3 茶番劇
夜会の行われる公爵家に向かう馬車の中で、フランチェスカとエミリオは最終的な打ち合わせをした。ふたりの他にそこにいるのはアルマだけ。ロレンツォは御者の隣が定位置だった。
「本当にうまくいくのかしら?」
フランチェスカが不安を口にすると、エミリオは顔を顰めた。
「おまえが言い出したことだろ」
「だって、婚約破棄の理由があの程度の嫌がらせだなんて、信じてもらえるの?」
「おまえが本当に罪を犯してたらロレンツォだって修道院送りは仕方ないと思うだろ。今夜はわたしが悪役で、おまえはあくまで無実の罪で責められる哀れな令嬢だということを忘れるな」
「なら、涙を流したりする?」
「いや、完璧な王太子の婚約者としては、あまり感情は乱さないほうがいいな。もちろん、笑ったりもするなよ」
「ロレンツォは私を助けてくれるかしら?」
フランチェスカが溜息混じりに言うと、エミリオは軽い調子で答えた。
「あいつの性格なら大丈夫だろ」
「もしもロレンツォと結婚できないなら私は修道院送りで構わないわ。ロレンツォが他の女のものになるところなんて見たくないもの」
「その時は私もお供いたします」
アルマがきっぱりと言った。
「アルマ」
フランチェスカがアルマの手をぎゅっと握ると、アルマは笑って頷いた。
ふたりの様子を見て、エミリオが慌てて言った。
「ああ、わたしが何としてでもロレンツォを引っ張り出してやるから心配するな」
馬車が公爵家に着くと、エミリオはフランチェスカをエスコートすることもなく、馬車を降りてさっさと会場のほうへと歩いて行った。
御者台から降りたロレンツォはフランチェスカを気にしつつ、エミリオの後を追った。
そして今、婚約破棄を宣言したエミリオの隣には、ミーナがピタリと寄り添うように立っていた。
その場にいた他の者たちも、エミリオのよく通る声に気づいて一斉にエミリオとフランチェスカに注目した。
だが、フランチェスカが気になるのはただひとり、ロレンツォだけだった。ロレンツォはフランチェスカとエミリオとともに二等辺三角形を作るような位置に立っていた。
フランチェスカが横目で窺うと、ロレンツォはこの場で1番驚いていそうな顔をしていた。ロレンツォを騙すことには心が痛むが、彼が欲しいという自分自身の欲求にはフランチェスカは抗えなかった。
フランチェスカはロレンツォから目を逸らすと、落ち着いた声でエミリオに尋ねた。
「理由をお聞かせいただけますでしょうか、エミリオ殿下?」
「おまえはわたしがミーナに惹かれていることに気づいて彼女に酷い嫌がらせをしたのだろうが」
エミリオが怒っているかのような口調で言うのに、フランチェスカは冷静に返した。
「嫌がらせとはどのようなことにございましょう?」
「とぼけるつもりか? ミーナが挨拶したのに先に話しかけるなと言ったであろう」
「それはミーナ様が社交界におけるマナーをご存知なかったようでしたので教えてさしあげたのですわ」
ただ、きっちり教えてあげるのにフランチェスカが1時間近くかけてくどくどと語ったので、ミーナは途中から涙目になっていたが。
「しかし、おまえが開いたお茶会にミーナを呼ばなかったではないか」
「あれは女学園の同窓会にございます。卒業生ではないミーナ様をお呼びするほうがおかしいと思います」
もっとも、都に住む貴族令嬢ならほとんど女学園に通うので、フランチェスカが知る令嬢の中でそこを卒業していないのはミーナだけなのだが。
「ならば、先日の夜会でミーナのドレスにワインをかけたことはどう説明するのだ」
「ミーナ様がふらついて手にしていらっしゃったワインをご自身のドレスに溢してしまわれたのです。私は偶然そばにおりましたので、ミーナ様をお支えしただけです」
実は、ミーナがふらついた原因はフランチェスカがミーナのドレスの裾を踏んだせいで、さらに彼女を支えてあげた手には直前に食べていたチョコレートケーキのクリームがたっぷりとついていたのだが。
