1 告白
扉が勢いよく開くとともに部屋から走り出てきたフランチェスカは、まっすぐにロレンツォの胸に飛び込む形になった。
ロレンツォはフランチェスカを逃がさぬよう左腕で彼女の体をしっかりと捕らえた。同時に右手で扉を閉めると、その手もフランチェスカの背に回した。
顔を上げたフランチェスカは、そこにいるのがロレンツォだと気づくとキョトンとした。顔中が涙でぐしょぐしょに濡れていることもあって、フランチェスカは普段よりも幼く、可愛らしく見えた。
しばらくロレンツォを見つめていたフランチェスカはふいにハッとした顔になって、慌てた様子で口を開いた。
「ロレンツォ、ごめんなさい。大嫌いと言ったのは嘘よ。お願いだから別れるなんて言わないで。私はあ……」
その先を言わせぬために、ロレンツォはフランチェスカの口を自分の口で塞いだ。
フランチェスカははじめこそ驚いたようだったが、すぐにロレンツォにしがみついてきた。ロレンツォはさらに強くフランチェスカを抱きすくめて口づけを深めた。
ロレンツォがゆっくりと唇を離してからフランチェスカを見下ろすと、フランチェスカも潤んだ瞳でロレンツォを見上げた。
「フランチェスカ」
ロレンツォがその名を呼ぶと、フランチェスカは目を見開いて、「はい」と返事をした。
「あなたを愛しています。だから私を置いてどこにも行かないでください」
フランチェスカの顔が歪んで、その両目から大粒の涙が溢れ落ちた。
「私は何があってもロレンツォから離れたりしないわ」
フランチェスカはロレンツォの胸に顔を埋めてから、さらに言った。
「愛してるわ、ロレンツォ」
ロレンツォは右手をフランチェスカの頭の後ろに添えて抱き寄せた。
ふいに扉の中からエミリオの声が聞こえてきた。
「おい、わたしたちを部屋に閉じ込めて何をしてるんだ。そろそろ出せ」
実際には扉はただ閉めただけなので、中からだっていつでも開けられる状態だった。エミリオはふたりに対してもう時間切れだと伝えたのだと、ロレンツォは理解した。
ロレンツォは急いでフランチェスカから離れようとした。だが、フランチェスカはロレンツォから離れようとしなかった。
「フランチェスカ、離れてください」
「嫌」
「フランチェスカ」
結局、ロレンツォはフランチェスカにしがみつかれている姿をエミリオとアルマに見られることになった。
「ほら、やっぱり鬱陶しいだろ」
エミリオが目を細めて言うので、ロレンツォはすぐに否定した。
「鬱陶しくはありません」
「おまえがいいなら別に構わないが」
そこで、アルマが場を和ませるように口を開いた。
「だいぶ遅くなってしまいましたが、朝食にいたしましょう。お姉様、お腹が空かれたのではありませんか?」
フランチェスカはロレンツォから離れぬまま首を振った。
「要らない」
「でも、ロレンツォ様はお腹が空いているようですわ」
アルマはロレンツォに目配せしながら言った。
フランチェスカがゆっくりと顔を上げてロレンツォを見た。
「そうなの?」
「あ、はい。そうです」
ロレンツォが慌ててそう答えると、フランチェスカは渋々といった感じでロレンツォを放した。
「なら、ロレンツォに食べさせてあげて」
フランチェスカの顔を濡らしていた涙は、ほとんどロレンツォの服の胸元に染み込んだようだった。ロレンツォはまだわずかにフランチェスカの顔に残っていた涙を拭こうと、手を伸ばした。
が、拭いきらぬうちにフランチェスカの目から再び涙が溢れてきた。
「フランチェスカ、もう泣かないでください」
「だって、嬉しい。ロレンツォが私を愛してるって」
もちろんエミリオとアルマには扉の向こうから聞かれていたのだろうが、改めてフランチェスカにそれを言われるとロレンツォは恥ずかしかった。
なのに、フランチェスカはアルマに向かって繰り返した。
「アルマ、ロレンツォが私を愛してるって」
「はい。良かったですね」
アルマがにっこりと微笑んで答えると、フランチェスカは今度はエミリオを見た。
「フランチェスカ、もうやめてください」
ロレンツォは慌ててフランチェスカの口を手のひらで塞いだ。
4人は1階に下りて食堂で朝食を摂った。「要らない」と言っていたフランチェスカもしっかり食べているので、ロレンツォは安堵した。
ふいにエミリオが尋ねた。
「そう言えば、ロレンツォ、今日は休みなのか?」
「はい。王宮警備のほうに移動になるので、その前に1週間結婚休暇を取るよう言われました」
「1週間? 1週間も休みなの?」
フランチェスカが声をあげたので、ロレンツォは反射的に謝った。
「すみません」
フランチェスカが眉を寄せた。
「どうして謝るの? 結婚休暇なら、私とずっと一緒に過ごしてくれるんでしょう?」
