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岩に咲く桜  作者: 秋桜
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すり変わった言葉

「これって何て読むの?」

その男は眼鏡が下がるのを中指で抑えながら、履歴書の名前の欄を指差した。

「『しゅな』です。」

「ふーん。瞬に儚いって書いて『しゅな』ねぇ。・・・珍しいね?」とその男は言った。たった今戻した眼鏡が既に下がり始めている。

その眼鏡を男がまた指で押し上げるのをじっと見ながら「そうですか?」としゅなが聞き返すと、男はふと止まって顔をあげ、

「まぁ確かに最近では色んな名前があるもんな。でも今、君20歳ってことは、親御さん相当進んでたんだろうね。今ではそう珍しくなくても当時はなかったと思うよ。」

しゅなは一瞬遠くを見て、男の方に向き直ると「そうかもしれないですね。」と言った。


その塾を後にすると、しゅなは足早に歩き出した。大学生の北野しゅなは、細く整った顔立ちをしていたが派手に着飾ることもなく、さっぱりとした服に身を包み、化粧っ気のない端正な顔に、大きな鋭い目が光っていた。採用・不採用の通知は一週間以内に連絡するとのことだ。一週間・・・。病気の進行は待ってはくれない。今すぐにでも働き始めたいのに、通知を待つだけで一週間も無駄にすると思うと歯痒かった。でも家庭教師のバイトは割と高収入だし、必要な条件がそろっていた。いくつかのアルバイトを掛け持ちしようとは思っているが、ここまで条件のいいものはそうは見つからないだろう。

その時、ふいにポンと肩を叩かれて振り向いた。そこには見知らぬ女性が微笑を浮かべて立っていた。「お肌とてもお綺麗ですね。私、肌年齢を下げるための新薬を開発している○○会社の開発部で働いております笠野と申します。ちょっとお時間を頂けませんか?」と言ってその女性はしゅなにさっと名刺を差し出した。

○○会社・・・有名な化粧品会社だ。「今、当社では肌年齢とその因子の研究をしておりまして、ご協力頂ける20代の女性を募っております。アルバイトという形で多数の方にご協力頂いております。もちろん新薬開発ということもあり、高収入の短期バイトなんですが。」と女性は早口で説明した。

しゅなは一瞬考えた。怪しくはないだろうか。いつもならこういった類の勧誘は全く相手にしないようにしている。でもこんな人混みの中で堂々と声をかけて来ているから、周りには沢山の目がある。名刺もきちっとしているし、○○会社は何しろ有名な会社だ。それに、今はとにかく仕事が欲しい。新薬の開発のバイトは高収入というので有名だ。確か大学のクラスメイトもやっていると言っているのを聞いたことがある。しゅなは名刺から顔を上げると、「では話だけ」と言った。


通された場所を見てしゅなは少し安心した。街のど真ん中のビルの10階にあったそのオフィスはとても清潔で新しく、壁全面に広がる大きな窓からの見晴らしもとてもよかった。同じビルの一階に大手の□□銀行が入っているのも安心できる要素だった。きちんとした仕事みたいだ。他にも何人か同じような女性がいて、書類らしきものに記入している。もしかしたらとても幸運だったのかもしれない。短期間で、病院の高額治療を始めれるくらいの収入を得られるかもしれない。あの知らせを受けてからのこの数日の間ずっと張り詰めていた緊張が少し緩んだ気がした。

