただろう?」
得意げに鼻を伸ばす先輩はさておき、申し訳ないけど今や半分以上の葉が失われた木に神秘的さは感じられない。
ただ、それでも残された唯一としての誇りや矜恃といったものを守り続けているような。
青臭くて未だ力強さを残しているその有り様に気高さのようなものを感じ取れた。
「煌びやかに飾られたクリスマスツリーよりも、朽ちかけた体に僅かばかりの奇跡を宿したこの木の方がよっぽど価値ある物だと私は思うね」
「だからって、酒盛りの場所はここじゃなくてもいいでしょう?」
「室内は快適すぎて時折嫌気が差すのさ。やっぱり大自然こそナチュラル! って感じ?」
「何言ってんですか……?」
「それに、なんだかんだでここじゃないと一人になれないしね」
ふう、と吐息。
耳朶まで真っ赤になった先輩の口元は、依然としてへらへらとしたままだったけれど、空を見上げている瞳は星ではなく想像している何かに視線が向いているように見えた。
「……もしかして、自棄酒の理由は失恋とかですか?」
「────」
「え、まさか、図星だったりします……?」
多分、そのまさかだった。
当てずっぽうに口にした言葉に、先輩は顔を硬直させて、ラッパ飲みしていた酒瓶を手から滑り落としていた。
ああ、勿体ない……。
「ふ、普段の行いが悪いからね。今日くらいは食事にでも誘おうとしたけれど、どうやら先約がいるらしくてね、残念だけど言い出せなかったよ」
「あ、普段の行いの悪さに自覚はあったんですね」
「うるさいなあ。これでも傷心気味なんだよぉ……」
呻くように呟いた先輩はそのままめそめそ泣きだしてしまった。
はぁ、本当に面倒くさい人だなぁ。
……かと思いきやけろりと泣き止むと、未開封の酒瓶を掴み上げて自分に向けてきた。
「私のことはさておき、君こそいいのかな、誰かを待たせたりしていないかい? ……ああそれとも、待ち合わせの場所がここだったりしたのかな」
「────どこでその情報を?」
「ここに向かう道中、君の妹さんにばったりと会ってね。その時に教えて貰ったんだよ」
「あいつ……!」
話さないと家から出さないとまで言われたから、止むを得ず話したのはいいけれど、まさか口外して回るとは……。
それも、よりにもよって先輩にまで!
これは後でお仕置きが必要だな……。
「────知ってますか、先輩。樅ノ木の花言葉には『高尚、昇進、真実、時間、永遠』といった意味があるそうですよ」
「……ん? ……んん……!?」
「だから、唯一生き残ったこの強い木に願い事をする時があるんですよ。花言葉に沿った大切な願い事を。……驚きましたか?」
目を白黒させているけれど、そりゃあ、そうなるよなぁ。
ロマン主義を現実味がないと切って捨てる自分が、なんだかんだ言いながらも願掛けを信じているのだから。
「いやぁ……君は現実直視的スタイルを地でいくタイプだと思っていたんだけど、これは私の認識を改めなければいけない時が来たかな? あるいは私の影響で────」
「あ、先輩と知り合う前から知っていたことなのでそれはないです」
「ちぇー」
「それに、この習慣を始めてもう十二年ほどになりますしね」
「へぇ……十二年も!」
事の初めは病気の母が長生きするように願ったことからだった。
それから、高校の進学祈願や試験の合格祈願だったりと勉強関連のこと
「これでも未練がましく続けていて、らしくないとは自分でも思っているんですよ? だからこそ、この木への願い事は今日で最後にする、その思いだけを持って今日ここに来たんです」
「やめなくてもいいと思うけどなぁ。……ちなみにそれが、恋人のことについてなのかい?」
「恋人、とは言っても自分の片思いに過ぎないんですけどね」
「ほう! ということは、あれか! イブのこの日に告白すると! かぁー若いなぁ!」
「やっぱり先輩って中におっさんが住んでますよね、絶対」
二歳差なんてほんの誤差程度だろうし、そんなことで若いなんて言うほど、先輩は歳を取ってはないと思うけれど……。
多分、心持ちというか、恋愛感は先輩の方が達観しているのかもしれない。
……ヤバい。そう思うと、さっき言った言葉にだんだんと恥ずかしくなってきた。
「よし! 叶えられる願い事なら、私が何でも叶えてしんぜよう! 私のようなロマンチストから直々に幸を得られるのだぞ、光栄に思うがよいー!」
「今日は随分と太っ腹ですね。何です、頭でもぶつけましたか?」
「おやおやぁ、そんなことばかり言ってたら叶えてあげないよ? 私がお酒パゥワーに溺れている今こそ、絶好のチャンスだと思うけどなー!」
「言いましたね? 言ったからには絶対に叶えて貰いますからね?」
「おう! 可愛い後輩からの頼みだ! 何でもどーんと来い!」
本日五本目の酒瓶を空にすると、先輩は仁王立ちして不敵に笑ってきた。
