ミダス王たち(5)
5、
妻が作った夕食を放ったまま、呼ばれても一区切り着くまで返事すらしない。
それどころか居間に顔を出すことすら少なく、しかし自分が空腹を感じると途端に外に出て来て、腹が減ったと喚き出す。
「おい、カツ丼を食わせてくれるって?」
妻は眉をひそめた。
「今日はショウガ焼きよ。あとは盛りつけるだけだから、ちょっと待ってて」
皿にはキャベツの千切りが乗せられ、フライパンの上には豚肉があり、換気扇が吸いきれないショウガの香りが漂っている。
「なぁんだ、ショウガ焼きか」
すでに午後二時を回っていた。彼女が何が良いのと聞いても返事せず、部屋から出てこないから選ばれたメニューだった。
彼女はもう何も言わなかった。黙々と作業を続けた。三田が先に食べ終えると、煙草を吸い出した。紫煙を吐き出した三田は、テーブルの端に皿を寄せた。
「ん、お茶なかったか」
その後、入れてもらったお茶を一度で飲み干すと、彼は書斎に消えていった。
彼女は何も言わなかった。ただ三田が籠もる部屋の方角に顔を向けなくなった。
軋んでいた。音も、空気も、何もかもが。
破綻まで早かった。ブログのコメント欄が賑わいだした。
もはや手遅れだった。
炎上という現象、あえてそれを現象と呼ぶが、いかなる場合も人の手による。
小さな火種を風で煽り、大火にしてしまった挙げ句、鎮火することも被害を減らすことも出来ず、むしろガソリンを注ぐような真似を繰り返してしまったものだけが、炎上というどうしようもない事態に陥る。
火を付ける。煽る。消防が間に合わない。これだけ聞けば立派な人災と呼ぶべきかもしれない。関わる者が数人であれば大した問題にもならない。
言葉は火であり、風であり、水である。そして行動すらも言葉で表される。何もせず火は付かないし、何も無く炎が大きくなることもない。焼けるものが一切消失すれば、勝手に鎮火することはあるだろうが。
何もかもがアクセス数を生み出す火種だ。あれほど望んだアクセス数だった。
彼が言葉を吐き出すたび、何かに触れるたび、やがて何もしなくとも、すべてが膨大なアクセス数へと変じるようになった。
昔、彼のブログのコメント欄は、神さびた庭園のごとく静かだった。
ささやかな静寂は見る影もなく、口汚い罵声が飛び交い、乗り込んできた野次馬が小さな薔薇を踏み荒らし、燃えさかる瓦礫が積み上がるばかりだった。
さぞかし驚いただろう。堰が切れたのだ。一晩経って、わくわくしながら自分のブログのアクセス数を覗いた瞬間、血の気が引いたかも知れない。
あるいはまるで気にならず、不躾なコメントの数々に、どうして俺の気に入る書き込みをしないのかと、不満げな顔をしただけだろうか。
ばくさんの協力によってアクセス数は増加し続け、三田の望み通りになった。
しかしその結末は、せっかく作り上げた聖域が蹂躙されていく光景だ。
一昨日を境に、丹念に育てたブログは、あっという間に数百数千のコメントに埋め尽くされ、何か記事を書き上げてもまともに読むものなどいない、そうした環境だけが残された。
三田は何を思ったのだろう。
ばくさんを呪ったか。ついに自責の念に駆られたか。
僕が聞き出すまでに発生した時間差は、三田を打ちのめすのには充分な量だった。
すっかり笑顔を無くし、ノートパソコンの前に座る時間を激減させた。
状況は気に掛かるのか、時折部屋に戻っては落ち着かない様子でモニターをにらみつけ、浮かない顔で居間に戻ってくることを繰り返した。
関与したくないと思っていた僕とて、何があったのかを尋ねずにはいられない。
聞き出せた話は多くはなかったが、恨み辛みが言葉の節々から感じられた。
誰しも自分の基準で測る。ばくさんは三田と同じことを望んだとしても、こんな結末を引き寄せることは無かった。僕には自明であり、ばくさんもそうだった。
三田だけが、己の想像力の限界に気がつかなかった。
滑稽だった。愚者が、自分の行いによって当たり前の報いを受ける。他人からすれば喜劇であるが、クローズアップで見なければならない身にもなって欲しい。
状況を把握して、三田に目をやった。酒をコップに注いでいるところだった。
「次の酒を買ってきていいぞ。もう無くなるからな」
彼の妻は立ち上がると流し台に向かい、蛇口を捻り、銀色に輝くタンブラーをいっぱいにして、足早に戻ってくると、大きく振りかぶった。
綺麗な音が高らかに響いた。三田は何しやがると叫んで、立ち上がろうとした。完全に酔っ払った足取りはふらつき、椅子に引っかかってそのまま倒れた。妻は転がった銀色をそっと拾い上げると、何事も無かったかのように流し台に持って行った。
