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クリスタライズ  作者: 三澤いづみ
ミダス王たち
2/31

ミダス王たち(2)


2、

 ブログを開設してから、三田はほとんど毎日書斎に籠もるようになった。

「お父さん、毎日何をそんなに書くことがあるのよ」

「いろいろだ。いろいろ。それより写真を載せたぞ。良い写真だからな。見とけよ」

「昨日行ったところ?」

「俺って写真の才能もあったみたいだな。お前の後ろ姿も悪くなかったし」

 妻は顔を青くした。三人分の茶碗を置いて、急須を傾けているところだったが、三田の言葉を聞いた瞬間、手元が狂った。

「おい。こぼすなよ」

「ちょっと。やめてよ。消して」

「あん? 顔は映ってないから大丈夫だろ」

「やめて」

 舌打ちして、三田は立ち上がった。残された茶碗から湯気が上っている。彼女は不安そうに僕に視線を移した。僕は一応、三田の後を追って状況を確かめた。

 ブログの記事に貼り付けられた写真は七枚、そのうち一枚を不機嫌そうに削除している場面だった。僕の姿を認めた三田は、唇を尖らせた。

「あいつ、うるさいよな」

 彼女の危惧は当然だ。僕の主張に、彼は肩をすくめた。ノートパソコンの画面を見つめながら、吐き捨てるように続けた。

「別にこのくらい大丈夫だって。他を見てみろよ。もっとハッキリ顔が映ってる写真だって平気でアップしてるぜ。あいつはネットに詳しくないのに、ぐちぐちぐちぐち騒ぎ立てて。まったく女の腐ったようなやつだ」

 僕は追求せざるを得なかった。他にも個人情報を漏らしてないか。写真に住所が書いてある紙が映っていたり、車のナンバーが入っていたり、いや、車種も出来れば隠して欲しい。その要望を口にした瞬間、三田は怒鳴った。

「うるさい! なんだ、お前ら俺のやることにケチばっかり付けやがって。せっかく楽しい気分だったのに水を差すことしかできねえのかお前らは! 旅行に連れて行ってやったのに嬉しそうにもしないで、俺のささやかな趣味に注文ばっかりつけて。何の問題も起きてねえだろ! 邪魔ばかりしないで協力しろよ!」

 僕は書斎から逃げた。協力しろと言うが、そもそも彼が写真を撮りだしたのは、僕が以前使っていたデジタルカメラを発見したからだった。

 撮影初心者であれば十分使用に耐える小型デジカメだ。さらに居間に置いてあった単三の充電池も見つけて、三田は一方的に告げた。

「お、いいのがあるな。どうせ使ってないんだろ。俺が有効に活用してやるよ」

 デジカメの発見は、三田の行動を積極的なものにした。

 近くの公園に向かっては、まだ咲かぬ桜の枝を切り取った。駅近くにある神社の参道の中央に陣取って、参拝客を映した。駅構内の混雑を真正面から撮影したりもした。

 彼の妻は、なるべく同行することを心がけるようになった。今回の小旅行には僕も付いていった。


 彼は旅行先でのスケジュールをタイトなものとした。

 合計十カ所。一日で回りきれるものではない。朝早く出発し、最初に到着した寺で門、仏像、由来の書かれた看板などを手早く撮影すると、山間の景色を眺めていた僕らをしつこく急かした。

「早く行くぞ。時間がないんだ」

 車に飛び乗って次に向かったのは、著名な神社だった。朝早くにも関わらず観光客が集まっていた。賽銭箱に小銭を入れて、二礼二拍一礼しているときに、パシャリ。

 参拝を終えて、どこからか聞こえてくる祝詞の出所を彼女と一緒に探していると、三田は目的の写真を撮り終えたらしく、苛立った様子で僕らを待っていた。

「お父さん。おみくじ引いてくるから」

「いいけど早くしろよ。予定を回りきれないだろ」

「わたしたちまだ見てないけど、向こうにある本殿は見たの?」

「もう撮ってきた。引くなら早くしろよ。煙草吸ってくる」

 そのまま三田はどこかに消えた。おみくじは、僕が末吉、彼女は吉だった。内容をその場でじっくり読んでいると、戻ってきた三田が駆け寄ってきた。

「もういいだろ。さっさと結んで次行くぞ」

「まだ読み終わってないわよ」

「車の中で読め。ここで時間をかける必要はないだろ。それを結ぶだけなら、他の場所でも問題無いわけだし」

「本殿、まだ見てないのよ」

「は? 何してたんだ。今も時間あっただろ」

「だから、おみくじ」

「おい。まだ予定が大量にあるんだから、効率的に動けよ。どうせのろのろ動いてたんだろ。キビキビ動けよ。俺みたいに」

「分かった。もう良いわ」

 僕と彼女は顔を見合わせ、鳥居の外へと出た。神社の裏側に設置された一時間五百円の有料駐車場に戻っていく。三田は足早に進んだ。彼女は歩きながら俯いていた。

「ったく、ワガママばっかり言って」

 次に向かったのは大量の薔薇で有名な植物園だった。種類が自慢らしいが、今は時期がずれていて彩りに欠けており、空間も、吹き抜ける風も、どこか寒々しかった。夏以外は入園料を取らないようで、多少の客が入っているのが見えた。

