エミリオの物語(前)
番外編ひとつめです。
思っていたより長くなったので2回に分けました。
王太子エミリオが2年前から自分の専属護衛としてそばに置いている騎士ロレンツォは、剣術の腕は悪くないし性格は真面目とあって、騎士団内で将来有望と言われるのも納得の男だった。
だが、この半年程の間でエミリオのロレンツォに対する印象は少々変わってしまった。もっとも、その原因はエミリオにもあるのだが。
執務室の扉が外から軽快にノックされる音がした。それを聞いて扉の脇に護衛らしく畏まって立っていたロレンツォの表情が見るからに明るくなったので、エミリオにも誰が来たのかわかった。
「殿下、開けてもよろしいでしょうか?」
「駄目だ。追い返せ」
珍しく部屋に他の者がいなかったのをいいことにエミリオがそう言うと、ロレンツォが眉を寄せた。
「どうしてですか?」
「あんな無礼者を王太子の執務室に入れる必要はない」
再びノックの音が聞こえた。「ロレンツォ、どうしたの?」という呑気な声も。
「フランチェスカは殿下の命で王宮に来ているのに無礼者扱いするのですか?」
「わたしはアルマに会いに来いと言ったのであって、わたしに会いに来いとは言ってない」
「安心して、私だってあなたになんか会いに来てないから」
いつの間にかフランチェスカが扉から顔だけ出してエミリオを睨みつけていた。待ちきれなくなって自分で扉を開けたらしい。
「すみませんでした、フランチェスカ」
ロレンツォが慌てて扉を引いてやったので、フランチェスカはさっさと室内に入って来てしまった。
「ありがとう、ロレンツォ」
「おまえたち、勝手に何をしてるんだ」
エミリオが怒声を出してももう遅かった。王太子の存在など意識の外に追い出して、フランチェスカとロレンツォは見つめ合っている。腕を回していないだけで、抱き合っているのと大して変わらない距離だ。
「今日も素敵ね、私の騎士様」
「ありがとうございます。フランチェスカもとても綺麗です」
ふたりの醸し出す雰囲気が甘すぎて、見ているエミリオのほうが恥ずかしい。
(おまえたち夫婦だろ。今朝も顔を合わせて、今夜も同じ家に帰るんだろ。わざわざここで逢い引きの真似事するなよ)
そう思っても口に出さないのは、多分エミリオの独り言にされるからだ。
フランチェスカはともかく、普段は護衛騎士としてエミリオに忠実なロレンツォも、フランチェスカのこととなると途端に反抗的になる。
(まったく、こうなるとは予定外だったな)
エミリオは嘆息しつつ、ふたりのことはしばらく諦めようと手元の書類に目を落とした。
宰相の娘であるフランチェスカは元々はエミリオの幼馴染だった。
フランチェスカには気を使う必要がなく、フランチェスカのほうも王子であるエミリオに対して遠慮がなかったので、彼女は一緒にいて楽な相手だった。
ふたりの間には恋愛感情など生まれる余地はなく、それどころか互いを異性として認識してさえいなかった。
それなのに、王太子になったエミリオの婚約者に国王はフランチェスカを選んだ。
フランチェスカはエミリオや身内以外の前では完璧な貴族令嬢らしく振る舞っていたし、彼女が割に頭の良い人間だということもエミリオは知っていた。
だが、エミリオはフランチェスカだけは自分の妃としてなしだと思った。幸いなことに、フランチェスカも同意見だった。
嫌々ながら王宮で妃教育を受けることになったフランチェスカは、それまでの口喧しい中年のメイドではなく、若いメイドを連れて来た。
フランチェスカは緊張した様子で小さくなっているメイドの肩を抱くようにして自分の隣に立たせた。
「今度わたしのメイドになったアルマよ。歳はわたしたちと同じ」
それからフランチェスカは声を抑えて続けた。
「ここだけの話なんだけど、わたしの異母妹だから苛めたりしたら許さないから。よろしく頼むわね」
「はあ?」
エミリオは思わず大きな声をあげてしまい、慌てて潜めた。
「宰相に庶子がいるなんて聞いたことないぞ」
宰相の子供は正妻とのあいだの一男二女だけだとエミリオは思っていた。愛人を持つような男には見えない。
「それはそうよ。父上は認めてないもの。わたしはうちの使用人たちが話してるのを偶然聞いて知ったんだけど」
エミリオはフランチェスカとアルマを見比べてみた。
フランチェスカのほうが顔立ちがはっきりしていて、謂わゆる美人であることは間違いない。だが、確かにふたりはどことなく似ていた。姉妹だと言われれば、信じられる程度には。
