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クリスタライズ  作者: 三澤いづみ
ミダス王たち
4/31

ミダス王たち(4)


4、

 平穏な日々が続いていた。それが嵐の前の静けさであることに気づけなかった。

「大丈夫だろ」

 三田が言う。僕は唖然とした。頭が真っ白になって、ものを考えることを忘れていた。陳腐な表現だったが、それは何よりも心境や現状と合致する言葉だった。

「ちょっと失敗しただけだ」

 故意ではなかったが過失ではあった。多少の想像力、あるいは最低限の慎重さがあれば未然に防げたし、ことが起きたあとの機敏な対応、少しばかりの機転、何かひとつでも気の利いたものがありさえすれば、こんなことにはならなかった。

 炎上していた。

 もちろん我が家ではなく、ネット上、三田のブログ上でのことだ。

 炎上はネット用語だ。想定外の注目を爆発的に浴びる状況であり、おおむね悪い意味で使われる。多くの場合不祥事や不謹慎に起因し、とにかく何事かをやらかした結果、無関係なネットユーザーが集まり、批難、罵詈雑言、誹謗中傷が大量に発生する。この混沌とした様相と挙動が荒れ狂う火炎に似ていることから、炎上と呼ばれる。

 普通にしていれば、ブログは炎上などしない。犯罪行為の告白であるとか、非常識な発言であるとか、社会通念上の悪に分類される、何かしらの火種を必要とする。

 いや、それだけならまだ良かった。どうにでもなった。最初に散々言い含めておいたはずだ。個人情報を漏らさないようにと。

 頭が痛くなった。完全に匿名で、情報を隠しきれていれば、ブログと三田とを切り離すことは容易いし、何度だってやり直すことが可能だった。この条件なら、今この瞬間にブログを閉鎖すれば話はそれで終わりだ。

 しかし、それは出来なかった。

 三田はハンドルネームを使っていた。しかし、情報の隠し方はひどく雑だった。ブログの記事をざっと確認したところ、直接は書かれていない。しかし間接的に読み取れる情報が山のように鏤められていた。

 一枚、旅行先の写真が載っている。家を出てから到着するまでの時間が高速道路を使って一時間四十分と書き込んであり、また別の記事には埼玉県とキーワードを出してしまっている。これだけでおおよその住所は絞れる。一つ一つは薄いし、それだけでは分からない情報ではあるが、三つ四つと重ねていけば、かなりの精度で推察が成り立つ。

 定年後、と一言書けば六十五歳以上が確定する。昔のあだ名をぽろっとこぼし、それが本名をもじったものなら下の名前も候補が狭まる。

 三田の本名、住所、年齢。これらはかなり近いものが露見していた。記事を漁ればもっと細かく特定されうる危険性もあった。家族構成こそまだ判明していなかったが、ここまで情報が出そろっていれば、知人が見たら分かるかもしれない。

 後はほとんどおまけだった。

 数週間前までは多くとも一日数百人しか訪れていなかったはずの三田のブログには、昨日一日で数万人のアクセス数がカウントされていた。


 ブログ開設当時の記事に遡って見てみた。

 最初の一週間分にはコメントは付いていなかった。十日目、短文のコメントが一つ。三田が返信しているが、微妙にずれた内容だった。

 それからさらに一週間、来訪者のコメントは存在しない。

 しかし、アクセス数はじわじわと伸びていた。

 二週間が過ぎ、寂しいコメント欄が続くまま三週目に入ると、立て続けに二人書き込みを残していた。写真を載せ始めて数日経った頃である。片方は写真についての寸評で、もう一方はブログタイトルの「イミテーション・ゴールドな日々」の元ネタについての指摘だった。

 双方、別に褒めているわけではないが、反応には違いない。相手の書き込みの三倍くらいの量、三田がコメント返しを行っているのが記録として残っている。

 一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、安定してコメントが付くようになっていく。いわゆる常連と呼ぶべき相手が週に二回ほどのペースで書き込みを行い、和気藹々とした空気が漂っている。旅行先の写真などが目立つのもこの辺で、脱初心者の気配が微笑ましい。

 ばくさんの名前が出てくる。社交辞令混じりのやり取りと挨拶、そして。

 この後、文章に過激な表現が増えてくる。コメント欄は長文が増え、常連ではなく単発のハンドルネームが連なってくる。

 アクセス数の解析を見ると、ブログへの来訪者数が跳ね上がっていた。記事の内容から穏やかさが削られ、時事ネタに対する言及が多くなり、ある日を境に突然安定していたコメント数が急減する。その翌々日、コメント欄に大量の文章が書き込まれる。

 数十人から数百人が一斉に書き込んだと分かる。縦にぐんぐん連なった真っ白い文章は、黒地を埋め尽くしてなお尽きることなく伸びていき、砂糖に群がる蟻の行列にそっくりだった。

