2 理不尽な罰
婚約破棄を告げたエミリオの隣には、ミーナがピタリと寄り添うように立っていた。
一方フランチェスカはといえば、まっすぐにエミリオと向き合っていた。いつもと変わらぬ背筋をピンと伸ばした美しい立ち姿のままで。
その場にいた他の者たちも、エミリオのよく通る声に気づいて一斉に王太子殿下に注目した。
「理由をお聞かせいただけますでしょうか、エミリオ殿下?」
フランチェスカが落ち着いた声でエミリオに尋ねた。
「おまえはわたしがミーナに惹かれていることに気づいて彼女に酷い嫌がらせをしたのだろうが」
エミリオが怒りを露わにした厳しい口調で言うのにも、フランチェスカは冷静に返した。
「嫌がらせとはどのようなことにございましょう?」
「とぼけるつもりか? ミーナが挨拶したのに先に話しかけるなと言ったであろう」
「それはミーナ様が社交界におけるマナーをご存知なかったようでしたので教えてさしあげたのですわ」
「しかし、おまえが開いたお茶会にミーナを呼ばなかったではないか」
「あれは女学園の同窓会にございます。卒業生ではないミーナ様をお呼びするほうがおかしいと思います」
「ならば、先日の夜会でミーナのドレスにワインをかけたことはどう説明するのだ」
「ミーナ様がふらついて手にしていらっしゃったワインをご自身のドレスに溢してしまわれたのです。私は偶然そばにおりましたので、ミーナ様をお支えしただけです」
エミリオは不快そうに眉を寄せた。
「賢しらげにわたしに口答えするとは、やはりおまえは可愛げがないな」
冷たくそう言ったエミリオに、潤んだ瞳のミーナが縋るように身を寄せた。
「エミリオ、もうやめて。わたしにはあなたがいてくれるのだから、フランチェスカ様に何をされようと気にしないわ」
ミーナの話し方は人前で王太子殿下に対するにしてはあまりに気安いが、当のエミリオはまったく咎めることもせず、彼女の腰に腕を回した。
「ミーナ、おまえは何て健気なんだ。これからはわたしがずっとそばにいるから安心しろ」
優しい顔でミーナを見下ろしてから、エミリオは改めてフランチェスカを睨みつけた。
「ともかく、おまえの傲慢な態度は見るに耐えぬ。よって、おまえとの婚約を破棄し、わたしはこのミーナ・カッローニを新しい婚約者にする」
エミリオは周囲の白い目や、非難の声にまったく気づいていないようだった。我が主はそれほど愚かだったのかと、ロレンツォは呆然としながらエミリオとミーナ、そしてフランチェスカを見つめた。
フランチェスカは幼い頃からずっとエミリオの一番そばにいたはずなのに、なぜこんな形で裏切るのだ。
ロレンツォの目に映るフランチェスカの姿はいつもと変わらず美しく気高いが、心中は嵐が吹き荒れているに違いない。しかし、将来の王太子妃としての教育を受けてきた彼女に人前で取り乱すことなどできるわけがなかった。
「フランチェスカ、最後にミーナに対する罪を認めてはどうだ? そうすれば、長い間婚約者だったおまえに情けをかけてやってもよいぞ」
エミリオはまるで慈悲を恵むかのようにそう口にしたが、フランチェスカはきっぱりと答えた。
「私に認めるべき罪などございません」
「そうか。では仕方ない。厚顔なおまえをこのままにしておくことは、ミーナのためにも世のためにもならぬ。ゆえに、おまえを修道院に送ることとする」
無実であるフランチェスカになぜ罰が与えられるのか、ロレンツォにはまったくわからなかった。だから、ロレンツォは思わずふたりの横から声を上げてしまった。
「お待ちください。フランチェスカ様を修道院に入れるなど、殿下のなされることとは思えません」
エミリオがギロリとロレンツォを見、フランチェスカも見つめてきた。いや、この場にいる皆の視線がロレンツォに集まっていた。
「ロレンツォ・ディアーコ、おまえはわたしに意見するのか?」
「殿下には常に正しいことをしていただきたいのです」
「本当に愛する者を妻に迎え、罪を犯した者には罰を与える。これが正しいことでないというのか? それに、たとえわたしが許してやったところで、もはやフランチェスカにまともな結婚など望めまい。であれば、修道院に入るのはむしろフランチェスカにとって幸せなことなのではないか?」
本当にこれが我が主の言葉なのかと、ロレンツォは哀しくなった。
「フランチェスカ様ほど殿下のお妃様に相応しい方はおりません。なぜそれがおわかりにならないのですか」
「おまえもフランチェスカの真実の姿を知ればそんなことは言えなくなる」
エミリオはそう断言した後で、ふいに口角を上げた。
「そうだ。それほど言うならば、おまえがフランチェスカと結婚してやれ。そうすれば修道院に送るのはやめてやる。ただし、おまえはすぐに自分の間違いに気づいて、わたしに謝罪したくなるだろうがな」
ロレンツォはしばらくエミリオの言ったことを理解できなかった。ようやくその言葉を受け入れると同時に、ロレンツォはカッとなった。
「何を考えておられるのですか。わたしは爵位も持たぬただの騎士です」
「相手がおまえしかいないのだから、それはフランチェスカも受け入れるしかあるまい。せいぜい仕事に励んで妻のために爵位を得るのだな」
いったい何を言えば通じるのかと考えながらエミリオの顔を見ているうちに、ロレンツォはふと違和感を覚えた。エミリオの目がやけに真剣な色を帯びて見えた。フランチェスカのほうを窺えば、彼女の目も同じだった。
まるでふたりともロレンツォが頷くのを待っているかのようだった。理由はわからない。ふたりの理由が同じかどうかさえも。しかし、ロレンツォはこれ以上エミリオに抗うことをやめた。
「わかりました。殿下の仰るとおりにいたします」
ロレンツォがそう口にして頷いた瞬間、フランチェスカの瞳が輝いたように見えた。エミリオの顔も満足そうだった。
「では、今すぐフランチェスカを連れて家に帰れ」
エミリオに追い払うようにそう言われ、ロレンツォは改めてフランチェスカを見た。フランチェスカはロレンツォに向かって静かに頭を下げた。