 いくらか他の花も植えてあると看板に記載されており、淡色の背の低い花々が向う側にわずかに覗く。

「次行くぞ、次」

「見ていかないの?」

「意味がないだろ。薔薇園で他の花を見るなんて」

「少し寄っていきましょうよ。せっかく来たんだし」

 季節外れの薔薇園、という名目で三田は写真を一枚、入り口の荒涼とした光景だけ収めた。彼女が入り口から入り、道に沿って足下に咲いた白を眺める。数は少ないが、白やピンク、黄色の花が揺れている。薔薇の植えられた場所とは隔てられていた。

 奥に進んで行くと、ほんの少しだけ薔薇が咲いていた。

「お父さん! 咲いてたわよ!」

「どれどれ、……なんだ、そんだけか。地味だな」

 三田は露骨に首を横に振った。カメラに手を掛けることもなく、彼はそのまま引き返した。小さな薔薇が深い赤に染まっている。たった二輪だけ、くすんだ緑の上にちょこんと顔を出していた。

「綺麗なのにね」

 同意を求められ、頷いた。これだけ広い薔薇園で、ほんの僅かな量しか咲いていないのは少し寂しい気もしたが、確かに薔薇であることには変わりない。

 彼女は香りを嗅ぐため顔を寄せてはみたが、ほとんど感じ取れなかったようで、悔しそうに眉をひそめた。

「そろそろ行きましょうか。またイライラしてそうだし」

 ゆっくりと引き返し、途中で空を見上げた。風のない昼過ぎの青空は、どこまでも穏やかで、雲すら置かずに透き通っていた。


 昼食は家の近くにもあるラーメン屋のチェーン店だった。

 午後も似た流れだった。博物館や牧場にも寄った。名物のアイスクリームを買って、牛を見て、馬を見て、気づけば天気が急に悪くなってきた。

 暗雲が立ちこめ、空は真っ暗になり、気がつけば大雨が行く手を遮っていた。

「帰る?」

「いや、あと一カ所寄るぞ」

「これじゃあ何も見えないと思うけど」

「せっかく来たんだ。寄るぞ」

 反対を押し切って、三田は大きな湖に向かった。富士五湖の一つだ。観光名所ではあるのだが、この天気で臨んでも風光明媚とは言えないだろう。

 到着して早々、予想通りの光景が広がっていた。雨に煙る湖上は暗く、影に覆われていて、まるで巨大な沼だった。天候が良ければ陽光に煌めいて、見る者の心を穏やかにしてくれそうな情景だったが、現実はそうはいかない。

 何か不穏、どこか不気味な、大雨の重苦しさを背負って、人間を飲み込みそうな巨大な穴として目に映った。

 空模様の急変は天気予報が示してくれなかったのか、あるいは予報を確認しなかっただけか、とにかく雨は想定していなかったわけで、車の中には最初から入れっぱなしになっていた傘が一本、それを手にとって三田は車外に出て行った。

 一応、僕と彼女は口々に考えを改めるよう促した。

 大雨の時に水の近くに行くことを危惧したのが半分だ。この状態でカメラを手にして向かってもまともな写真にならないと制止もした。

 二人分の反対はむしろ三田を突き動かす原動力となり、ごうごうと大騒ぎする雨音の中へと彼は意気軒昂と突っ込んでいった。

 全身ずぶ濡れになって戻ってきたのは、それから十数分後のことだった。

「カメラ濡れなかった? 大丈夫?」

「お前なあ。俺よりカメラの心配かよ」

「濡れ鼠は分かってたでしょ。先に止めたじゃない」

 言葉に窮した三田は、黙って車内の暖房を強くした。三田の予定ではあと二カ所残っていたが、気力が尽きたらしかった。

「帰るぞ」

「お土産とか、買わないの」

「中央道使うから、どっかに寄りゃいいんだろ」

「晩ご飯は?」

「家でいい」

 高速道路に乗って、トイレ休憩をかねて、サービスエリアで一度降りた。

「何買おっか」

「勝手に決めろよ。俺は煙草吸ってるから」

「お父さん」

「お前らは濡れてないから大丈夫だろうが、俺は寒いんだよ。車ん中にいる。さっさと買ってこい」

 二人して嘆息するしかなかった。明るい店内を一回りして、甲府ブドウを使ったワインとお菓子を買った。

 車中に戻り、視界の悪い帰り道を急ぐ。ラジオから流れる声は途切れ途切れで、雨音に混ざり、内容は全く掴めなかった。

 家に着く寸前、雨はやんだ。



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