 ネット上ではありふれた言葉たちが、祭りの参加者たちが、ブログのコメント欄を占領し、蹂躙する。


 氏ねバーカ

 三田さんおっすおっす

 ミタさーん。見てるでしょー。顔真っ赤にしてキーボード叩いてるんでしょ

 ミタさんミタさん。はよコメントしてよ。ほら。ほら。

 これほど簡単にアクセス数を仮性だミタは単なるクズだろうか。実は狙い通りなんじゃ

 仮性っておま、変換にもう少し気を遣えよ包茎

 ミタの母でございます。このたびは皆様に本当にご迷惑をかけて申し訳ありません。ミタは父譲りの無思慮で子供の時から得ばかりしておりまして

 ぼっちゃん乙

 ミタって七十くらいだろ。本物だったら百歳近くね?

 コンピュータおばあちゃんパネエ。天国から乙。

 おいおい、こんな子供を作っちゃったママンだぜ。やっぱ地獄からだろ

 地獄でも天国でもネット環境さえあれば生きていける……!

 いやいや、もう死んでるってwww

 おいおい馬鹿ばっかだなこのコメント欄は。明日、またこのコメント欄に来てください。本物の炎上ってやつを見せてやりますよ。

 失せろ山岡

 帰れ山岡

 これだから山岡は

 三田こねーなー。逃げたか?

 混乱してフリーズ中ぢゃね? じじいにはキツイだろこの状況。

 マジで爺なのか

 いや知らねーけど、もしそうなら炎上の最高齢記録更新かもな。俺ら今歴史的瞬間に立ち会ってる? パネェw

 俺が、俺たちが、伝説だ!

 おいおいお前ら、爺がショック死しちゃうかも知れないだろ

 しかし久々の間抜けだな。

 だよなー。最近この手の自爆って見なかったもんな

 三田さん三田さん。アクセス数爆上げして良かったね。あっという間にランキング十位圏内。おめでとうゴザイマス死ね。氏ねじゃなくて死ね

 ばくさんも大変だな。クズのお守りのあとは馬鹿の後始末だぜ。

 つーか絶対こうなると思って最初からヲチしてた奴挙手

 ハーイ

 はい、俺も。

 点呼中? ハイハイ

 意外と少ないのか

 いや、炎上するかもと思ってゴミ観測するほど暇じゃないし。

 マジで? ニート乙。無職乙。

 おれをプーさんって呼ぶんじゃねえww

 呼んでねえよプーの無職さんっっっw

 三田マダー?

 俺は今すごいことに気づいた。三田って、こいつミタじゃなくてサンタなんじゃね?

 おい馬鹿止めろ今年のクリスマスは早くも終了ですね。

 あーあ、みんな気づいても言わなかったことを

 ネタバレ早すぎ。真っ赤なお顔のミタさんは、いつもみんなの笑いものですね

 まあ冗談はさておき、子供がいたら本当に元サンタだべ

 こんなのが父親とか可哀想すぐる。どうかな

 ガキがいてもサンタやらない親とか最近多いんじゃね。うちは仏教徒だからってイベント全スルーだったわけだが

 ザマァ

 ミタさんはきっと良い父親だったよ。素敵なパパで、それが耄碌して、こんなことをやらかしちゃったに違いないよ。

 根拠は?

 いや、そうだったらすげー笑えると思って。更新しねーなー。そろそろ下の名前か家族の名前あたり特定来た?

 まだ。家族いんの?

 たぶんいる。二週間前の記事を読めば分かる。

 特定班急げよー

 まとめサイトから来ました。祭りの会場はここですか?


 三田から聞き出した話をいったん頭から追い出して、自分なりにネット上で情報を集めた。ため息すら出ない。

 僕のせいかもしれなかった。定年退職して毎日をぼんやりと過ごしていた三田にノートパソコンを買い与えた。そしてブログの開設を許した。程度を甘く見て三田の所業を見過ごした。

 あの丸まった背中を見ても何もするべきではなかったのか。動揺も後悔も事態の解決にとって役に立たない。情報を集めようとマウスを動かす。

「どうするの。どうするのよ」

 彼女は真っ青な顔で、三田に聞く。

「昨日、ご近所さんが何かわたしのこと、遠巻きに見てたのよ。きっとこれのせいよ。ねえ、どうするの。ねえ」

 三田は何も答えず、なみなみと注いだ日本酒を煽り、鼻息荒く顔を背けた。


 契機は有名ブロガーばくさんとの交流だった。

 三田の説明は要領を得なかったが、理解するのは思った以上に容易かった。

 調べ始めてすぐ、情報をまとめたサイトを見つけた。そこに炎上に至った経緯が書いてあった。迂闊に漏らした個人情報の断片、それをジグソーパズルのごとく繋ぎ合わせ、見いだされた本名や住所が記載されていた。