だから自分も、空想主義者で見た目の割に子供っぽい彼女に、およそ似つかわしくない願掛けの言葉を口にしてみる。
「では、お言葉に甘えて……樅ノ木の花言葉に誓って、自分の一生を賭けて願います」
「うへ、重た……」
「それくらい大事なことですからね」
建設的ではない恋は必然的に叶わないとよく言われる。
けれど、今だけはとびっきりの理想主義者としてこの願いを口にしたい。
何よりもロマンを愛する先輩に、現実的な言葉は似つかわしくないと思うから。
「────先輩、俺を貴女の隣に居させてください」
時間にして一瞬。
それでいて永遠とも感じ取れるくらいに長い時間が経って顔を上げてみると……。
先輩の顔は暗がりの中に映えるくらいにまで真っ赤に熟れ上がっていた。
「……ふぁっ!? え!? う、うそ! 何かのドッキリか何かか何か!?」
「いや、慌てすぎじゃありません? ……まあ、反応を見る限りどうも両思いっぽいみたいですね」
まさかとは思ったけれど、本当に俺のことを誘おうとしてくれてたなら、その好意に甘えてよかったかもしれない。
……けれど、それだったらなあなあで別れそうな気もするし、この奇跡に感謝するべきかな。
「い、いつから、私のことを……?」
「さあ、いつからでしょうね。気づけば先輩が居ないと物寂しさを感じてしまうようになりまして」
「そ、そっかぁ……」
上から下まで火照った顔はお酒のせいか、はたまた恥ずかしさのせいかよくわからない。
先輩からしてみると、この状況が夢か何かと勘違いしているのか、何やらぶつぶつと呟きながら六本目の封を開け始めていた。
あのー、まだちゃんとした返事を貰ってないので、このまま黙り込んでもらっても困るんですが……。
────あ、そうだ。
「えー、それでは二つ目のお願いとして誓いの口付けでもしましょうか」
「ふぇっ!? ち、ちょっと! ちょっとちょっと!!」
「あーそうですね、こんな邪魔くさいヘルメットも取っちゃいましょうか」
汚染されるからと言って全く外さなかったヘルメットを簡単に外した所を見て、俺がどれほど本気なのか漸く理解したのだろう。
なかなか開けられない酒瓶をほっぽりだした先輩は、千鳥足で樅ノ木の陰に隠れようとしていた。
「ま、待って! ちょっと落ち着かない!? あまりにも節操がないというか……そもそもお願い事はもう叶えたってことでいいよね!?」
「あ、一つ目は了承ってことでいいんですね。でしたら、これから末長くよろしくお願いします」
「んんんんんん!?」
「それに、願い事は一つだけとは言ってません。だって先輩は先ほど『叶えられる願い事なら何でも叶える』って言いましたよね?」
「う……!」
いや、これは先輩が悪いですよ。
回数を指定しなきゃこうして付け入れる隙が生まれてしまうんですから。
……とはいえ、最初に隙を突かれたのは自分の方なんですけどね。
「それはずるくない……?」
「ずるいと思うなら仕返してくれてもいいですよ。俺は何があっても先輩の隣にいると誓ったわけですから」
こうして、たった一つだけになっても残り続けている樅ノ木の花言葉と同じように、『永遠』を約束したから。
先輩のきょとんとした顔は、言葉の意味を理解したのか次第に満開の花が咲き乱れたようになった。
「ふふふ、言ったわね。だったら私のロマンに一生涯かけて付き合って貰おうかな」
「ええ、望むところです。俺の現実論とどちらがより良いものかはっきりと決めようじゃありませんか」
だって、今夜はクリスマスイブだから。
今だけは現実も理想も一旦端に置いて、あやふやで確実な愛に触れたいと手を伸ばすと。
そっと、白雪のように綺麗な手が静かに触れた。
────世界で最後の樅ノ木を前に、寄り添いあった二つの影は一つに重なる。
終わりの黎明を迎えつつある世界の中で、二人はちっぽけで無限大な永遠を誓い合った。
普段はシリアスな話ばかり書いてますが、実はこんな話も書けたりするのですよ?
皆さま、メリークリスマス。
こう見えて純愛大好きだったりする影斗朔です。
今回もツイッターにてあめんぼさん(@Amen‗NZoo)の呟きを元に一作書かせていただきました。
自分のお話の中では珍しい恋愛モノですが、如何だったでしょうか。
今回のテーマは『樅ノ木』とその花言葉、そして理想と現実でした。
夢はいつしか覚めてしまうもので、現実はいつだって身の回りから消えてなくならないもの。
だとしても、それらの良し悪しともども理解つつ、僅かばかりでも愛することが出来たのなら、それはきっと大きな幸せに繋がるかけがえのないものとなるのではないかと、自分は思っています。
皆さまは理想と現実、そして愛をどのように感じていらっしゃいますか?
この物語で僅かばかりでも何かしらを感じ取っていただけたなら幸いです。
それでは、良いクリスマスイブをお過ごしくださいね。