アイの代わりに(7)
7、
別れ際、私は先生に聞きました。すべては虚構だったのかと。
先生の答えは、こうでした。そうであるとも、そうでないとも言える。もしすべて夢だったとして、けれど君がそれを覚えていて、少しでも心に残るものがあるのなら、そこには愛が生まれたと言える。どこまで信じるか信じないかは君の判断にゆだねよう。これまでそうしてきたように。これからもそうであるように。
長らく語り続けた身としては、信じてくれると大変嬉しいのだが。
そう言って、面白そうに片目をつむり、先生は手に持っていた文庫本をベンチの端にそっと置きました。
愛は言葉だよ。
いいえ、言葉が愛です。
かもしれないね。
色々と、ありがとうございました。
どういたしまして。
さよなら、お元気で。
君もね。
私たちは同時に立ち上がると、別々の方向に歩き出しました。分かっています。先生と会うことはもう無いのでしょう。それを悲しいとは思いません。先生は最後まで私にとって先生でした。でも少し寂しい。そう感じることは止められません。
寒空の下、私は家に帰ります。
肩の雪を払ってから玄関のドアを開くと、母が出迎えてくれました。
寒くなかったかと、お腹は空いていないかと、私を心配そうに見つめ、早く暖まりなさい、コーヒーでも入れてあげようかと、気遣わしげに声をかけてくるのです。そんな母に大丈夫だよと答えます。
店を畳んでから母は膝を悪くして、最近めっきり老けました。市内にあるかかりつけの病院に行くにも、私の付き添いがなくては動くこともままなりません。
申し訳なさそうにする母に、笑顔で大丈夫だよと繰り返します。会話が途切れるより早く母は目ざとく見つけます。それ、なあに。ふと思い立って、帰り道で不二家に寄ってきたのです。このチーズケーキ、美味しいわねえ。母の言葉を聞きながら、私は黙ってショートケーキの苺を口に運びました。ちょっと酸っぱいけれど、悪くない。
カップ片手に自分の部屋へと戻ります。大体終わって、あとは仕上げだけ。今日は徹夜になるかもとしれないと、ため息混じりに思いつつ、母に淹れてもらったコーヒーをこぼさぬよう、ドアをそっと開くのです。そのとき一瞬感じ、すぐさま溶けて消えるのは、母が嬉しそうにケーキの箱を開ける姿を眺めながら、しかし口にしなかったこの言葉。
あなたのためでは、ありません。 (了)