説明が書かれた紙にさっと目を通してから、書類に記入した。

それが終わると簡単な肌質の検査をするということで別の部屋に通された。


その部屋にはちょっとした医療器具が置いてあり、病院の一室みたいだった。

そこにはちょっと彫りの深い顔の男性が白衣を着て待っていた。

「ではお薬を付けて顕微鏡で確認しますので右手をこの台に乗せて下さいね。」と、アシスタントらしき女性が言った。しゅなは椅子に腰掛け右手のそでをまくりあげた。

アシスタントがその腕をさっとアルコールで拭いて消毒した。まるで注射する時のようだな・・・としゅなが思った瞬間、右手に鋭い痛みが走った。驚いて視線を落とすと、自分の手に注射器が刺され何かの薬が入っていっているのが目に飛び込んで来た。しゅなはとっさに腕を払って立ち上がった。注射器が床に落ちてカランっと音を立てた。「ちょっと・・!一体何を・・・!」といったところで、しゅなは目眩がしてよろけた。今の薬のせいだろうか。やばい・・・!はめられた!膨れ上がる恐怖とは逆に意識がどんどん遠のいて行く。注射したその白衣の男を見上げると、微笑を浮かべこちらを見下ろしている。それを見た瞬間、恐怖にまさって怒りがこみ上げて来たしゅなは、最後の力を振り絞って全力でその男の向こうずねを蹴ってやった。その男はぎゃっと叫ぶとすねを抱えて「Crazy girl!Just like Rose!(おかしなやつだ!まるでロゼだ!)」と叫んだ。しゅなはその場に崩れ落ちた。見上げると、すねを抱えたせいでその男のズボンの裾がめくれ、足首に変わった形のあざが見えた。そこでしゅなの意識は途絶えた。


・・・ここどこだっけ?

気付くとしゅなは白い天井を見つめていた。隣の窓にかかったカーテンの隙間から一筋の日の光が差し込んでいた。ズキッと鋭い痛みが頭を襲い思わず手で覆った。

私どうしたんだったかな・・・?と思いながらしゅなは周りを見渡した。病院の一室のようだ。他には患者らしい人はいない。

「私、病院に・・・?」そう呟いた瞬間、しゅなは激しい違和感を感じた。

「今、私何て!?」さらに強い違和感。

「えっ!?どういうこと!?」しゅなは思わず口を抑えた。

自分が今話している言葉が日本語ではないのだ。

自分が何を言っているのか理解はできるうえに、自然に自分の口からでてくるのだが、ただその言葉は慣れ親しんだ日本語とはかけ離れた響きを持っていた。

なんとなく、イタリア語に似ている気がした。

もちろんイタリア語なんか学んだことも話したこともなかったので確かではない。

・・・夢!?

その割りには意識がハッキリしている。

ーパチン!ー

しゅなは顔を両手で叩いてみた。

でもその音が鋭く病室に響いただけで夢から覚めることはなかった。

ふと顔の横に垂れている自分の髪を引っ張ってよく見ると、色は黒いままだが軽くパーマがかかっていた。ふと病室の端の水道が目に止まった。その上の壁に小さな鏡がついている。ベッドからよろめきながら降りようとすると、思ったより高めのベッドらしく足が宙をかいた。かまわず飛び降りて鏡に飛びついた。

・・・顔は自分の顔だ。少しだけ安心してしゅなは下を向いてふーっとため息をついた。


どういうこと?一体何が起こってるんだ・・・。

混乱してきた頭を抱え、落ち着こうと深呼吸してから考えてみた。

ここに来る前に私は何をしていた?確か・・・そうだ!バイトを探して・・・

綺麗なオフィスで・・あっ・・・!

しゅなは変な顔した白衣の男に注射されたことを思い出した。

その瞬間、背筋が凍った。

何かの実験台にされたんだろうか?

でも何故パーマなんか・・・。

それよりもどうして自分の話す言葉が変わっているんだろう!?

現代の科学でそんなこと可能なんだろうか?

洗脳・・・?

はっとして周りを見渡す。

ってことはここはここはまだあいつらの?逃げなきゃ!とにかく警察に!

そっと窓に近寄ってカーテンを開けると、しゅなははっと息を飲んだ。


目の前に広がる景色は何となく想像していた東京の灰色の高層ビル群とは違うものだった。

少し向こうにビルは見えるものの、しゅなのいる建物のまわりにはあざやかな世界が広がっていた。レンガ作りの赤い屋根の家々がところ狭しと並んでいて、下には石畳の道が見える。道ゆく人々も金髪や栗色の髪をしている人が沢山いる。

ヨーロッパ映画の中にでも迷い込んだような景色だ。

日本にこんな場所があったのだろうか?