 頭を抱えた。指先と足が震えた。恥ずかしさと、これをどうにかしなければならない義務感と、やっぱりと納得する気分がない交ぜになっていた。

 今、三田を怒鳴りつけたらどんな反応が返ってくるのだろう。現実逃避だ。口元が引きつるのは抑えられなかった。

「ねえ、どうするの、どうするのよ」

「俺のことだから、お前らには関係ねえだろ」

「関係ないって。そんなわけないじゃない。あなただけのことじゃないのよ。ねえ」

「うるっせえな。騒いだってどうにもなんねえだろ。とりあえず黙ってろ」

 天井を見上げた。これが他人事なら笑えた。なんとかしようと思うと、内側から針が生まれるみたいにしくしくと胃が痛む。

 冷静になれと自分に言い聞かせる。

 合間に、たっぷりと砂糖を入れたコーヒーを用意する。いつもなら気にならないハードディスクの動作音が耳障りだった。

 頭の中を少しでも整理しようと目を閉じた。眩しかった。モニターのバックライトの輝きだ。真っ白なページ。そこにずらりと並んだ文字列。

 奥歯が鳴った。耳に飛び込んでくる不毛なやり取りを遮断し、まとめサイトの話をもう一度読んだ。よくまとまっていた。


 有名ブログの主ばくさんとの数度の交流の後、三田は会社時代に得た知識を教えた。有用な情報だったのだろう。ばくさんは恩に着て、何かお礼がしたいと言った。

 ここまでは常識の範囲内だ。僕にも経験がある。ネットの黎明期にもギブアンドテイクという言葉が飛び交っていた。

 三田は願った。アクセス数を増やすために協力してくれ、と。

 やり取りがまとめサイトに乗っている。最初こそ不思議だったが注釈を読んで目を疑った。お互いにコメント欄でこのやり取りを書き込んでいた。露骨な要求過ぎて、本来ならメールなどを使い裏でやる内容だ。コメント欄に書かれてしまった以上は、ばくさんも反応せざるを得なかった。

 テキストだけの会話には相応の書き方がある。目に見える大半が言葉で出来たネット上では、それが特に顕著に現れる。

 半年ROMれという言葉もある。暗黙の了承や、得体の知れない文脈、管理者の定めた独自ルールなど、現実と異なる常識が醸成され、分岐、独立しながらWeb(蜘蛛の巣)として蔓延している世界だ。

 ブログのコメント欄は衆目に晒される場であるため、感情や意思を込め難く、また読み取りにくい。ばくさんも冗談や笑い話として処理したかっただろうが、それも不可能だったに違いない。書けばどうなるか。それに思いを馳せる人間であれば、そもそもこんな事態になる前に収拾が付いた。

 疲労感に苛まれつつも、先を読み進めた。


 嬉しくて仕方なかったのだろう。

 三田の行動、すなわちネット上に残った無数の言葉から、彼のはしゃいでいる様子を読み取ることは容易かった。

 ばくさんとの交流を境にアクセス数が爆発的に増えた。

 百や二百で一喜一憂していた三田にとって、舞い上がっても当然な数だった。

 ばくさんのブログにも目を通したが、さすがに月間で数百万アクセスを稼ぎ出すだけのことはある。毎日更新される記事はどれも洗練されていた。頻出する話題としてワインやファッションがあるが、語り口も素晴らしい。女性に人気があるのも頷ける。

 アクセス数を増やす。これを願った三田の、それ以降について視線を戻す。

 白地に赤字で強調されている部分が、特に大勢の反感を買った部分だ。

 ばくさんのおかげで三田には無数の視線が注がれていた。三田は手当たり次第に書き始めた。さぞかし楽しかったのだろう。身近なことや興味のある分野、たとえばカメラであるとか古い本であるとか、そうした内容ばかり書き連ねていたブログに歯に衣着せぬ政治信条が燦然と登場した。

 それからは定年退職した会社の元部下に連絡してアドバイスしたとか、悲運のオリンピック選手の転倒を嘲笑してみたり、わざわざ口にする必要の無い不謹慎な内容、たとえば都内で路上喫煙してもばれなかったなどを公言し、そうした餌を思いつく限りをさんざんに書き散らした。

 書けば書くほどアクセス数が増える。燃料を投下するほど反応は大きくなる。

 ここで満足しないのが人間の性で、三田はとうとうアフィリエイトに辿り着いた。

 アフィブログ。つまり報酬目当てだ。ブログに通販サイトへのリンクなどを文章内に含ませ、それによって発生したアクセスの量が報酬に繋がる。今までは数が賞賛の代わりだったが、これに手を出したことで数字から金銭への変換になった。

 最初は千人。過激なことを書いた直後に三千人。

 増えるアクセス数に比して、コメント欄から穏やかさは薄れた。少しでもアクセス数の増加に陰りが見えると、ネタを無理矢理ひねり出そうとする。

 三田が部屋に閉じこもったまま、出てこなくなった。



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