三田が何か意味の分からない言葉をわめいている。
「いいかげんにして」
押し殺した声だった。
「いいかげんにしてよ。どうしてそうなの。どうして」
泣き出してしまった彼女に、三田はすっかり言い返す内容を忘れてしまったようで、ばつの悪い顔をして目を逸らした。
天井から降り注ぐ光は、さめていた。クリーム色の壁が、煙草のヤニで汚れた結果であることを思い出し、肩をすくめた。
三田が居間から出そうな素振りをしたが、彼女の視線がそれを許さなかった。
テレビを付けることも、新聞を読んで視線を遮ることも出来る雰囲気ではなく、最終的に煙草を手にとって、あらぬ方角を向いて吸い出した。
一本吸い終われば次へ、また次へ。箱が空になった途端、彼は立ち上がった。
「煙草、買ってくる。酒も」
逃げ出す背中を見て、気づいてしまった。どうしようもなく子供なのだ。
もうすぐ七十になる人間が、あまりに幼いことに恐ろしくなる。想像力の欠如も、他者への無配慮も、無責任さも、すべて子供の我が侭と同じだった。
他人だけではない。彼にとっては妻も、僕も、自分と同じステージに立つ人間ではないのだ。
誰も彼も自分を満足させてくれなきゃ嫌だと拗ねる。
話が通じない。会話にならない。ママおっぱいと泣き叫んでいる相手に会話を成立させようなんてどだい無理だった。
でも、そんな相手に、なんて声を掛ければいいのか。
嘆きたくなる。泣きたくなる。
こんな男が。こんな人間が。
喉がカラカラだった。彼女が入れてくれた甘いコーヒーを啜ると、吐き気がした。
指先が震えていた。まぶたの奥が痛んだ。僕もいっそのこと酒に逃げたかった。しかしそんな勇気も余裕もなかった。
事態の悪化は抑えなければならない。
炎上という現象は、向う側だけの火事ではない。ふとした拍子に現実に飛び火してくる、恐ろしい危機だ。
酔いつぶれた三田を尻目に、ここまで状況が悲惨なことになった理由を考えた。
明白ではあった。火災であれば、水や消化剤を使って鎮火させる、あるいは燃えやすいものを先に除去するなど、やるべきことは多々ある。
炎上にも対処法がある。それを何ひとつしていなかった。謝罪のコメントひとつ出さなかった。ブログの削除すらしなかった。ただ延々と、目に入った反論しやすいコメントには噛みついた。
燃え盛る本物の炎にガソリン片手に近づけば、嫌でも自分の愚かさを理解するだろうし、理解しなければ死ぬだけだ。しかしネットは情報によって構築されており、モニターの向う側には隔てられた世界がある。匂いも、熱も、音も、言葉すら視覚を通して授受される。直接触れることの出来ないもう一つの現実だった。行為に及ぶたび膨らんでいく炎の強さ大きさに、彼は危機感どころか最低限のリアリティすら覚えなかった。
三田のブログから辿れる無関係な方々にも迷惑を掛けていた。ここまで大炎上しながら、他所に燃え移っている様子がないことだけが唯一の救いだった。
酔いが覚めて起きてきた三田は、まるで屍だった。
青ざめた顔に、死んでいる途中の表情で、一言も喋ろうとはしない。二日酔いのためか、ブログのことが去来しているためか、僕には判然としなかった。
妻はいなかった。
寝室にいるはずだ。眠っているかどうかは、音が聞こえないから分からなかった。
僕が何を言うまでもなく、重石を引きずる足取りでノートパソコンの前に座り込むと、慣れた動きでブログを開いた。
彼の視線はモニターの中央あたりを凝視したまま動かない。
「どうすればいい」
三田は問うた。久しぶりの、まともな声だった。逆に、どうしたいのかと僕は尋ねた。
「そりゃあ、一番良い終わり方に決まってる」
じゃあ言うとおりに書いて。
「分かった」
彼は痛みに耐えるような面持ちで指示に従った。背中は丸く、小さかった。
ノートパソコンの横に、吸い殻でいっぱいの灰皿があった。三田は慣れた動きで煙草を口にくわえようとした。僕の渋面に気づいたのか、取り出した一本を箱に戻した。メールソフトを開かせた。宛先はばくさんだった。
文面について聞かれ、まず謝罪から始めるよう薦めた。
「謝罪の内容ったって、なんて書きゃいいんだ」
僕は乾ききった唇を舐めた。どうしてこんな状況になったのか。それを懇切丁寧に説いた。彼は僕の言葉を最後まで黙って聞き届けた。
騒ぎが大きくなる前に、まっとうな文章で謝罪をして、行動を改める。
それだけで良かった。それすらしなかった。だからこんなことになった。食い止める機会は無数にあったのだ。
アクセス数。
これこそ大多数のブロガーにとって大事な指針であり、モチベーションの源流となる数字だ。
