第三十八幕 障害
この太田屋には、座敷牢が備わっている。
本来は粗相をしたり病気になった遊女を隔離する為のものであるが、ここ太田屋では、不始末をした下男の折檻用にも用いられる。全を危険な目に遭わせたのを理由に涼一がそこに入れられていたのは、つい二ヶ月ほど前の事だ。
当然、番頭という立場にいる全には縁の無いはずの場所である。それにもし全が旦の気に障る事をしたとして、旦はいつも、全以外の誰かを仕置きする事で全の罪悪感を煽るという手段を取る。
だが、涼一には予感があった。全は、きっとそこにいる。
それは何の根拠もない、漠然とした予感でしかない。それでも涼一は、その予感に賭けてみようと思ったのだった。
「!!」
もうすぐ座敷牢というところで、涼一ははっと足を止める。廊下の曲がり角の向こう、そこに、人の気配を感じた。
足音を殺し背を壁につけて、曲がり角にそっと近づく。すると座敷牢の前に、巨躯の下男が一人、牢を守るように立っているのが見えた。
「……あれは」
涼一は、彼に見覚えがあった。あれは確か、旦が個人的に抱えている下男だ。
旦直属の彼は、普段は表で働く事はない。旦の裏の顔を支える、影のような存在だ。
その彼が、今、ここにいる。涼一は、己の予感が正しかった事を悟った。
「事を荒立てずに切り抜ける事は……どうやら、無理か」
陽動を仕掛ける事は出来る。だが彼はその陽動には乗らないだろうと涼一は踏んでいる。
例えそれで命を落としても、どこまでも忠実に旦の命を実行し続ける。そういった人物でなければ、あの用意周到な旦がふところに置くはずがないからだ。
結局のところ、今の涼一には、実力行使以外の手段は取れそうになかった。
「……刀があれば、もう少しは楽だったんだが」
涼一が武士であった事を示す唯一のものであった刀は、先の辰之進との戦いで折れてしまっていた。修理に出したり新たな刀を買うなど下男の身の涼一には当然出来ず、今の涼一は本当にただの町人と変わりなかった。
だが、それでも、と涼一は思う。全に捧げた心の刀だけは、決して失われはしないのだ。
「全様……今お助け致します」
強い決意と覚悟を胸に、涼一は、曲がり角の向こうに一歩を踏み出した。




