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エミリオの物語(後)

 エミリオはロレンツォを専属護衛としてそばに置くことにした。

 エミリオが顔を合わせて話してみれば、ロレンツォは気弱そうだった。これであのフランチェスカを抑えられるのか少し不安になったが、自分が上手く使えばいいのだと思い直した。体は試合場で受けた印象よりも大きく、もちろん腕力ということならエミリオでも敵わないだろう。


 久しぶりにエミリオの執務室に現れたフランチェスカは、微笑みを浮かべてロレンツォを見つめたまま固まってしまった。恋する男の前で完璧な令嬢を演じたかったのだろうが、ロレンツォの前では上手くいかないようだ。幸い、ロレンツォは顔を赤らめて目を逸らしていたので完璧令嬢の綻びに気づいていなかった。

 とりあえずロレンツォに違和感を持たれる前にふたりを離してフランチェスカと話してみると、フランチェスカはロレンツォを「可愛い」などと宣った。エミリオには恋する乙女の心情は理解できなかったが、「ネーロみたい」という言葉でフランチェスカがロレンツォに惹かれた理由はわかった気がした。


 フランチェスカは昔からよく迷い犬やら捨て猫やらを保護していた。アルマによると、屋敷に連れ帰った犬猫は自ら世話をし、元の飼い主か里親が見つからなければそのまま飼って面倒を見ていたらしい。

 ネーロというのもフランチェスカが王宮の庭で見つけた手負いの大型犬だった。フランチェスカはなかなか懐かなかったネーロを根気強く世話した。その結果、ネーロはフランチェスカがその首に抱きついてわしわしと頭を撫でても大人しくしているまでになった。


 動物だけでなく、人間相手でもフランチェスカは自分より弱い者を虐めるようなことはしなかった。アルマだけでなく屋敷にいる他の使用人の子供たちのこともフランチェスカは可愛がっていたようだ。

 また家柄で相手を区別して態度を変えるようなことがないので、貴族令嬢たちからも人気があった。


 フランチェスカが剣術大会でロレンツォを見つけたのは、その場にいた騎士たちの中でロレンツォが一番弱そうで、彼女の庇護が必要に見えたからだ。

 しかし、実際のロレンツォはそれ程弱くなく、自分より大きな相手にも負けていなかった。その姿にフランチェスカは目を奪われ、恋する乙女と化してしまったのだ。

 負けた後の情けない表情などフランチェスカにとっては決定的な止めだったに違いない。


 その後もフランチェスカは恋する乙女のまま、ロレンツォの前では完璧な令嬢を装っていた。ロレンツォのほうはフランチェスカをあくまで王太子の婚約者として扱っていたが、それ以上の気持ちもロレンツォの中には生まれているようにエミリオには見えた。

 ロレンツォがそばにいればフランチェスカが大人しくしているのはエミリオにとってありがたいことだった。フランチェスカの正体を知らないうちに、さっさとロレンツォに彼女を押しつけてしまいたかった。



 以前から王宮の監察部が要注意人物としていた男爵令嬢ミーナがやけに視界に入って来るようになり、エミリオは煩わしかった。監察部からは上手くミーナを誘導してスパイの尻尾を掴むために協力してほしいと言われたが、ミーナと関わるのも面倒でエミリオは無視していた。


 しかし、フランチェスカが自分たちのためにミーナを利用しようと言い出した。

 エミリオがミーナに心変わりした振りをして、強引にフランチェスカとの婚約を破棄する。ミーナを王宮に入れて泳がせ、監察部にスパイとして逮捕させる。エミリオは責任を取って王太子の位を降りる。あとはそれぞれ好きな相手と結婚してしまえばいい、と。

 エミリオはミーナと恋人の振りをしなければならないことに抵抗があった。しかし、望む結末を手に入れることはできそうだった。

 フランチェスカに任せるのは不安なので、エミリオがさらに細かく計画を立てることにした。

 エミリオが自分のために王宮を出るつもりだと知り、アルマは狼狽した。だが、エミリオがおそらく官吏としてなら王宮に戻れるだろうと言うと、アルマもようやく受け入れてくれた。