ブログの開設は、何かを見て欲しい、聞いて欲しい、発信したい、そうした欲求を満足したいから行われる。
自分の領域に付けられた評価であり、自分のことを何人が認めてくれたか。
そう勘違いしてしまいがちな数字だった。
だから数字が増えれば増えるほど、あればあるほど幸福になれると思ってしまう。
本当は、アクセス数自体に大した価値はない。
三田は目的と手段を取り違えたのだ。
輝きに目が眩んだから、あからさまな落とし穴に落ちる。自分が本当に欲しかったものが何かも分からないから、こうして苦しむ。
僕はしたり顔で告げたりはしなかった。三田は傷ついていた。僕が賢しらに何かを語っても意味が無いことは分かりきっていた。ばくさんの返信は、抑制されていた。こんな事態には慣れている。そんな雰囲気が見え隠れする文面だった。
三田は困り果てた様子で助言を待っていた。
ばくさんの提案は渡りに舟だった。これから渡るのがルビコンか、三途か、それとも他の川なのかについては、僕の知るところではない。どんな川であれ、急いで渡らねばならないことだけが現実だった。
三田は素直に助言に従い、しばらくのあいだブログの削除はしなかった。
まとめサイトは半永久的に残る。ネット上では一度出回った情報を消去するのは不可能に近いからだ。逃げようとすればするほど追いかけるのも人間の性だ。きちんとした謝罪をした方が、鎮火するには近道だった。
コメント欄は素早く閉鎖した。三田は、ブログの更新もこれが最後であると前置きし、いっさいの責任が自分にあること、そして謝罪だけを書き残した。
言い訳をしてはならない。ばくさんの指示も、僕の見解も同じだった。短い文面に何か余計なことを書き添えようとするたび、僕は制止した。
取り返しの付かないことは、もう大量にやったのだ。
後から誤魔化して自分の失敗を軽減したり、あまつさえ無かったことにしようなどと虫が良すぎる。
そんな根性で書かれた言葉は容易に見抜かれる。
謝罪の言葉を載せて数日後、アクセス数は激減した。
それでも最初の頃の数倍あったが、三田が前言を翻すことを期待している層と思われた。大多数はこれで終わりと理解していた。
炎上する余地がこれ以上無いことは自明だった。
あっさりと事態が終息したことに、三田は不思議そうな顔を隠さなかった。
説明するのも煩わしいが、炎上とはネットにおける祭りだ。
炎上の切っ掛けが犯罪の告白でも無い限り、これを罪と呼ぶと語弊はあるが、それでも攻撃対象が、社会通念から外れた相手であることには違いない。
他人の失言、愚行に乗じて発生する一方的な攻撃。罪を犯したものに遠くから石を投げつける暗い楽しみと言える。
祭りはいつか終わる。
石をぶつけられた相手が倒れるか、石を投げる大義名分が失われたときだ。
炎上と言う名の祭りに参加するものは一般人でしかない。普通のひとが、仮想と不特定多数の仮面を被り、鬱憤を晴らしたがる。だから正義であるとか、罰であるとか、そうした建前を言い訳にして罪悪感を麻痺させる。
そうでなければ、まともな神経の人間が、他者に対して平気で石を投げることなど出来るはずがない。
やり過ぎたと感じれば参加者は離れるし、文句の付けようのない謝罪があれば、それ以上は過剰攻撃となってしまう。
期間限定だからこそ容易に箍が外れる。どんな形であれ、やがて終わると思っているから出来る行為だった。
三田は、すっかりインターネット恐怖症になった。ネットで調べ物をする。その行為にすら嫌悪感を見せるようになった。全く使わない、といかないのが難しいところで、現代社会での利便性を考えるとパソコンを手放すことも出来ない。
僕に言わせれば、全くもっておかしな話だ。
多くのひとが上手く付き合っているように、ネットが悪いわけではない。
場所に過ぎないブログが悪かったわけでもなければ、多少急速ではあったが、アクセス数の増加に問題があったとも思えない。
アクセス数に目が眩んだのは事実だろうが、道具に責任の所在を求めるのは馬鹿げている。ばくさんにも責任は無い。ならば、やはり僕のせいだった。三田の暴走を食い止められなかった。責任を感じないわけではないが、僕が保護者ではない。彼の行動を指図する理由はないし、そうしたいとも思わない。
我も人、彼も人なり。
僕が責任を感じるのは、いささか烏滸がましくもある。その上で、この一連の事物に対して、熾火じみた感情の処理に困っている。
浅はかだった。それは事実だ。
しかし、その愚かさをことさらに論うのも躊躇われる。子供が成長しないことを許せぬ罪だと断じるのは、傲慢なことではないだろうか。