フランチェスカが妃教育を受けている間、アルマは控室で待機していた。ある日、エミリオは気紛れにそこに行ってみた。
アルマは幼い頃から自分のことを気にかけてくれていた異母姉を心から慕い、大切に思っていた。姉の話をしながら時折見せる笑顔はフランチェスカとは違い慎ましやかだった。
だが、なぜかそのアルマの笑顔がエミリオの頭から離れなくなった。常に一歩引いたような態度には腹が立った。フランチェスカではなく、エミリオのことを考えてほしかった。そして、できることならアルマに触れてみたかった。
毎日アルマに会いに足を運んでいるうちに、自分の気持ちがどんな種類のものなのかエミリオは自覚した。フランチェスカに知られたら拙いと思った矢先、あっさり気づかれてしまった。
初めこそ「絶対に認めない」と息巻いていたフランチェスカだったが、しばらくたって心底嫌そうな顔でエミリオに協力すると言い出した。アルマもエミリオが好きだから、アルマの幸せのためだとフランチェスカは言った。
アルマは自分ではエミリオに釣り合わないと拒み続けていたが、フランチェスカの助けもあってやがてふたりの想いは通い合った。エミリオは初めてアルマを腕に抱きながら、将来彼女を妃にすると固く決意した。フランチェスカがアルマに対しての妃教育を引き受けてくれた。
しかし、いくら異母姉妹でもアルマとフランチェスカの立場を入れ替えることは簡単ではなかった。
「父上に直談判しちゃえばいいんじゃないの? どちらにせよ娘が王太子妃になればあの人の王宮での地位は盤石になるんだから、問題ないでしょ」
「ずっと存在を隠してきた娘を今さら認めたくはないだろ。それに一番面倒な娘を王太子妃にできなくなったら別の嫁ぎ先が見つかるかわからない。むしろ宰相にはそれが一番頭の痛い問題かもな」
「それ、わたしのこと?」
「他に誰がいるんだ」
フランチェスカはギリッと睨みつけてくるが、エミリオとしては本気で口にしていた。
フランチェスカを妻にして言うことを聞かせ、周囲に迷惑をかけないよう抑えることのできる男など簡単に見つかるはずがない。宰相はエミリオにその役割を求めているのだろうが、もちろんエミリオは御免だった。
フランチェスカもエミリオとの結婚を嫌がっているのだから大丈夫だろうが、万が一にでも「王太子妃になってもいい」などと言い出したりしたら困る。
それにエミリオが無事にアルマと結婚できたとしても、フランチェスカが独り身のままだったらアルマは気にするだろうし、夫婦の時間をフランチェスカに平気で邪魔されそうだ。
エミリオがアルマと出会えたのも、恋人になれたのもフランチェスカのおかげだから感謝はしている。しかし、いつまでも当然のように周りをウロウロされては迷惑だ。
どうせならフランチェスカ自身が相手を見つけてくれれば話は早いのだが、彼女がただひとりの男に心惹かれるなどエミリオには想像できなかった。
数年後、エミリオはフランチェスカを誘って騎士団の剣術大会を観戦に行った。正確にはエミリオにとってフランチェスカはアルマについてくる瘤だったのだが、結果的にはこの剣術大会がフランチェスカにとって運命の場になった。
エミリオがアルマに気を取られているうちに、いつの間にかフランチェスカは見物席から身を乗り出して熱心に試合の様子を眺めていた。エミリオがそっと近寄ってもまったく気づかなかった。
フランチェスカの熱い視線の先にいたのはひとりの騎士だった。大会の上位に残った体格の良い騎士たちの中にあって彼は一番小さかったが、剣術に関しては引けを取っていなかった。
兜を外したその騎士の顔はそれなりに端正ではあるがどこか幼さも残っていた。エミリオは何となく、将来フランチェスカと並ぶのは幾つも歳上の大人の男だろうと想像していたので意外だった。
だが、その騎士を飽かず見つめているフランチェスカの顔は恋する乙女そのものだった。エミリオには初めてフランチェスカが女に見えた。
エミリオが騎士団長に聞いた話によると、その騎士はロレンツォという名でやはり歳下だった。貴族の三男というのは騎士団ではよく聞く出自だ。
大会で4位に終わったロレンツォは口惜しそうに顔を歪めていた。そんな情けない表情を見てはフランチェスカの気持ちも冷めてしまうかと思いきや、むしろフランチェスカの瞳はますます輝いていた。
エミリオはアルマとの幸せな未来のために、ロレンツォを捕獲してフランチェスカに差し出すことを決めた。