 ミーナはスパイに向いている人間とは到底思えなかった。市井育ちのせいかもしれないが、すぐに感情を面に出すし、物事を深く考えないようだった。何にせよ、あまりエミリオが付き合いたい人間ではなかった。

 フランチェスカはエミリオに近づいたミーナを、アルマを害する者として敵対視していた。もしもそれがなければ、本来面倒見のいいフランチェスカはミーナのことも心配してスパイなどやめるよう説得していたかもしれない。そう思えばミーナが少しだけ不憫だった。



 エミリオの苦労をよそに、フランチェスカはロレンツォの家での新しい生活に思いを馳せていた。だがフランチェスカはロレンツォに気持ちを伝えることさえしておらず、それでよく結婚を考えられるなとエミリオは呆れていた。

 正直に言えば、フランチェスカがロレンツォと結婚できなかったとしても、自分がアルマと結婚できれば構わないとエミリオは考えていた。しかし、アルマは同じようには考えていなかった。

 アルマが姉思いであるがゆえ、エミリオは後々までフランチェスカのために力添えをしてやらなければならなくなった。



 夜会での婚約破棄を経て、フランチェスカは無事にロレンツォの妻に収まった。実際にふたりが身も心も夫婦になるまでには少し時間がかかり、その過程においてエミリオは何かと迷惑を被った。


 フランチェスカは夫に対して予想以上に従順だったので、エミリオはロレンツォが妻をしっかり躾けてくれればいいと思っていた。だが、その点はエミリオの期待どおりにはいかなかった。

 フランチェスカの本性を知ったロレンツォはそれをすんなり受け入れてしまった。エミリオにとってフランチェスカの性格は鬱陶しくて面倒臭いばかりだが、ロレンツォの目には可愛らしくて魅力的と映るらしい。



 一方、エミリオは王太子を廃されて平民になり、アルマと結婚した。街の屋敷での新婚生活はフランチェスカの乱入さえなければ穏やかなものだった。

 アルマは贅沢を望まず、エミリオに何かを強請ることもなかった。結婚式のドレスもフランチェスカに借りた物で済ませてしまった。アルマがエミリオを困らせるのは、自分たちのことよりも姉を優先させることくらいだ。


 エミリオはしばらくは商家の手伝い仕事でもしながらアルマとのんびりしようと思っていたのだが、その期間は思いのほか短く終わった。

 エミリオがいなくなれば喜んで王太子になるだろうと思っていた弟のミルコが、案外と腰抜けだった。


 国王が自分を王太子に戻すつもりだと聞き、エミリオはロレンツォを通して宰相に接触した。宰相はロレンツォに案内されてすぐにエミリオの屋敷にやって来た。

 挨拶もそこそこに本題に入った宰相に対し、エミリオは言った。


「もちろんわたしは国王陛下の命とあらば再び王太子の位につき、誠心誠意努めたいと思う。だがひとつだけ条件がある。わたしは結婚した。妻を妃としてともに王宮に連れて行きたい」


 エミリオはその場にアルマを呼んだ。アルマが美しい仕草で礼をするのを見て、宰相は目を瞠った。


「アルマ?」


「お久しぶりにございます、侯爵様。その節は突然お暇をいただき、大変ご迷惑をお掛けいたしました」


 平民の格好で元主人に挨拶しながらも、アルマは貴族令嬢のように見えたに違いない。


 エミリオは宰相とふたりきりになってから、改めて話し始めた。


「わたしはアルマ以外の妻を持つつもりはない。アルマが王太子妃として認められないなら、わたしは王太子に戻らない」


「ですが、あの娘は……」


「以前、おまえは言っていたな。貴族令嬢として身につけているべきマナーや教養があれば王太子妃は庶子でも構わないと。アルマはそれらを習得している。さらに言えば、妃教育の内容もアルマはほぼ学んだ。講師役が誰かなど、おまえには言わずともわかるだろうな。アルマが王太子妃になれるかどうか、あとはアルマの父親次第だ」


