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王太子殿下の婚約破棄の理由   作者: 三里志野
それからの物語
28/34

終 騎士の愛する妻

 春が深まった頃、ロレンツォは毎年恒例の騎士団の剣術大会に出場した。


 2年連続で4位だったロレンツォはフランチェスカのためにひとつでも上位になろうと意気込んだのだが、あっけなく準々決勝で敗れてしまった。

 ロレンツォはがっくりと肩を落として試合場の隅に退がり、兜を脱いだ。チラリと見物席を見上げるが、さっきまでそこにいたはずのフランチェスカの姿が見あたらなかった。


「ロレンツォ」


 ふいにフランチェスカの呼び声が聞こえ、見れば彼女はこちらに向かって全力で走ってくるところだった。

 試合場は関係者以外立ち入り禁止なのにフランチェスカはいったいどうやって入ったのかと、ロレンツォは驚いた。


 フランチェスカはロレンツォの前まで来ると、ロレンツォの頬を両手で包み込んだ。


「ロレンツォ、あなたはとってもとっても頑張ったのだから落ち込まなくてもいいのよ」


「フランチェスカ、せっかく応援してくれたのにすみませんでした」


 ロレンツォが眉を下げると、フランチェスカの手が今度は頭を撫でた。


「いいえ、ロレンツォが誰よりも1番素敵だったわ」


 フランチェスカがさらにロレンツォに近づこうとしたところで、ふたりの上から呆れたような声が降ってきた。


「おい、人目のある場所で何してるんだ、馬鹿夫婦」


 見上げれば、見物席からエミリオが顔を出していた。その隣には苦笑するアルマの姿もあった。


「馬鹿とは何よ。ちょっと話をしていただけじゃない」


 フランチェスカがすぐに反論すると、エミリオは顔を顰めた。


「だとしたら、おまえたちはふたりで並んで話しているだけでも恥ずかしいんだな。そもそも、おまえはそこに入れないはずだろう」


「私とロレンツォの間を阻めるものなんてないのよ」


 エミリオはわざとらしく盛大な溜息を吐いてみせた。


「ロレンツォ、黙って聞いてないでそいつを諌めろよ。おまえの妻だろ」


 ロレンツォはエミリオとフランチェスカを見比べてから、エミリオに向かって言った。


「殿下、人前で私の妻を貶めないでいただけますか」


「ほう、おまえ言うようになったな。覚えておけよ」


「エミリオ、ロレンツォを苛めたら私が許さないわよ。ロレンツォ、もう向こうに行きましょう」



 ロレンツォがフランチェスカとともに騎士たちの控え室のあるほうへ行くと、騎士団の副団長がふたりのほうに近寄って来た。


「申し訳ありませんが、奥様はもう外に出ていただけますか」


 普段はどちらかと言えば粗雑な言動の副団長が畏まった態度をとるのは、ロレンツォの妻が宰相の娘だと知っているからに違いない。

 フランチェスカも元侯爵令嬢らしい微笑みを浮かべると副団長に対し優雅に礼をした。


「夫を心配するあまり、無理に中に入れていただきありがとうございました。これからも夫をどうぞよろしくお願いいたします」


「ああ、いえ、もちろんです」


 フランチェスカの微笑を前にして副団長がしどろもどろになっているのを見て、ロレンツォは少しだけ面白くなかった。


 副団長が去ると、フランチェスカがロレンツォを見上げて首を傾げた。


「私があなたの上司に愛想良く挨拶したからって嫉妬しちゃ駄目よ」


「わかってます」


 ロレンツォがムッとした顔で答えると、フランチェスカは笑い出すのを堪えるような表情で、ロレンツォの頬に触れた。今度は唇で。


 ロレンツォの機嫌が戻ったことを確認してから、フランチェスカは満面の笑みでロレンツォに手を振り会場を出て行った。



 ロレンツォがフランチェスカに不機嫌の理由を見抜かれるのはいつものことだった。

 別にフランチェスカを疑う気持ちがロレンツォにあるわけではない。むしろフランチェスカを信頼しているからこそ、彼女の前では負の感情も平気で顔に出せる。つまりは、ロレンツォはそうやってフランチェスカに甘えているのだ。