エミリオは不快そうに眉を寄せ、冷たく聞こえる声を出した。
「賢しらげにわたしに口答えするとは、やはりおまえは可愛げがないな」
潤んだ瞳のミーナが縋るようにエミリオに身を寄せた。フランチェスカからの嫌がらせを思い出して、本当に泣きそうになったのかもしれない。
「エミリオ、もうやめて。わたしにはあなたがいてくれるのだから、フランチェスカ様に何をされようと気にしないわ」
エミリオはミーナの腰に腕を回した。嫌がってたくせによくやるなとフランチェスカは思った。
「ミーナ、おまえは何て健気なんだ。これからはわたしがずっとそばにいるから安心しろ」
優しそうな顔でミーナを見下ろしてから、エミリオは改めてフランチェスカを見た。
「ともかく、おまえの傲慢な態度は見るに耐えぬ。よって、おまえとの婚約を破棄し、わたしはこのミーナ・カッローニを新しい婚約者にする」
エミリオははっきりとそう告げてから、口調を改めた。
「フランチェスカ、最後にミーナに対する罪を認めてはどうだ? そうすれば、長い間婚約者だったおまえに情けをかけてやってもよいぞ」
「私に認めるべき罪などございません」
「そうか。では仕方ない。厚顔なおまえをこのままにしておくことは、ミーナのためにも世のためにもならぬ。ゆえに、おまえを修道院に送ることとする」
傲慢とか厚顔とか、微妙にエミリオの本音が混じっているのではないかとフランチェスカが疑っていると、ふいに横から声が上がった。
「お待ちください。フランチェスカ様を修道院に入れるなど、殿下のなされることとは思えません」
フランチェスカはすべての雑念を忘れて、声の主を見つめた。
ロレンツォは声を上げてしまったことを自分自身で戸惑っているような表情で、それでもまっすぐにエミリオを見ていた。
「ロレンツォ・ディアーコ、おまえはわたしに意見するのか?」
エミリオは会場中の者が聞き取れるくらいゆっくりはっきり、そう口にした。
「殿下には常に正しいことをしていただきたいのです」
「本当に愛する者を妻に迎え、罪を犯した者には罰を与える。これが正しいことでないというのか? それに、たとえわたしが許してやったところで、もはやフランチェスカにまともな結婚など望めまい。であれば、修道院に入るのはむしろフランチェスカにとって幸せなことなのではないか?」
エミリオの言葉にロレンツォが傷ついたような顔をするのを見て、フランチェスカの良心が再び疼いた。
「フランチェスカ様ほど殿下のお妃様に相応しい方はおりません。なぜそれがおわかりにならないのですか」
「おまえもフランチェスカの真実の姿を知ればそんなことは言えなくなる」
エミリオはそう断言してから、口角を上げた。
「そうだ。それほど言うならば、おまえがフランチェスカと結婚してやれ。そうすれば修道院に送るのはやめてやる。ただし、おまえはすぐに自分の間違いに気づいて、わたしに謝罪したくなるだろうがな」
少し間があき、それからロレンツォが叫んだ。
「何を考えておられるのですか。わたしは爵位も持たぬただの騎士です」
「相手がおまえしかいないのだから、それはフランチェスカも受け入れるしかあるまい。せいぜい仕事に励んで妻のために爵位を得るのだな」
いや、フランチェスカは爵位などどうでもよかった。フランチェスカが妻になりたい相手はただの騎士であるロレンツォしかいないのだから。
フランチェスカはどうかロレンツォが頷いてくれますようにと、祈るような気持ちでロレンツォを見つめた。わずかな間、ロレンツォもフランチェスカを見たようだった。
「わかりました。殿下の仰るとおりにいたします」
ロレンツォがそう口にした瞬間、フランチェスカは感動で打ち震えた。
「では、今すぐフランチェスカを連れて家に帰れ」
エミリオが追い払うようにそう口にすると、ロレンツォがフランチェスカのほうを向いた。フランチェスカはロレンツォに対して万感の想いを込めて頭を下げた。