それともどこか遠い国に連れて来られたのか・・・。

もしかすると想像以上に大きな事件に巻き込まれているのかもしれない。

しゅなは心細くなり息苦しさを感じ、目眩がした。

でも、とにかくここから抜け出さないと、もっと危ない目に合うかもしれない。

そう思ってしゅなはまどの縁に手をかけた。その時だった。ドアがカチャッと開いて、誰かが入ってくる音がした。

しまった、遅かった、と思いしゅなは青ざめた顔で振り向いた。


そこにはスラッと伸びた長身のスーツ姿の若い男が立っていた。まるで映画俳優のような端正な顔立ちをしている。

その男はしゅなを見ると少し眉をあげて「いつのまに意識が戻って・・・?」と呟いた。しゅなは後ろ手で窓の位置を確認した。

今、窓から飛び降りて逃げ切れるのだろうか。もしかして銃なんて持ち出されたら太刀打ちできない。死にたくない・・・。そうだ!私が死んだら誰がお金を貯めるんだ!誰があいつを助けてやれるんだ!今死ぬわけにはいかない!。

色んなことがしゅなの頭の中をめぐった。

こわばった顔をしているしゅなを見て、そのスーツの男はふっと寂しそうに笑うと、「やっぱり嫌われてしまったようだな。」と呟いた。やっぱりイタリア語のような響きだがしゅなには言葉の意味がわかった。

「?」

こんな状況で嫌いとかの話ではない。何を言ってるんだこの男は、としゅなは警戒を強めた。

怪訝な顔をしているしゅなにその男は「そんな怖い顔しないで下さい。」といって

壁についていた赤いボタンのところへ歩いていって、そのボタンを押すとマイクに向かって「意識が回復されたようですよ。」と言った。

仲間を呼んでる・・・!

そう思ったしゅなの顔がさらに青ざめ、窓を握る手は震え出した。

男はそんなしゅなに向き直ると、「何故私がここにいるのかって思っているんでしょう?」と聞いてきた。

しゅなはその質問の意味がよく分からず「・・・? 何であんたがなんて思ってない!それよりどうして私がここにいるんだ!何が起こってるんだ!今すぐ私を家に返せ!」と言った。

男は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに冷静な表情に戻ると、「私があなたに何かしたと思ってるんですか?全くの誤解ですよ。確かにあのパーティーで私はあなたを追って部屋に入っていきました。でもそれはあなたに一言謝ろうと思ったからです。私は事件になんら関わっていません。確かにあの直後にあなたは行方不明になりましたが、あの時何が起こったのかは全く知りませんし私は無関係です。」と言った。

しゅなは混乱して、「?一体何が言いたいんだ!無関係なら何であんたここにいるんだ!おかしいだろ!」と言った。

すると男はため息をつくと「あなたが△△通りで倒れているのが見つかって病院に運ばれたと女王の秘書から連絡があり、かけつけたんですよ。女王が病室に一緒に来て欲しいとおっしゃったので来ましたが、意識が戻られていなかったので待合室でしばらく待っていました。そこで女王が扇子をここにお忘れになったとおっしゃるので、私が取りに来ると申し出たんです。」と早口で言いながら脇の椅子に置いてあった扇子を手にとってみせた。

女王!?センス?△△通り?