 フランチェスカはロレンツォが拗ねたり落ち込んだりするたび、面倒だと投げ出したりせずロレンツォの相手をしてくれた。フランチェスカがその状況を楽しんでいることを、今ではロレンツォもわかっていた。



 ロレンツォは騎士団詰所で騎士服に着替えてから王太子の執務室に向かった。エミリオはすでに政務を再開していたが、ロレンツォが入室すると机から顔を上げて目を細めた。


「いいかげん、あいつを放し飼いにするのはやめろ」


「フランチェスカを動物扱いしないでください」


「おまえのために言ってるんだろ。まったく、おまえのほうがすっかり飼い慣らされたな」


「おかしなことを言うのはやめてください。殿下だってお妃様だってフランチェスカを頼りにしているではありませんか」


「はいはい。失礼いたしました、義兄上」


 エミリオは憐れむような目を向けた。



 夜、居間のソファでフランチェスカと昼間の剣術大会のことを話しているうちに、ロレンツォはふと思い出した。


「騎士団の皆が今年の観客は貴族の令嬢が多かったと言ってましたが、そうでしたか?」


 ロレンツォ自身は試合場から見物席を見上げてもフランチェスカしか目に入っていなかったので、わからなかった。


「そうかもしれないわね。今、独身の令嬢たちの間では騎士と結婚すれば幸せになれるって言われてるらしいから」


 フランチェスカは手を伸ばしてロレンツォの髪を撫ではじめた。


「そんな根も葉もないような話が信じられているのですか?」


「根も葉もあると思うけど」


 フランチェスカの言葉に、ロレンツォは眉を顰めた。


「まさか、フランチェスカが何か変なことを言ったのではないですよね?」


「まさか」


 フランチェスカはわざとらしく目を見開いた。


「お茶会などで私のことを話したりしていませんね?」


 アルマの相談役になってから、フランチェスカは再び茶会などに呼ばれるようになっていた。


「ああいう場で夫の話をまったくしないなんて無理よ。特に私はエミリオに婚約破棄されて、強引に騎士に嫁がされたということで皆さん心配してくださっていたみたいで、あなたがとっても優しくて私は幸せに暮らしてるって話したら安心してくれたわ」


「具体的にはどんなことを話したのですか?」


「大したことは話してないわよ。私の作る物は何でも美味しいって食べてくれるとか、一緒に歩く時には手を繋いでくれるとか」


 まあ大丈夫かとロレンツォが考えられたのはそこまでだった。


「膝の上に座らせてくれるとか、毎晩ソファからベッドまで抱き上げて運んでくれるとか」


「そういう話は駄目です」


 ロレンツォが言うと、フランチェスカは唇を尖らせた。フランチェスカは今もやはりロレンツォの膝の上にいるので、顔が近い。


「ベッドの中でのことは話してないわよ」


「当たり前です」


 ロレンツォは嘆息した。


「とにかく、あなたは貴族の令嬢方に対する影響力が大きいようですから、あまり無責任なことを言うのは控えてください」


「大丈夫よ。どうせ最後には皆、親の決めた婚約者と結婚してしまうんだから。だけど、もしも騎士と結婚しても幸せになれるかなんてわからないわね。だって、他の方たちはロレンツォを夫にすることはできないんだから」


 そう言いながら、フランチェスカはロレンツォの首元に顔をすり寄せた。彼女の柔らかい唇や温かい吐息が肌にあたる感触がして、ロレンツォは思わずフランチェスカの体に回していた腕の力を強めた。