ロレンツォは目を瞬いた。
「あなたがそうしたいなら」
「当たり前じゃない」
「では、ずっと一緒にいます」
ロレンツォがそう言うと、フランチェスカの顔がパアッと明るくなった。
「ミルコの護衛はやらないのか?」
エミリオに訊かれ、ロレンツォは顔を顰めた。
「特定の主を持つのはしばらくやめておきます」
「そうか」
ロレンツォの気持ちを知ってか知らずか、エミリオはニヤっと笑った。
「エミリオ様はこれからどうなさるのですか?」
「とりあえずは伝手を頼って商家で働くことになりそうだ」
エミリオは今の王宮の状況を把握しているのだろうかと、ロレンツォは気になった。
居間に移ると、ソファでロレンツォに寄りかかって座ったフランチェスカが寝息を立てはじめた。
「昨夜はほとんど眠れなかったようですから」
紅茶を淹れながらアルマが言った。ロレンツォは改めてフランチェスカに対して申し訳ない気持ちになった。
「それだと大変だろ。ベッドを使ってもいいぞ」
「いえ、慣れてますから大丈夫です」
ロレンツォはさらに傾いできたフランチェスカの体をそのまま倒して、自分の脚に彼女の頭を乗せた。
ベッドの中でフランチェスカに頭を撫でられるとよく眠れる気がするので、フランチェスカの頭をやわやわと撫でてみる。
「慣れてる? フランチェスカはいつもおまえにベッタリってことか? それでよくフランチェスカの気持ちを疑えたな」
ロレンツォはしばし言葉に詰まった。
「フランチェスカは殿下の婚約者だったので……」
「だが、おまえは王太子の婚約者を憎からず想っていただろう」
エミリオの言葉を聞いて、ロレンツォは考えた。自分はいったいいつからフランチェスカに心奪われていたのだろうか。
フランチェスカと暮らしはじめた時も、結婚する時も、気になったのはフランチェスカの気持ちで、ロレンツォ自身は嫌ではなかった。ただ、彼女はいつか自分のもとを去る人で、決して自分のものにはならないのだと思うと苦しかった。
ロレンツォの出会ったフランチェスカは王太子殿下の婚約者で、ロレンツォが想いを寄せるべき相手ではなかった。だから彼女の微笑みに見惚れてしまわないよう咄嗟に目を逸らした。だが、そう考えた時点ですでに惹かれていたのかもしれない。
「そうだったのでしょうね」
ロレンツォはポツリと肯定した。
「そうでなければ捨てろと言われた手作りの菓子をこっそり持ち帰って食べたりしないだろ」
「気づいてたんですか?」
「こっちとしてはおまえに食べてもらわないと後が面倒だから、ああ言ったんだ。フランチェスカはおまえのために作ってたんだからな。それにしても、次の日の朝はおまえ酷い顔してたな。苦手なくせに全部食べるなんて馬鹿か、と思ったぞ」
「ちょっと、ロレンツォのこと馬鹿なんて言わないでよ」
突然フランチェスカが口を開いたので、ロレンツォもエミリオもギョッとした。
「おまえ、起きてたのかよ」
「今起きたの」
そう言ったフランチェスカの目は半分も開いてなかった。
「だいたい、ロレンツォが甘い物が苦手だって知ってたなら、何で教えてくれなかったのよ?」
「そのくらい、いつも見てれば気づくんじゃないのか?」
エミリオに言われて、フランチェスカは口惜しそうに唇を尖らせた。
ロレンツォが頭を撫でているうちに、フランチェスカは再び眠りに落ちた。
「ああ、そうだ」
エミリオがふいに立ち上がって部屋を出て行き、何か包みを持って戻って来た。
「ほら、約束してたもの」
ロレンツォは首を傾げた。
「何ですか?」
「婚姻証明書用の額だ。わたしたちのを買うついでに買っといたぞ」
「ああ、そんなことをおっしゃっていましたね」
「結婚の祝いにやる。フランチェスカにやった結婚祝いは、おまえ気に入らなかったんだろ?」
ロレンツォはしばし宙を睨み、それからテーブルの上のティーカップを見た。
「もしかして、あの茶器のことですか? あれは別に気に入らなかったわけではありません。ちゃんと使わせていただいていますし。と言うか、あれって結婚祝いだったんですか?」
「そうだぞ。選んだのはフランチェスカだが」
「それはありがとうございます。他の色々も」
「いや、気にするな」
「ところで、フランチェスカはあなたに何でも話すんですか?」
ロレンツォが顔を顰めて尋ねると、エミリオがニヤと笑った。
「わたしにというかアルマにだがな。ここにせっせと通うのはおまえの話を聞いてほしいからじゃないか。そいつを放っておくとすべてこっちに筒抜けになるぞ。おまえの言うことは聞くみたいだから、しっかり躾けろよ」
「はあ」
ロレンツォは困惑しながら自分の脚を枕に眠るフランチェスカを見下ろした。




