第二十九幕 不動の意志
「涼一」
ある日。全は思い切って、店に戻ってきた涼一を呼び止めた。
「如何致しましたか、全様?」
「話がある。ちょっと面ァ貸せ」
全の命令に、涼一は一瞬顔を強張らせる。しかしすぐに覚悟を決めた面持ちで、小さな頷きを返した。
念の為にと自室へ涼一を入れ、全は障子を閉める。兄に見咎められればまた何を言われるか、と考え、思わず苦笑が漏れた。
「……全様、お話とは」
座る時間すら惜しいとでも言うように、涼一が口火を切る。初めて見る涼一のそんな姿に、全の眉間の皺が更に深まった。
全は敢えて何も言わず、ゆったりとした動作で座布団に腰を下ろす。そのまま無言で涼一にも座るよう促すと、渋々といった風に全の向かいに正座をした。
「手前、最近何処で何してやがる」
「……っ」
漸く、しかし率直に全が話を切り出すと、涼一の肩がぴくりと震えた。
「俺が何も気付かねえとでも思ったか。……言え」
「……」
有無を言わせぬ口調で畳みかけると、涼一は深く俯いてしまう。全は冷徹な眼差しで、ただ涼一が答えを返すのを待った。
「……噂の人斬り、あれは間違いなく辰之進です」
やがて。涼一は、重々しくそう言った。
「何故そう思う」
「殺された女の亡骸を見ました。あれは私の師事していた流派の太刀筋。……それに」
そこで一度、涼一は一度言葉を切る。そして、躊躇いがちにその事実を告げた。
「……似ていたのです。女の顔が。どこか、姉上に」
怒りが、憎しみが、言葉にした事で吹き出したのだろうか。涼一の目に、剣呑な光が宿る。
成る程、それなら、涼一が動き出すのも無理からぬ事なのかもしれない。
姉を殺し、父を自刃に追い込み、何もかもを奪い去った。その仇が、今また、姉の面影のある女を手にかけ続けているというのなら。
「町の噂では、このところ辰之進は病を理由に長く出仕していないとの事。もしもそれが偽りで、獲物を物色する為に出仕せず、町に赴いているのなら」
「一つ聞く。辰之進を見つけたとして、どうする」
「斬ります」
迷いの無い返事。全の顔が、また苦しげに歪む。
「斬らずにはいられないか」
「はい。あなたとの約束と奴への憎しみ。それこそが私の生きる糧」
言い切った瞳は、どこまでも真っ直ぐで。彼の意志が固い事を、嫌でも全に伝えた。
「例え全様の命であっても、これだけは、奴への恨みだけは忘れられません」
「……そうか」
「はい」
ふう、と、全は長い長い溜息を吐いた。自分では涼一の決意を曲げられぬ事など、とうの昔に解っていた。
それでも、と思ってしまった。涼一に、自分の為だけに生きて欲しいと。
そんなものは――儚い望みだと、解っているのに。
「……好きにしろ」
言いたい言葉、伝えたい言葉、その総てを飲み込んで。全はただそれだけを、言った。