「そう言えば、次のあなたの休暇もお茶会に招かれているんだけど」


 フランチェスカが顔を上げて言った。


「そうですか。私のことは気にせず楽しんで来てください」


 今までロレンツォの休みの日にフランチェスカがそういう予定を入れることはなかったが、仕方ないとロレンツォは思った。


「ロレンツォも行くのよ」


「なぜですか?」


「あなたをここにひとりで置いていくのは心配だから」


 ロレンツォが朝帰りした挙句、別れを切り出すに至った経緯はフランチェスカに正直に打ち明けていた。そのため、フランチェスカはロレンツォを部屋で長時間ひとりにしないよう過剰に気を配っていた。


「ちゃんとあなたの帰りを待ってますから大丈夫です」


「本当は皆さんに一度くらいロレンツォに会わせろと言われたからなんだけど」


「でも、私はあなたのように初めて会う人と愛想良く話したりできませんよ」


「話は私がするから、あなたは隣に座ってお茶を飲んだりお菓子、は駄目だからサンドウィッチでも食べたりしていればいいの。他の方たちに愛想なんて振りまく必要はないわ」


 フランチェスカはロレンツォの頬を両手で挟み、真剣な表情で言った。


「それ、私が行く意味ありますか?」


「充分あると思うけど、ロレンツォは他の女性たちとお喋りしたりして仲良くなりたいの?」


 フランチェスカがジトッとした目でロレンツォを見た。

 ロレンツォには嫉妬するなと言うくせに、フランチェスカ自身は嫉妬心を隠さない。ロレンツォはそんなフランチェスカを可愛いと思う。


「いえ。そんな場所で私にできるのはお茶を飲みながらフランチェスカを見つめることくらいだと思います」


 ロレンツォがそう言うと、フランチェスカは表情を緩めてロレンツォの首にぎゅっと抱きついてきた。


「ところで、お妃様から今度の夜会にあなたも一緒に出てほしいと言われたそうですね」


「ええ。私はもう貴族令嬢ではないのだから夜会には出ないと言ったのだけど」


「もちろんそれは承知の上で皆フランチェスカに出てもらいたいのでしょう」


 フランチェスカには茶会だけでなく夜会への招待状も届いているが、彼女はすべて断っていた。夜会には嫌な思い出があるから、と言えば納得してもらえるらしい。


「でも夜会となるとドレスとかアクセサリーとか面倒だし、せっかくあなたが横にいてもこんな風にできないし」


 フランチェスカはロレンツォの頬に彼女の頬をすり寄せた。


「なぜ私があなたの横にいる前提なのですか?」


 ロレンツォにとって夜会とはエミリオの護衛としてついて行く場所だった。


「私は既婚者なんだから夫がエスコートするのは当然じゃない。あなたは私に他の男と腕を組んでダンスをしろと言うの?」


「それは嫌です。ああ、でも義父上なら……」


「ありえない」


「わかりました。きちんとお断りしましょう」


 フランチェスカは満足そうに笑ってロレンツォに口づけた。ロレンツォもそれに熱く応えた。



 ロレンツォがようやくソファに並んで座るフランチェスカの肩を躊躇せず自然に抱き寄せられるようになったと思っていたら、ある晩フランチェスカは何の前触れもなくロレンツォの膝の上に乗ってきた。

 ロレンツォは驚いたものの、その頃にはフランチェスカに密着されたくらいでは動揺しなくなっていた。上目遣いで「駄目?」と訊かれて「いえ」と首を振れば、フランチェスカは嬉しそうにロレンツォの体に寄りかかってきた。ロレンツォはフランチェスカが膝から転げ落ちないよう、緩く抱きしめた。


 それからはソファに座る時にはロレンツォの膝の上がフランチェスカの定位置になっている。

 慣れてしまえばフランチェスカが自らロレンツォの腕の中に捕らわれてくれるのだから楽だった。もっとも、フランチェスカからすれば彼女のほうがロレンツォを捕らえているのかもしれないが、ロレンツォにとってはどちらでも同じことだ。

お読みいただきありがとうございます。

あと番外編2話で終わる予定です。

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