しゅなは頭を抱えながら「あんたが何を言ってるのかさっぱり分からない。女王?何の?」と言った。

それを聞いて男は怪訝な表情を見せて、「何だかあなたらしくないな。事件のショックからかもしれませんが。」と冷たい目をして言い放った。「いつもの堂々とした態度はどうしたんです?」

それを聞いて、しゅなはかっとなって、「いつもの?あんたがいつもの私の何を知ってるんだよ!あんたなんか会ったことも話したこともない!」と叫んだ。

男は一瞬無言になり、「・・・ひどいいいぐさだな。」と怒ったような表情で言った。


そこへガラッとドアが開いて、看護婦のような格好をした女性が入ってきた。

しゅなを見ると、「ロゼ王女!まだ起き上がられてはダメですよ!安静にされて下さい。」と言った。

「? ロゼ王女?」としゅなは困惑してつぶやいた。

スーツの男は「無駄ですよ。王女は自分のしたくないことは誰になんと言われてもしませんよ。もし安静にさせたかったら麻酔を打って眠らせるしかないでしょうね。」と皮肉たっぷりに言った。

看護婦の服を着た女性はそれには耳をかさず、しゅなをゆっくりとベッドに誘導し座らせると「今日は安静にしておいて下さい。もうすぐドクターも来られますから。警察も王女様の話を聞くため今か今かと首を長くして待っています。でもぜったい安静ですから24時間以内は駄目だと言ってあります。事情聴取は明日以降ですよ。」と言いながらしゅなの血圧や体温を測り始めた。

「警察!?」しゅなは言った。「明日まで待つ必要なんかない!今すぐ話をしたい!ここに呼んでくれ!」

看護婦のような女性は一瞬手を止めて顔を上げたが、「駄目ですよ。落ち着いてください、王女。あなたの体調が回復するのが先です。警察は逃げませんよ。」となだめた。


丁度その時、年配のきちっとした身なりの女性が慌てて部屋に入ってきた。そしてしゅなを見るなり「おお!ロゼ!」と大袈裟に叫び、しゅなに抱きついた。

「ちょっと・・!待ってよ!」としゅなが焦ってその女性を引き剥がした。

するとその女性は強引にしゅなの顔を両手で掴んで「顔を良く見せて!あぁ!無事で良かったわ!もう2度と生きて会えないのかと思ったのよ!」と言った。さっきのスーツの男が後ろで肩をすくめて見ている。

「ちょっちょっと待ってってば!もう何がなんだか・・・」しゅなはたまらなくなってバッとその女性の腕を振り払って叫んだ。「あんたは誰!?私は一体どこにいるの?」

するとその女性の動きが止まった。目を大きく見張ってしゅなを見つめている。表情がみるみるこわばる。さっきから後ろに立っていたスーツの男も驚いた表情をしている。

女性が言った。「ロゼ・・・?本当なの?本当に私が分からないの?」

その相当ショックそうな女性の顔を見て、少し気の毒に思いつつ、「わからない。わかるわけない。」とつぶやいた。「私はあんた達のいうロゼって人じゃない。あんたたちが何を言ってるのか訳がわからないよ!」

沈黙が部屋を包んだ。

「・・・記憶喪失か。」とスーツの男が呟いた。

年配の女性はバッとそっちを振り返り、またしゅなを見た。不安に満ちた目をしている。

しゅなが「違う!記憶喪失とかそんなんじゃなくて・・・」と言いかけたところでドクターらしき白衣のずんぐりした男が入ってきた。

するとその年配の女性は白衣の男に泣きついた。「ドクター!ロゼが・・・ロゼが・・・!私が誰だか分からないって。」

「落ち着いてください、女王。事件のショックから一時的な記憶喪失を起こしているのかもしれません。」白衣の男は言った。「とりあえず今はあまり刺激しないでいて上げられて下さい。今から王女の診察をいたしますので女王は待合室でお待ちいただけますでしょうか?」といってスーツの男に助けを求めるような視線を送った。「ええと、お名前はグラベス公爵でしたね。女王を待合室までエスコートして頂けますか?」

スーツの男は頷くと、その年配の女性の肩にそっと手をかけ、部屋の外へと連れて行った。女性は泣いているようで顔を両手にうずめたままだった。

しゅなはぼーっとその後ろ姿を見送った。

女王・・・?ロゼ王女?グラべス公爵・・・?私は一体何に巻き込まれているんだろう・・・?


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