 宰相は表情こそ険しいが、言葉を失っていた。


「アルマの父親が認めないと言うなら仕方ない。商売も面白そうだし、生活に困らない程度は何とか稼げるだろう。ただ、陛下にわたしが王宮に戻ることを拒んだのだと誤解されたくはない。きちんと理由を説明させてもらいたい」


「最初から、これが目的だったのですね」


「わたしは言ったはずだ。愛する女を妻にしたい、と。皆、相手を勘違いしていたようだがな。そうそう、わたしはもちろん愛する妻の父親のことも大切にしたいと思っている」


 エミリオは宰相に向かい笑ってみせた。



 エミリオは王太子に復位し、アルマが妃として隣に立つことになった。


 いくら王太子妃として必要な素養を持っていても、ずっと平民として生きてきたアルマには王宮での生活は慣れないことばかりで辛そうだった。周りの者たちもすぐにはアルマを王太子妃として受け入れなかった。

 不本意ではあるが、エミリオはフランチェスカを頼ることにした。一介の騎士の妻でしかない者を王宮に出入りさせるなど普通なら考えられないことだ。しかしアルマの姉であり誰もが認める王太子の婚約者だったフランチェスカを妃の相談役にしたいというと、国王も王妃もすぐに許可してくれた。


 フランチェスカはアルマの相談役と言っても結局は話し相手をするくらいで、街の屋敷にいた頃とあまり変わらなかった。フランチェスカに会うことでアルマの気持ちが解れればそれで良かった。

 フランチェスカは結婚当初はアルマのところを訪れるたびにロレンツォに関することを何でも口にしていたが、ロレンツォに注意されて今では話す内容を絞るようになったらしい。

 やはりロレンツォの言うことならフランチェスカは聞くのだと思うと、エミリオはフランチェスカを抑える役割を果たさないロレンツォに腹が立った。互いに思うところのある宰相も、おそらくそこはエミリオに同意するはずだ。

 フランチェスカはロレンツォにだったら首輪でも手綱でも喜んでつけさせるだろうに、ロレンツォにはまったくその気がない。おかげでフランチェスカはますます増長している。

 それどころか、近頃ではロレンツォのほうがフランチェスカに引きづられて生意気になってしまった。


 エミリオは復位すると同時にロレンツォを自分の護衛に戻した。フランチェスカが王宮に通うようになって、エミリオはそれを少し後悔していた。

 フランチェスカは王宮に来ると毎回エミリオの執務室に顔を出す。フランチェスカの目的はロレンツォに会うことだけで、大好きなロレンツォの騎士服姿しか見ていない。

 完璧な貴族令嬢だったはずのフランチェスカが元婚約者である王太子の前で夫とベタベタする様子は、執務室に居合わせた官吏たちによって瞬く間に王宮の噂になった。

 侯爵令嬢は自分を捨てた王太子に他の男との仲睦まじい姿を見せつけて、もう一度元婚約者の気を引こうとしている。いや、王太子のせいで心に深い傷を負った令嬢は逞しくも優しい騎士に身も心も愛されてその傷を癒したに違いない、などなど。


 相談役を別の者にすることも考えたが、アルマに対する反発が弱まったのはフランチェスカがアルマの後ろにいると認識されたためだし、何よりアルマが嫌がるだろう。

 ロレンツォを専属護衛から外せば、王太子は元婚約者の夫に嫉妬したなどと言われかねない。



 結局どちらもできぬまま、エミリオは今日も自分の執務室でフランチェスカとロレンツォの睦み合いを見ているしかなかった。


(早くアルマのところに行けよ。こっちは会いに行きたいのを我慢してるんだぞ)


 アルマを妃に迎えてエミリオが堕落したなどと言われないよう、王宮に戻ってからエミリオは政務に励んできた。アルマとも人前では節度を持って接している。


(それなのに、護衛が仕事中に妻とベタベタするな)


 真面目で気弱な騎士というのは幻想だったのだろうか。望んでいたものは手に入ったが、ロレンツォに関して言えばエミリオの気持ちは複雑だった。

 2年前に同じ場所でフランチェスカに微笑まれて目を逸らしていた「可愛い」ロレンツォを、エミリオは懐かしく思った。

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